原文(英語)でシータヒーリングを学ぶ重要性

物議をかもすつもりはないのですが、シータヒーリングを学ぶなら、創始者ヴァイアナ・スタイバルの母国語である英語の原文に触れないとダメだな、と痛感しています。

日本語をはじめ各国語にテキストを翻訳したり、セミナーを通訳する方が尽力しているのは重々、承知しており、その努力は素直に賞賛すべきものだということはわかっているのですが、テキストにしてもセミナーでの話にしても、原文じゃないと哀しいほどに伝わらない、もっといえば、歪曲されてしまう部分があまりにも大きいと感じます。

たとえば、「信念の置き換え」という表現。

私は日本語のテキストに触れているとき、「信念」という単語を、「これまでの自分が頑なに信じ込んでしまった、必ずしも真実ではない思い込み」というニュアンスで受け取っていました。

そしてそれ自体は、間違っていないと今も思います。

が、だからこそ、「新しい信念に置き換える」という概念に対して懐疑的でした。

「なんでわざわざ、新しい思い込みを入れなあかんねん?ええやんか真実を教えて最高最善の感覚感情の呼び覚ましだけやってれば。それで充分やろ」

というふうに。

が、英語であらためて注意深くテキスト(応用の第1章)を読むと、

「信念の引き抜き(pulling beliefs)」

の後には、

「プログラムの置き換え(replace program)」

と書いてあるんです。

プログラム!!

で、このプログラムという単語の定義についても、「脳内に新たに生み出されるシナプスの回路云々」と書いてあって、英語でその文章を読むか、忠実に一言一句もらさず、ニュアンスもまったく変化させずに別の言語に翻訳した文章(←存在しうるならば、の話ですがw)を読まなければきちんと理解できないと感じました。

繰り返しますが私は、日本語をはじめ英語以外の言語に翻訳されたものや、そのサマライズとして存在する各国語のテキストが、「間違っている」とか、「劣悪だ」と一蹴するつもりはありません。

便宜的に、テキストの見出しなどに原文にないニュアンスの表現があったとしても、それをもってして「害悪」と断じるのは行き過ぎだとも感じます。
逆に言えばテキストがどれだけ正確でも、読み手が誤読したらアウトなわけで、だからこそ対面のセミナーで教える意義があるのだとも思いますし。

だから、日本語でしかシータヒーリングを学んだことがないプラクティショナーやインストラクターのことを「ダメだ、ニセモノだ、インチキだ」とも、まったく思っていません。
(テキストがどうあれ、シータって『創造主と繋がってコマンドして観届けるという“共同創造”』が実現できていれば、ある意味、それで充分だと感じるので)

ただ、原文でないと伝わらないニュアンスや、翻訳の際に失われた原文のニュアンス、または“翻訳時に新たに生じた原文には無いニュアンス”が、ときとして、読み手を混乱させたり、本来なら抱かずに済む疑念を生み出しうるケースはあるのだなというふうに感じた次第です。

アイダホに来て感じたことですが、なんとなく感覚でシータのエッセンスを掴んでいくナチュラルサイキック要素の強い人のほうがこういった『罠』には引っかかっておらず、むしろ理論派というんでしょうか、言語でも理屈でもきっちり理解したいという、ある意味で責任感の強い人(でありながら言語の壁を超えることがまだできていない人、英語での文献や話に直接、触れていない人)のほうが、翻訳や通訳の際に起きた些細なズレを拡大解釈してグルグル混迷する傾向が強い気がします。
(特に先日、浮遊霊の解釈についてヴァイアナがこれまでにないほど斬新な、おそらくシータヒーラーたちにとって非常に重要なことをしゃべったのですが、よほど受講生たちにブロックが入っていたのか、英語を直接聴いている人がまず(わりとみんなっぽい)突然、頭が真っ白になり、また通訳の人もぜんぜん訳すことができなくなり、したがって通訳を聴いて理解しようとする人はもっと理解できないという不思議な事態が生じました。シータの場合は特に、単純にデータとしての整合性のほか、『情報の受け手にブロックがあるかないか』で理解度が変化する話題が少なくないので、おそらくよりいっそう、情報の真偽や解釈を巡って紛糾しかねない事態が引き起こされやすいという側面もあるのでしょう)

……なんて偉そうなことを書いている私自身、どんだけ英語ができるんだよ!?と言われたらまだまだで、世間一般でいえばどちらかというと「できないほう」に分類されるのは自覚も承知もしています。
でも、だからこそ、英語で、原文でシータの神髄に触れようとする気概と、それを実現するために必要な努力&行動を起こす上では妥協したくないと思っています。

それもこれもすべては、自分はシータヒーリングがとても素晴らしいと感じたし、シータヒーリングをプラクティショナーとしてもインストラクターとしてもたくさんの(それを欲する&受け取る準備が整った)人たちにお伝えしていきたいし、そうすることが自分の人生にとってとても有意義だと感じるからなんですよね。
(だから、そうでない人ーーたとえば『あ、シータ? うん。流行ってるよねー。いちおうサイエンスまで取ったよ。アイダホまで行って。でももう忘れちゃったなー』程度の位置づけの人ーーが無理にシータヒーリングに没入する必要はないと思ってます。そういったシータヒーラーに対して『この不届き者!もっと精進せい!!』などと自分と同じような熱情を持てと強要するつもりは毛頭ありません)

個人的には、できるだけ多くの人に、きちんと英語でシータに触れてもらいたいな、そうなれることを意図して行動する人が増えたら素晴らしいだろうな、と思っています。
関連記事
スポンサーサイト