自分自身が平穏であること

人間って、たとえば1時間怒ると、体のpHバランスとかホルモンとかその他もろもろの変化がその後も7~8時間くらいは続くという話がありますよね。

最近、日常生活を送るうえで、そういうことに気を配る(気を遣う、じゃない点がポイント)ようになりました。

ヒーラーとしての、ある種のプロ意識ともいえるのかもしれません。

午前中に起こった何かが、午後からの仕事のパフォーマンスに影響するとしたら、って考えると、おろそかに浅はかに行動を選択したりそれにかかる時間配分をテキトーにしたりはできないな、というか。

わかりやすく言うと、洗面器に水を張ってそれを揺すると、水面が波立って落ち着くまでに時間がかかりますよね。これが自分の心身の状態だとして、ゆめゆめ、波立ってる状態で仕事に向かうべきじゃないな、というか。

ヒーラーとして云々を抜きにしても、1人の人間として楽しく人生を送るうえで、こういう観点って有用だなあと感じることが最近とみに多いです。

ショックを受けたりスパルタ的に自分を苛めてしごいたり喜怒哀楽の嵐のようなドラマを演じたり、という極端で強引な方法で学ぶ段階は、とうの昔に終わったというか。
ここからは、それまでに身につけたいろんな学びやら気づきやら知識やらスキルやらを統合して、いよいよ極楽さながらの現実を生きる準備が整ったというか。というか、そうできるしそうしていいなら俺はそうするよ、みたいな。

もちろん、平穏であり続けることに固執したりそれができることをステータスと感じたりするわけじゃなく、アクティブに動いて興奮したりするのがベストでそれをしたいタイミングだったら普通にそういう状態になるのも楽しむし、安全にそういう変化を体験して無事に乗り切る自信もある感じです。

でも、というかだからこそ、普段は平穏にちゃんとメンテしておいて、動くべきときにちゃんと動けるようにしておく、というか。

話が若干、ずれるかもしれませんが(いや、ずれない自信アリ)、労働時間についても、以前より短縮して利益は以前より多くして、という工夫をしています。
効率や成果といったものを度外視して、ただがむしゃらに長時間働いていることをもってして
「自分は堕落していない、ちゃんとした人間だ。俺って頑張ってるー!」
という自負を抱いて(みんなと同じように苦労してないと世間や周囲からつまはじきにされるんじゃないかといった、集合意識に対する漠然とした恐怖へのエクスキューズを整備して)ホッとするという図式も、とうの昔に卒業してる感じで。

よく考えたら会社組織なんかでも、責任をドンと担ってる管理職・経営者の人って、「取り乱す」とダメじゃないですか。
仮に、ものすごくヤバい状態に本当になってるとしても、そこで慌てて平静さを失うメリットは何もないことがほとんどなんです。
だったら平常心で対処しようよ、って。
会社で働いてないにしても社会的責任やらを背負ってないにしても、私たち人間は、人間として生きているというだけで「自分自身という人間の人生の、総責任者(そして代理がいない)」なわけで。
だから、平静で人生に臨む、意思決定をするというのは、自分自身の本来の実力を100%発揮するうえで、存外に大切なことだと思うわけです。

そんなこんなで自分のなかでは、自分が常に平穏であること・平静さを保てていることの重要性がとても大きく&高く、それを実現するための努力は惜しまないという状況になってきています。

極論すると、ヒーリングの能力を身につけて使うことや、アロマなどのリラクゼーションの手段に造詣を深めることは、自分自身が平静でい続けるため(平静でいられなくなったときの対処をすみやかにベストに行うため)ともいえるわけです。

そして、「平静さを身に付け、平穏を手に入れたうえで、この人生で何がしたいか」を確立して実践して成果を得ること(←ふだん平穏でいるメリットがこうしないとあらわれてこない)。
この、人生で何がしたいかの部分を見極めるのが一番、難しかったりするわけですがw

でもね、私の経験則の範囲内での実感で恐縮ですけど、がむしゃらに働いたり、ものすごくテンションを上げて(痛いくらいに)活発にはしゃいだりあちこち動き回って忙しくしたり、嵐のような人間関係やらシチュエーションやらの激しいドラマのなかで生きることを持ってして「人生を謳歌してる/ちゃんと人間的に成長できている」などと思っている人の大半は、

「実は自分がこの人生で何がしたいかがわかっていないので、とりあえずそういう代替案で“一見、頑張ってて充実してるっぽい”状況を演出して、そのニセモノの感慨・状況をホンモノだと言い張って周囲に弁明し、自分自身を騙してやりすごしてる」

だけに見えるんですよね。
まあ、それが「大半」とか「多い」という主観的な表現で言うのは私の価値観であって真実ではないのですが、少なくとも以前の私自身はこのクチでした。
(そして、『類は友を呼ぶ』式に、そういう状態の私の周囲には、似たような状態の人が大勢いた--から私からは『大半の人はそうだ』と見えた--のでしょう)

もちろん、そうじゃなくてほんとにすげーな、この人は自分の自由意思で、ほんとにこれが人生でやりたいことだとわかって全力尽くしてるな、と感じる人もいますよ^^
(そして、そういう人は、周囲から見ると『忙しそう/大変そう』に見えるんですが、本人はそう思ってないことが多いです。これまた私の個人的な感慨ですが、『忙しい』という状態は、最上の状態・ペースで仕事なり生活なりの“物事を処理する能力の欠如”により生じる障害だと感じます)

まあそんなこんなで、平穏であるには、平穏であり続けるにはどうすればいいかというのが、個人的なマイブーム真っ最中です。

P.S
大学生の頃は、平穏でまったり(というよりダラダラ)生きて、すごく罪悪感やら時間を無駄にしてもったいない感じやらがつきまとったものですが、実質的にやってること(≒時間の過ごし方)は同じなのに、こうも充実感が違うのはほんとに不思議だなと思います。
それはおそらく昔の私が『休息することの意義と大切さ、その休息はなんのためにあるのか、休息をとったうえで全力をもって臨みたいものはなんなのか』が見えてなくて、今は見えてるところに鍵がある気がします。
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