ありふれた世界征服願望

相対性理論の歌に、「バーモント・キッス」というのがあります。
 ↓


歌詞の冒頭、

「わたしもうやめた 世界征服やめた
 今日のごはん 考えるのでせいいっぱい」

には仰天しましたw


さてこの歌詞、一見ありえないような概念の組み合わせでできた詞にも思えますが、実は私たち、意外と(自分でも気づかないうちに)世界征服しようと企んでいるものなんです。

それが一見、

「○○の良さを、素晴らしさを、多くの人に伝えたい」
「世の中に、もっと~~をもたらしたい。そのために貢献したい」

といった、非常に前向きで建設的で善いこととされる言い回しであっても、その背後に、

「○○の良さを認めない人間を認めない、排除する。世界人類全体が○○を素晴らしく良いものだと言わせたい」
「いまの世界の在り方が気に食わないから、~~をもたらすという方法・手段でこの世を自分の理想の世界に改造する。自分色に染める」

というエゴが潜んでいる場合が少なくありません。

これは、極端な表現だと眉をひそめる人もいるかもしれないけど、れっきとした「世界征服願望」だと言えはしないでしょうか?


で、わたしはここでは、世界征服を企むことの是非については触れません。

ただ、「他人によって征服されたいと思わない人/物事/状況が少なくない」のも事実です。

要は、「~~がしたい」という自分の前向きな、自己実現や幸せな人生の顕現に向けた行動・言動・想念による現実のマニフェストをしたとき、その背後に世界征服願望があると、(本人はどれだけ無自覚で悪気がないとしても)他人からは潜在意識レベルでは悟られてしまうものだし、征服されたくないという意図を持った他者からは反発を食らう……少なくとも、協力してもらいにくいことがありますよ、という感じでしょうか。

「こんなに前向きにひたむきに、良いことをしようと頑張ってるのに、なぜか他人から理解されない、評価されない、うまくいかない。自分の成功を阻む思考パターンもクリアにしたのに、いったいなぜ?」

という状態の人は、自分がしようとしている「良いこと・素晴らしいこと」が、自分がそれを実現することによって影響が及ぶ他人や団体、地域、状況、制度などのそれぞれの立場からみて本当に「良いこと・素晴らしいこと」に映るものなのかどうかを再検討してみると有意義かもしれません。
(それができるためには、それこそ『他人の立場に立ってモノを考える』という能力・スキルが必要になってくるのですが←それができてないという場合は、その能力の獲得を優先すべきでしょう←その能力の獲得方法についてはここでは触れませんけどねw)
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