ないものねだりの願望実現

ヒーリングやスピリチュアルについて学ぶずっと前から、自分はわりと願望実現力があったほうだと思います。
(というか、いわゆる『信念のブロック』が、他の人と比べて極端に少なかったので、『人間誰しもが平等に持っているがブロックのため本来の力を発揮できずにいる』ことが多い願望実現力が、わりとスムーズに通るほうだったということなのでしょう)

基本的に、自分の想い通りにならないことがなく、子供の頃から自分が思い描いていたとおりに生きてきました。
自分が思ったことはそのとおりになるらしい。
そしてそれは、珍しいことらしい。
そのくらいのことは、幼稚園の頃に自覚しました。

が、私のなかにはそれで困ることが2つ、ありました。

1.自分自身のなかに破滅的な思想があり、うまくいかない現実をわざわざつくってしまう
 (のを自力では止められない←それが気持ちいいのでw)。

2.自分自身が望んだとおりになりすぎるものだから、生きるのがつまらなくなってきた。
 「思いもよらないこと」
 が起きないかな、と願いつつ、どこまでいっても自分の思いもよることしか
 実現しえないようだという事実を突きつけられてこの世にうんざりした。

ことです。

それで、自分で自分の能力を制限するような呪縛を自分自身にかけたり、わざわざ自分の能力を対価として差し出して自分は何も恩恵を受けないという、本来なら得することが何も無い契約をわけのわからないエンティティと結ぶことで自分を無能化したり、ということに尽力しました。
(シータを始めてから私がクリアリングをするうえで一番苦心したのは、幼い頃の自分が自分自身にかけたこれら呪縛や封印の類いでしたw)

自分の願望“以外”のエネルギーで、自分の現実に何かが起きないだろうか。
それをずっと夢見ていました。

エネルギー的に呪いをかけるだけでは飽き足らず、放っておくと人気が出て成績優秀&運動神経抜群という、いわゆるモテ筋の王道を行ってしまうので、目立たず評判のよくないクラスメイトの動作や喋り方を真似してみたり、いわゆる「険悪なムード、しらけた雰囲気」などが発生したときはすかさず、誰のどんな行動がそれを誘発したのか空気を読み取って、自分でもできるように研究しました。

体型も、特に問題ない(というよりは、スタイルが良い)感じだったので、わざわざ砂糖を何十杯も入れた紅茶をガブ飲みしまくったりスナック菓子を大量に食べたりして不健康に太ることを心がけました。

いったいどうやれば人から嫌われて、人生がうまくいかない人間になれるのかを必死で探求しました。

ものすごく真剣にそうしたテーマに取り組んだので、だいたい高校生くらいになると、「どんな人からもぜったいに嫌われる自信」がつきました。

自分のなかで、「とはいえ高校まではしっかり勉強とかしとかなあかん」という認識があり、成績で落ちこぼれるのは避けたため、必然的に多少はしっかりせざるを得ず、嫌われたいのか好かれたいのかどっちつかずの生き方をしてしまいましたが(←このへんで人並みにおっかなびっくりできるようになっている)、大学に入ると箍(たが)が外れたかのように「嫌われる、どうしようもない奴」を演じるのに興じました。
(これはあまりにやりすぎで、私は大学時代の友人と今では1人も連絡をとれていません。おそらく大学時代の私を知る人に名前を出したら、『嫌いすぎて話題にもしたくない』といった反応を返す人がほとんどでしょうw)

その「遊び」は大学時代だけでは物足りなくて、よりによって社会人になってからも続きました。
特に新卒で入った会社では、まともにキャリアのことを考えたらぜったいにできない、、、という以前に、社会人ならぜったいにすべきでないことを片っ端から思いつく限り、やりました(よくクビにならなかったもんだ)。

そうした遊びも気が済んで、さあこれからはいよいよ本チャンの人生いくか、と思うタイミングで会社と声優学校の両立をスタートし、学校を卒業してプロダクションのオーディションを受けて合格して入所できたタイミングで会社を辞めました。
(実はこの、声優事務所に入ったのが、自分の人生の前半の『悪ふざけ』に完璧に終止符を打つきっかけとなりました。名前を出すのは本人の許可がとれていないのでやめますが、声優業界の大・大・大・大御所とでもいうべき声優の方にお会いして、その覇気と洗練された曇りない美しい波動、とうに還暦を過ぎてもなお青年のような若々しい健康的な肉体と悪意の無い健全なマインド、一朝一夕では到底身に付かない芸の力量に、『自分、なにやってたんだろう』と大ショックを受けました。べつにその方が私を叱ったわけでもなんでもないのですが、こんな素晴らしい人間としての在り方ができるのなら、最初からそれを目指す方向にエネルギーを使えばよかった、と取り返しのつかない後悔をした心地でした)

そこで気がついたのは、

「結局、自分は、自分で思い描いたとおりの人生を生きているんだ」

ということでした。

孫悟空がどんなに遠くまで雲に乗って飛んだつもりになっても、しょせんはお釈迦様の手のひらの外にすら出るに至らない、、、というエピソードがありますが、まさにあんな心地でした。

どこまでいっても、自分自身の意図からは逃れられないと悟りました。
自分の人生に、自分の意図の及ばない領域は存在しえないのだと気づきました。
ある意味、腹が据わりました。
「しゃあない。これがこの世のルールなら、それに則って生きたるわい!」
こんな心境に至りました。

厳密にはこの後すぐに改心してポジティブな方向にまっしぐらに向かったかというとそうではなくて、声優事務所を今度は幽霊所属声優化してこっそりベンチャー企業出版社に就職してしまったりと、自分のなかの悪ふざけの要素が悪あがきをしはじめるのですが、それはそれで今度は、自分の想い通りに生きるのを楽しむニュアンスが生まれていました。矛盾するようですが、ちゃんとした編集者になろう、という意気込みもそれはそれであったりして。

そんなこんなで、だいたい生まれて物心ついてからの30年間は、自分の意図が現実を創るとはどういうことなのかを、体験を通じて納得いくまで実験して検証するフェーズだったように思います。
まっとうに生きていくのを良しとする価値観の人からみたら、どれだけ破天荒で向こう見ずなんだという感じでしょうか。

でも、自分のなかで心の底から
「もう実験はお腹いっぱいです」
と思っているフシは着実にあり、これからはこれまでの実験を通じて身につけた願望実現ノウハウを、いよいよ自分のなかのポジティブな意図に投影させていくフェーズかもな、と思っています。

どんなポジティブな意図を現実に反映させていくのか、自分自身でまだ把握できていない部分もありますが、すくなくともこれまでの私の人生で感謝すべきことは、先に挙げた大御所声優の方をはじめ、圧倒的な素晴らしさを体現している人たちにお会いできたことですね。
これは、自分が雑誌記者として著名な企業家を取材したり、声優のはしくれとして業界の第一線で活躍する俳優やダンサー、音楽家といったプロフェッショナルな芸術家たちと直に接する機会なしには訪れなかった幸運だと思っています(←まあ、それも自分が意図して自分勝手に実現しただけっちゃだけなんですけどね←いや、でもその意図が実現したということは、相手もそれを承諾したってことだからいいんだ)。

「あんな素晴らしい人に、どうやったらなれるんだろう。どうしたら、あそこまでの輝きに一歩でも近づけるんだろう」

これからの私が何をやっていくにせよ、この動機で最良と思ってしたことなら、悪いようにはならないだろうし、なったらなったでそれも一興ってとこかな、と思ってますw
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