ついに、会えました。

以前このブログで「千年女優な私。」というエントリーを書きましたが、ずっと探していた人と、ついに会えました。

その人とはよりによって街の小さなお祭り?でばったり遭遇しました。褌に法被(はっぴ)を着て神輿を担ぐ一団に加わっていた、背が低くて小太りで頭髪が若干さびしくなりかけたいわゆる下町のオヤジに生まれ変わっていたのでした。

自分は偶然、街を歩いてたら賑やかな場面に遭遇した一歩行者という位置づけで、

「あのー、これは何のお祭りですか?」

と祭の関係者らしき人に話しかけたら、その人が自分がずっと探していた人だったという次第です。

声をかけられた相手が私のほうを振り返り、お互い目が合った瞬間に“わかって”しまいました。

衝動的に私は拍子抜けしたように半笑いで脱力し、

「いままでどこにいたんですか?探しちゃいましたよ!」

と唐突に切り出していました。今回の人生では一度も会ったことのない赤の他人に対して。
自分でも信じられないくらいのものすごく軽いノリで。

怪訝そうな顔をされるかと思いきや(←嘘、されないという確証があった)、相手はまったく驚いた様子も見せず、

「もしかして生まれる前から俺のこと探してた?」

とシレッと言い放ったので、素早く何度もカクカク頷いてしまったじゃないか!!

それを見た相手はまるで好きな野球チームが同じだと気づいて意気投合したかのように興奮して

「俺も俺も!お前のこと前世よりずっと前から探してた!!よっ!久しぶり!!!」

と、これまた軽~く返してきて。

それですかさず私も

「連絡くらいくれてもよかったじゃないですか!? 急にいなくなっちゃうんだもん!!!」

と切り返すと、にわかにそのオヤジは困ったような顔をしてうつむき、

「ごめんな。俺さぁ、愛情に向き合うのが怖くて逃げちゃった」

とのたまう。

不思議なほどあっけらかんとその会話は紡がれ、恨めしい気持ちも狂おしい恋慕の情も歓喜も何ひとつ抱かず、他人事のように平然としていられる自分たちの現実味のなさはあきれるほど。
(お互い、過去生のイシューをひととおり解消した上で出会ったということなのでしょう)

「でもさ、こうやってまた会えたんだし、今度は楽しくやろうよ」

神輿がどんどん先に行ってしまうのを気にしながらその人は言いました。

腰に提げていた携帯を取り出し「番号おしえて」と言うので、自分は早口で自分の番号を告げました。

手慣れた様子でその番号を入力すると、

「お、わかった。じゃ、あらためて連絡するわ」

といってそのオヤジは背を向け、神輿に追いつくように小走りで立ち去りました。



狐につままれたようにその場に立ち尽くすなかで、背骨に蓄えられていた過去生の鬱屈したエネルギーがどろりと抜けていくのがわかりました。

その瞬間に過去生のいろんな場面の記憶や感覚が超高速の走馬灯のように巡り、一瞬パニックに陥りそうになりましたが深呼吸して自己ヒーリングしてどうにかやりすごすことに成功。

体の内側の奥深くにある筋肉が生まれて初めて脱力したかのような、ものすごい安堵を感じている自分に気がつきました。

「完結したね。おめでとう」

もはや他人と化した自分自身の、あの人を追いかけ続けた1人のひたむきで不器用な女性としての過去生の姿を光に還したときにそう思いました。

そのとき、これまであれほど自分の心を占めていた「私は女性だ」という思いが、完全に消えてなくなっているのに気づきました。
自分が男であることになんの迷いや疑問も抱いておらず、こんなことは生まれて初めてだと1人で仰天しました。

長かったなー。

安堵したら今度はものすごい眠気に襲われ、まともに立っていられないほど。

用事を終えて帰る途中での出来事だったので、そのまま何も考えず、駅まで歩いて電車に乗りました。

乗客はガラガラで苦もなくシートの端の席に座れたので、仕切りにもたれかかり泥のように眠る眠る。

最寄り駅ちかくで目を覚まして携帯を見ると、さっき教えた番号あてのSMSで、「你好」とだけ書かれたメールがあのオヤジらしき人から届いていました。なぜに中国語……。

最寄り駅に着いて電車を降りた頃には眠気も回復し、休んだおかげで頭も少しは冴えたのですが、今度は単純に、

「再会はしたものの、いまの自分はあのオヤジに恋心を抱いているわけでもないし、向こうもそんな感じだった。連絡先は交換したけれど、特に共通点もない男同士がこれからどんな形でなんのために交流を温めていけばいいのか」

と考えると、もうどっちらけというか、なんだかものすごく無駄なことをしたような心地にすらなるのでした。

「過去生のイシューは軽んじずにきちんと対処して解消しつつも、エネルギー的な不要なつながりは手放して過度に過去生の感覚感情や思考パターンに引きずられないこと、いまの自分の意思でこの人生を歩めるようにするのは大事」

という鉄則を、こんな形で痛感することになるなんてw

まったく予想外の、おまけに期待はずれな形の結末を迎えたわけですが、もうこの一連のエピソードは、それがどんな意味・意義を持つかに関係なく、“完結させることそのもの”に意味があったに違いないと位置づけて深く考えないほうがよさそうです。

なんにせよ、スッキリしてよかった。(←そんなあっさりした〆?)
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