資格は私を救ってくれる!?

資格に過剰に期待する、あんまり世の中の労働市場を知らないぽい人が多いのに驚かされる。不況になるとみんな資格に走るというのは本当なんだな。 医者、弁護士、会計士などの独占業務がある資格ならまだしも、○○検定○級、的なやつはなぁ。 新卒MBAというのも、使い方次第だけど微妙だよね。

あ、微妙とだけ書くと語弊あるか。 要は資格ありき、じゃなくて人間性と企業文化のマッチングが鍵なんだよね、求人ってさ。 求められるスキルが高いポジションにしても、資格よりは業務実績のほうが高く評価されるケースのほうが圧倒的。

勤めるんじゃなくて独立するにしても、それに必要な資格は同業者なら全員持ってるわけで、資格だけでは差別化できない。 人脈とか営業力など、どちらかというと資格や数値では表せない能力のほうがモノを言うことが多いんだ。

役に立つかどうかは別にして、自分が価値ある人間だと認められたいから資格を目指す(合格したら自分に価値があると思える)とか、なんでもいいから打ち込めるものが欲しいという理由で、どちらかというと現実逃避の意味合いで資格を目指す人も多いよね。

かくいう自分も以前、特に一社目はそれが顕著だった。自分はしょぼい同僚達とは違う優れた人間だと証明したい、資格を取ってこんな酷い会社とはオサラバしてキャリアアップしてみせる、と現実逃避して、せっかく目の前にあって体験しようと思えばできる日々の業務から得られる充実感や達成感、友達や家族とのふれあいまで避けてた。

要は、資格を手にすることが即、自分の現実を素晴らしく変えてくれるものだと過信して、資格にすがっていたんだ。 だから、資格取得の有効性を疑問視または否定する考えになんて、触れなくもなかった。 資格は私を救う。 そう信じてないとやってられなかった。

でも、それこそ医者みたいな専門性と独占業務が保証される資格でない限り、あってもなくても大差ないと認めざるを得ないと気づいていった。

たとえば中小企業診断士の試験合格まで済んであとは研修と登録、というところまで自分が行って、そのことを会社でもアピールしたけど、それでも周囲の人間は俺じゃなくて、その人が信頼する仲の良い人に仕事のアドバイスを依頼していた。 俺が口を挟んだところで、耳を貸す人は誰もいなかった。

結局、中小企業診断士の研修は受けず(自腹で十何万円も払って何週間も連続で会社を休むのは、当時の自分には難しかったというのもある、中小企業診断士で独立する気もさらさらなかったし)、試験合格も無効になり、それっきり。 それ以来ハンパな資格だったら取っても意味がないと思うようになった。

痛い体験だったけど、資格ビジネスが広告などを通じてしかけてくる「資格はすごいよ洗脳工作」にはまったく動じなくなったメリットは大きい。 学部卒という学歴の低さも、気にならなくなった。 よほどでない限り、資格や学歴はそれだけでは自分の人生を保証してくれないと学べて有益だった。

いま、世間的にいったらほとんど市民権のないヒーラーという、肩書きとしては何の権威も持ってない職業で堂々としていられるのも、もしかしたらそういう経験を通じて、「自分の人間力さえあれば世の中どうにでも渡っていける」という信条を確立しておいた恩恵なのかもね。 最後、まとめになるけど、資格は、自分のやりたいことをやるために必要でメリットがある場合に取ればいいって強調したい。 その意味では、シータヒーリングのインストラクター資格は、世間の就職事情でいえばなんの価値も認められないけど、実際にセミナー開催には必須で、会社に勤めるでなくセミナーを開く俺には有用、必須。

そういうふうに、どの資格が誰のどんな目的にとってどのくらい有用かは、一概には言えず、自分が決めること。 それをわかったうえで、資格を目指せばいいんじゃないかな。 資格取得には、お金も時間も労力も、家族や会社の人などへの影響&迷惑もかかるから、必要最小限かつ有効性最大にしたいよね。

(出典:2010/9/13のツイートより)
関連記事
スポンサーサイト