「ネガティブなことが起こったときの対応策」を意図しない

現実は意図がつくっているっていうから、意図してみたけどぜんぜんその通りにならない!

これって、スピリチュアルなことに踏み込んだ人が中盤くらい?で抱きやすい悩みの代表格だと思います。

その原因は千差万別なのでここで全部解消とはいきませんが、1つ、やりがちな落とし穴について書いてみます。

それは、

「ネガティブな事象が起きたときにどう防ぐか、回避するか、弁明するか」といった“ネガティブ状況のシミュレーション”を意図に含めてしまうこと

です。

これだと、(安直な言い方で恐縮ですが)「ハッピーな毎日」は実現しにくいです。
意図のなかに、ネガティブな事象が起こりうることを含んでいるからです。

「ええっ?でも、ネガティブなことがこの世から完全になくなるなんて無理でしょう?」

という違和感を覚える方はいると思います。

ここで重要なのは、ネガティブなことが絶滅することを願うことや、それが可能かどうかを考えることではなくて、

この世にネガティブなものがあるのは認めつつ、そういう存在や概念、そういう思想を抱く人の存在はありのままに認めてなんの反発も嫌悪感も抱かない。
それでいて、自分が抱く“実現化したいこと”にはそういったものを介入させない


ことです。

たとえば劇の台本に、

「もし舞台装置の転換が遅れたら○○役はこうする。
 万が一、△△役がこの台詞を忘れたら、□□はこうフォローする」

などと、ネガティブな事象が起きたときの対応策がこと細かに書いてあったら、それを読む役者は困惑しませんか?

劇の最中にそういったネガティブなことは起こりうるとしても、そうなったときの対応をわざわざ台本に書く脚本家はいませんよね?

“最高にうまくいったときの展開のみ、正しい台詞のみが台本に書いてある”ものでしょ?

自分の現実を創るときは、自分自身が脚本家。
台本を書くときは、正しい台詞だけを、自分の理想とする筋書きだけを書けばいいんです。
ここでいう役者とは、自分の書いた台本の実現のために働く、この世のすべての力やエネルギー、エンティティたちを指します。
ちょっとやそっとのミスや都合の悪い出来事は、彼ら役者自身のほうでうまく処理してくれるものなのです。うまい役者を揃えてさえいれば。

ようするに、自分の運命・現実という劇の台本の脚本家であるあなたがすべきことは、

・最高の台本を書くこと
・最高の役者を揃えること
・その役者たちに主演俳優兼演出家として指示を出す(行動する/働きかける)こと

だけなんです。

・自分の理想とする舞台演劇の実現に向けて役者やスタッフに指示を出して積極的に動く作家

と、

・(肝心の、役者たちへの指示や演出をほったらかしにして)もし役者がミスしたら、スタッフがヘマをしたら……という心配とその対応策を練るに終始する作家

どっちがうまくいくと思いますか?

例え話が行き過ぎたので具体例に話を戻すと、

「もし私が~~したとき、○○さんから『~~~』って言われたらどうしよう」
「~~~が起きないように、前もって□□しておけば大丈夫かな」
「万が一、~~なのかって疑われたら、~~だって言えばどうにかなるよね」

といった、“よくないことが起きたときの対応”を意図してばかりの人というのは少なくないものです。

・友達から馬鹿げていると思われないか、誤解されないか、恥ずかしい思いをしないか
・簡単な目標すぎて飽きたり失望したりしないか、自分がやりがいを感じられないのではないか
・壮大な目標すぎて途中で投げ出したり、失敗だと感じて手痛い傷を負ったり自信を失ったりしないか

そういった動機だけで何かをやると、無難にはうまくいくかもしれませんが、無難なままです。
それは「満ち足りた平凡さ」とも異なり、常に萎縮と警戒、それに自分の力を出し切れていない不完全燃焼感が伴います。

意図しても物事がうまくいかないという人は、祈るときや願うときではなくて(←そういうときにポジティブなことを思い描くのはある意味、アタリマエなので)、普段の何気ない行動の最中に自分が何を考えているか、に注意を払ってみるのも一計だと思います。

1日のうち、17時間起きているとして、そのうち3分間はポジティブなことを願い、祈る時間だとします。
そして残りの16時間57分間、ネガティブなことへの怖れやそれが起きたときの対応策を思い描いているとしたら、あなたの「意図」の総和って、どんなものになっているんでしょうか?
そして、あなたの『意図の総和』が現実を創り出したとしたら、本当に、現実とあなたの意図との間にズレはあるものなのでしょうか?

このへんに注意を払うと、けっこうな発見があるかもしれません。
なかったらごめんなさい。
関連記事
スポンサーサイト