動じなくていいんだ

本格的に、ストンと腑に落ちて一本、筋が通った感じです。

シータヒーリングのDNA3クラスのなかで、創始者ヴァイアナ・スタイバルが、

「他人がどんなに、あなたのことを酷い人間だといって責めたとしても、それはすべて、その(責める側の)人の抱いた信念による幻想を提示されているだけで、真実そのものではない。だから、それを受け入れるかどうかはあなたに選択権があるし、受け入れないという選択をすることは可能なの。むしろ、そうした他人が作り上げた幻想で自分に望ましくないものを何一つ受け入れてしまうことなく自分の現実を創造できるようになるのが重要なの」

と言っており、それとシンクロして自分の身辺にも、まぁいちいちブログに書くほどのことでもないんですが、いろいろ起こっておりました。

ちょうどDNA3のペアワークで組んだ人たちからも、そこらへんを重点的にダウンロードしてもらえたし。
(面白いのは、私のほうからそこらへんをやってくれとお願いしたわけじゃなくても、霊視して『これやるといいって創造主に言われたんですけどやっていいですか?』という流れで自然とそこらへんを手厚くやってもらえる流れになっちゃうところ)

そうなんだよなー。何かを否定的・批判的に捉える一切合切の想念は、何一つ真実じゃないんだよね。

で、人間の魂の旅は永遠なのと同様、人はそれぞれ、独自のオリジナルな発展途上に常にあるわけで、いろ~~~~~んな、真実以外のパラダイムを持つ自由も、そのパラダイムを通して見えた世界に発言や行動を通じて関わっていくことも、許されてるんだ。

だから、他人のことをけちょんけちょんに貶したり、欠点を指摘したり、改善のアドバイスみたいな体裁をとって誰かの現状を肯定しない物言いをする人というのは存在しうるし(しうるどころかw)、そうすることも許されてる。

だから、自分が「ハァ?」と思うような発言・行動をとる人が視界に入っても、その人がそうすることは放任して認めつつ(というか邪魔したり否定・排除しようとせずに)、受け入れずスルーするという対応をとってもいいんだ。

肝心なのは、そういうものを自分が受け入れる気がないなら、受け入れないこと。影響されないこと。
怒りや憤り、悲しみといったありとあらゆる形のトリガーをされないこと。

それって、やっていいんだよね。安全にできるし、どうやるかもわかることができる。

なんだー、カンタンなことだったんじゃーーーーーーん!!!!!

今回アイダホに来ての収穫はそりゃあもう数えきれないほどあるのですが、これはそのなかでも現時点でベストといえる気づき&納得かも!!!

そんなわけで、もう動じません。あー、なんかラクになった。

P.S
自分はそもそも子供の頃から“何事にも動じない”ほうで、それゆえに、なんとしても泣くまで(=動じるまで)ボコボコに殴られたり山のなかに置き去りにされたり(←友達のイジメとかじゃなくて、(俺という子供を支配して征服したかったらしい)親からな)、いろいろされるなかで、

「あ、人間って、ある程度、周囲の空気読んで合わせて動じる演技しなきゃいけないんだ? そしてできれば演技じゃなくてほんとにそうなったほうがいいんだ?」

と思い込むようになり、あえて動じるにはどうすればいいかをイチから勉強していったという経緯もありました。

で、まあその体験はそれはそれで何らかの実りなりがあったとして、「動じられるようにならなければいけない、何かにつけて動じなければいけない」系の信念は全部、解除しました。
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