修行系の人生を軽蔑しない、否定しない

というのは基本だなー、と思います。
基本的すぎていまさら何を、と思われるかもしれませんが、スピリチュアルなことを体験・学んでクリアリングをしていくと、

「なんで昔の自分はあんなに辛いことをわざわざ選択したんだろう(修行系の人生を送ってきたんだろう)」

という気持ちが沸き起こってきがちですよね。
それ自体はべつになんともないわけですが、そこから派生して、

「だから、修行系の人生はよくない」

という信念を持ってしまうのはいかがなものか

と、自省するなかで気づきました。

世の中には、修行こそが生き甲斐!という人が(大勢)います。
彼らが間違っているわけでも、愚かなわけでも、無知なわけでも、劣っているわけでもありません。
“そういう選択をしている”だけなんです。
そこには、クリアリングでラクな人生を送るという選択をした人と比べて、優劣やすごいすごくないといった何らの差があるわけではありません。

仮に、ヒーリングを習得してさまざまなブロックを解除していったとして心がラクになって魂の波動が上がったとか悟りを開いた人になれたとしても、だからといってネガティブな想念にまみれて真実以外の信念にがんじがらめに縛られている人よりすごいわけでもなんでもないのです。

これは、修行系だけでなく、二元性に囚われている人(『サタンに心を蝕まれた哀れな人々よ、改心しなさい』系の人や、悪魔崇拝・黒魔術にどっぷりの人の両方を含む)や創造主以外の霊的エンティティとのチャネリング・霊能力を駆使している人たちにもいえますね。

修行系一辺倒の人生を送っている人も、
善悪の二元性に囚われまくっている人も、
呪いだの封印だの錬金術だのといった霊能力ごっこに興じている人も、
悟りを開いて解脱した人も、

みんなおなじ、尊い存在なのです。
誰かが間違っているとか、悔い改めるべき人というのは、(真実の観点からいえば)いないのです。

だから、スピリチュアルなことを信じないで“いわゆる世間的な『常識』を絶対の真実だと思い込んで生活している”人や、スピリチュアルではあっても守護霊やら何やらで戒律に縛られまくっている路線に行ってしまっている人がいたとして、

「うわー、かわいそうに。バカだねぇ、真実をちゃんと見られなくて。その点、私のほうがクリアリングできて真実を知ることができてすごいもんね!みんな、いつになったら気づくのかな」

という気持ちがほんの少しでもあるとしたら、(クリアリングを目指す路線で生きるなら、という前提つきですが)想像以上にあぶないことだと思います。
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