「修行系」の人は「孤立」のイシューを疑え

とにかくがむしゃらにやる、とことんまで自分を追い詰める。自分を犠牲にしてでも、果たすべき使命があると感じている。一瞬たりとも休まず、ボロボロになってもなお走り続ける。

そしてそんな自分を素晴らしいと、そうでない人はダメだと信じ込んでいる……。

いわゆる“修行系”の人にありがちな傾向ですね。

結果を伴う修行系(後述の『健全な修行系』)ならいいのですが、

「そこまで自分を追い込んで厳しくストイックに生きてボロボロになってるくせに、なんでそのへんの人よりぜんぜん成果が出てないわけ?」

という人は問題なわけです。苦しむことが手段ではなくて目的と化しているのです。

こういう修行系の人に、それが必ずしもあなたにとってベストではないと告げて納得してもらうのって、けっこう大変です。

苦労して、精進して、もっと先を永遠に追い求め続けて決して満足しない、歩みを止めないことそのものが、その人にとって生き甲斐になっていて、他の生きる指針を知らないからです。

私は何度も、こうした人と向き合ったときに、「修行をせずに生きるのって素晴らしいよ啓発系」ともいえるアプローチをしてはうまくいかなかった経験をしてきました。

で、最近、コツというか、この手のクライアントに対してわりと有効なアプローチポイントを発見しました。

孤立に関するイシューを見ていくことです。

そういう人ってほぼ例外なく、いわゆる「友達の輪」に入れなくて,そんな自分がみじめで、でも「自分はみじめだ」ということを受け入れるのはあまりにも苦しくて、そこで、

「そうだ、自分には、使命がある。やるべきことがある!ほかの連中みたいにキャッキャキャッキャはしゃいでただチンタラ楽しそうにしてる人間はダメだ!」

という結論に(往々にして)辿り着くのです。

それはつまり、そう思い込むこと自体が、「楽しそうにしているみんな」へのアンチテーゼなのです。

そして、決して達成できない目標に向かって辛い思いをすることや、過剰なまでに自分に苦労を強いることをもってして、

「ほんとはみんなが羨ましい。自分もみんなの輪に入って、一緒に遊んで楽しい思いがしたい」

という本音を抑圧して、抑圧していることそのものを忘れようとします。そして、楽しい思いがしたい自分の本音がわからなくなるくらいに自分を痛めつけて感覚を麻痺させているのです。

修行系の人が自分自身を痛めつけ続けて休むことをしないのは、そうしないと感覚が回復してしまい、「ほんとは寂しいからみんなと一緒に楽しみたい」という、自分の押し殺し続けている本音が浮かび上がって来てしまうからです。

それは彼らにとって不都合でもあり、耐えられないことでもあるのです。

そうなってしまっては、修行系である自分の信条が根本的に間違っていてナンセンスで無意味だということを認めざるを得なくなってしまい、自分の生きる根本指針が崩壊してしまうからです。

さらに、ある程度、修行系として時間を生きてしまうと、その時間が長ければ長いほど

「“修行系で生きた時間”が自分の人生の一部(もしくは大半)になっており、その時間を大切に思うあまり、まさかその過ごした時間が無意味だったと思うなんてつらすぎてできない(もしそれを認めたら、自分の人生そのものが無意味だと認めることになりそうで、そんなの苦しすぎる)」

という気持ちが強固になっていくのです。それがよりいっそう、彼らの、修行系の生き方への執着を頑固なものにしていきます。

実際は、

「子供の頃から何不自由なく育ち、幸せいっぱいの家庭で、大勢の友達と毎日楽しく笑って暮らしながら生きていながら、修行系」

という人って、かなり珍しいです。

(なかにはそういう人もいるにはいるのですが、そういう人は『ただ苦しみ続けること』が目的なのではなく、きちんと結果を出します。手段に必要な苦労をなるべく少なくして最大の結果を得るには、というところにエネルギーを注ぎ込み、注ぎ込んだ分の“元手”はなんとしても回収しようとする。ある意味、『健全な修行系』に育ちます)

だから、無為な修行系に陥っている人には、それをやめるよう説得する前に、

・自分は他人や社会から受け入れられうる人間だ
・他人から攻撃されることなく、温かい人情を通わせられる

といった、「社会や人間のコミュニティに対する認識の歪み」を正して、自分がこの社会でポジティブな収穫を得ながら生きていけるだけの人間だという自信を持ってもらうことが肝心なのですね。

裏を返せば、そこがしっかり根付けば、わざわざ「理不尽&無為な修行系」を続けようとする人はいませんw

ご参考までに。

P.S
政治や宗教の過激派団体などは、新入りを勧誘する際に「孤立しているかどうか、不幸そうかどうか、不満たらたらであるかどうか」を見るのだそうです。
友人に囲まれて楽しく幸せに暮らしている人は、そういう団体が勧誘してもノってくる可能性が低いようです。
そもそも不満があり、うっぷんが溜まっており、やり場のない憤りや怒り、悲しみを抱えている人間に対して
「これは全部、世の中が悪いせいだ。人間の大半が堕落してしまったからだ。お前が苦しんだ理由はそこにある。目を覚ませ、一緒に堕落したこの世を変えようetc」
と訴えかけたほうが、たしかに成功率は高いといえるでしょうね。
修行系の人というのはいわば、この図式を一人芝居で演じた形、といえそうです。
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