アナトミーにかける野心

いまでこそDNA3や何やらといわゆる「上級クラス」が登場しましたが、私がシータを始めたとき事実上、受講可能な最高峰のクラスといえば超感覚的解剖学(インチュイティブ・アナトミー)でした。

「応用受ける?どうする?まさかアナトミーまで狙ってる?」
「え!まさか、ムリムリ!!」

「○○さん、今度アナトミー出るらしいよ」
「マジで!?本気なんだね!!」

こういう会話がそこかしこで聞かれました。

なんとなく、シータヒーリングプラクティショナーの間でも、アナトミー卒というのはある種、ブランドというか一種の「凄み」を感じさせる位置づけでした。

私は当初、基礎講座だけチャラっと受講したらそれで終わりにするつもりでシータを始めたので、アナトミーの存在を知ったときには

「よっぽどすごい人かよっぽどおかしい人か、相当なマニアしか出ない、アブないクラス」

という印象でしたw

でもいざ自分がヒーラーとして独立するという段になって、アナトミー受講は避けては通れない「関門」のような位置づけになっていました。
DNA3に出たいからとかではなく(←まだDNA3の全貌が明らかになっていなかったので)、

「会社を辞めてまでヒーラーとして身を立てて立派にメシを食うとなれば、そのくらいできなくてどうする!」

といった、多分に体育会的な、男臭いノリでした。
(私はもともと金融機関やベンチャー企業、声優・ナレーターといった“ほんの少しでも弱みを見せたら・周囲に遅れをとったら誰からも相手にされずに置いていかれて足蹴にされる弱肉強食の業界”にどうにかぶら下がって生きてきたので、こういうときはやりすぎなほどに力が入ってしまう性質でした)

そして、一足先にアナトミーに参加した知人のプラクティショナーが、アナトミー中にそのあまりのリーディングの的中率に「待ち行列リスト(Waiting List)」ができたという話を聞いて、

「なんとしても自分はアナトミーに出たら、待ち行列リストができるところまでのパフォーマンスを見せてやる!」

と意気込んでいました。

これは、ちょっとやそっとの挑戦意欲ではなく、もしアナトミー受講中にそれが果たせなかったらヒーラーとしての独立なんて大それたことは自分には無理ということだからやめよう、潔く転職先を探そうという、背水の陣ともいえる覚悟でした。
(私はちょうど、アナトミー出席のため長期休暇を取得しなければならないことを契機に、いっそこのタイミングで会社を辞めて独立しようとしていたのでした)

だから、アナトミー中は必死でした。

自分の深い内面と向き合ってクリアリング、という題目すらお遊戯に聞こえるほど一瞬一瞬が「勝負」といった雰囲気で(←まあこれは私が多分に闘い系の信念体系を持っていたからなんですが)、どんなに自信がなくても誰よりも優秀だというそぶりで堂々と振る舞っていました。
不遜な態度だと思った同期もいたかもしれません。
でも私のそういった態度はあくまでパフォーマンスで、内心はドキドキビクビクして、

「もしこのアナトミー中に待ち行列リストができなかったら、シータからはきれいさっぱり足を洗う!」

とまであえて自分を追い込んでいました。

実際は、そうした青臭い、いかにも少年ジャンプ読んで育ちました的な流れにはアナトミーはならず、生まれてから一度も経験したことのない安堵や、同期の仲間を信頼する感じ、自分から自分の殻を破って相手に生身の姿を晒してコミュニケーションをとるとはどういうことか、そうするとどんな素晴らしい気持ちになれるのかということを初めて知ることの連続でした。
まさに奇跡のような日々でした。

そして、「待ち行列リスト」という“紙媒体”こそできなかったものの、仲間内で信頼を得ると、休み時間やセミナー終了後に
「ちょっと、来て!」
とお呼びがかかってうまくクリアリングが進まない同期に力を貸すことになったり、

「明日、○○(←消化器系、などその日に扱うテーマ)じゃないですか。私、是非ともまさるさんにやってもらいたいイシューがあるんですけど、もうペアワーク組む人、決まっちゃってますか?空いてます?」

といった“ご指名”をいただく機会がちょくちょく現れました。

それは鼻息荒くしてゲットする勝利の証というよりは、ごくごく自然な形でもたらされました。

そうして迎えた最終日、私にとってアナトミーの卒業式は、

自分がプロとして独立できるヒーラーなんだという確証を持った“記念日”

ともなりました。

そんなわけで私にとって、30歳を越えて会社を辞めて無職の身で都内から毎日つくばまで電車で通って参加したアナトミー、そしてその2009年の夏という時間は、ちょっとだけ特別な意味を持っているのです。

P.S
最近は、アナトミーが以前に比べて数多く開講されるようになりましたよね。
そしてアナトミーよりも上のクラスが存在する分、アナトミーの位置づけ、、、というか、“箔”のようなものが、若干薄れたような気がします。

それ自体は良いことでも悪いことでもないのだと思うのですが、

上級クラスにはやく出たいから“さっさと済ませなきゃいけない通過儀礼”

といった側面(以前は明らかになかったニュアンス)が生じはじめている印象があります。

駅のスタンプラリーのような、はやく全部のクラスの修了証を集めたいという「コレクター願望」でセミナー制覇するのが目的、のような。。。

全員が全員そうではないし、また上記のような動機で出席することは何ら悪いことではないのですが、自分は人一倍、アナトミーに懸ける想いが大きかっただけに、なんとなく寂しいような残念なような気持ちが少しだけあります。

そして実際、
「アナトミーに出たけど、思ってたほどでもなかった。もう少しなんかすごい何かが待ち受けてるのかな、って期待してたんだけど」
といった感想を漏らす方の声を少なからず聞くようになり、他人事ながら胸が痛む心地がします。

でもそれは受講時期の問題だけではなくて、私が受講したずっと前にアナトミーを受講しても、それがさほどの意味を持ち得なかったと感じた人たちはいたわけで。

要は、自分次第なんだと思います。

「ここにくれば、なんかあるだろう。なんかもらえるだろう。なんか施してくれるんだろう。なんか楽しませてくれるんだろう」

そういった受け身な姿勢では、アナトミーに限らず何事においてもたいした成果は得られなくて当然、空振りに終わっても文句は言えないんじゃないかな、と思います。

同じアホなら踊らにゃ損損、じゃないけれど、同じお金と時間を費やすのなら、人一倍の労力を「楽しむ」ほうに注ぎ込んで、ほかの人の何倍も充実した時間を過ごしてやればいいのに。それは他人がお膳立てしてくれたらそうするというものじゃなくて、誰に言われたわけでもなく、むしろ多少抑えつけられたって臆せず退かず、自分の想い通りに好き勝手やらかしちゃえばいいのに、と思うんですよね。
(あ、これ、私の母校の思考パターンだ。こういうところで“お里”は知れちゃうものなんですかね)

アナトミーが期待以下だったことをブーブー言うハメになるくらいなら、周囲を焚き付けて主導権握って、期待以上のセミナーに自力で変えちゃえばいい。

じゃね?
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