自己啓発本中毒だった頃&個人的リカバリー法

自分がいわゆる「自己啓発本」に初めて出会ったのは、高校3年のときでした。

大学受験しようか音楽の道でプロデビューしようか迷っていて(←シレッと書くと都合いい響きだなァ、まぁいろいろあったのよ、当時)、もし大学受験するにしても受験勉強の類いはできればしたくない、でも推薦はもらえそうにないし(←素行が悪かったので)、ラクして大学に受かる方法はないものか、と思っていて偶然発見したのが、いわゆる「勉強(の仕方を説いた)本」でした。

勉強本というのは私が個人的に呼んでいるジャンル名にすぎないのですが、ようするに効率的に勉強をする方法やら受験テクニックやらを書いた本のことです。
いまでは勝間和代さんや本田直之氏をはじめ、あまたとあるこのテの本ですが、当時(1995年頃)はまだマイナーな位置づけだったように思います。その頃のこのテの本で代表的な著者といえばダントツに和田秀樹氏で、資格の勉強法まで視野を広げると黒川康正氏などがメジャーでした。

あ、まだ自己啓発本には出会ってませんよ、この時点ではw
(前置きが長くてすいません)

で、自分が偶然みつけた「勉強本の聖書」ともいうべき本が、有賀ゆう氏による「スーパーエリートの受験術」でした。
(いまみたらamazonですげえプレミアがついて20万円以上の価値になってる!!←社会人になる頃まで大事に保管しておいたのに、捨てちゃった!!20万円稼ぎ損ねた……)

あれから十ン年が経ちますが、この本を上回る勉強本を一冊も見たことがありません。
それくらい、ものすごい内容の本でした。
(その内容を習得できた幸運に感謝感謝!です!!)

この本の内容はそれはもうすさまじいの一言でここでは書ききれませんが(←嘘。書こうと思えば書けるけど書くもんか)、やる気がなくて勉強が手につかない状況を回避するための方法として、“一時的に自分で自分を洗脳する”とでもいえそうな内容が書いてあったのです。

で、どういう思想に自分を染めたらよいかの見本(?)として、おすすめの自己啓発本が列挙されていたのでした。
これが、私が自己啓発本というジャンルの存在を知った最初の出来事です。

で、有賀氏の本に書いてあるとおりに勉強しようと思い立った私は、初めて自腹で買った自己啓発本
成功の心理学
を手にしたのでした。
(あー、なんか、『初めて買ったCD』を聞かれたときと同じようなこっぱずかしさがありますね、こういうネタ書くのって)

(ちなみに、有賀メソッドとでも呼ぶべき勉強法の効果は驚異的で、ちょっと試してみただけで『とりあえずどこの大学でも受かりそうですけど何か?』という手応えがありました。大学受験を真剣に検討する人ならこのまま勉強を継続して一流大学に進学するのかもしれませんが、私の目的はそうではなくて『受験勉強をガリガリ頑張らなくても大学受験に現役で合格する(浪人や長時間の勉強といった面倒な時間を人生にもたらさない)』ことだったので、それからの高校生活は迷いなく思う存分、遊びほうけることができました。それでもいちおう第一志望に現役で受かったので個人的には万々歳です)

その後、特に大学時代~会社員時代を通じて、自己啓発本のあの非現実的な感じ(ディズニーランドみたい)が好きでハマってしまい、ありとあらゆる自己啓発本を読みあさるフェーズが続きます。

で、そういうフェーズが何年も続くと「自己啓発本が扱う領域の果てが見えた」ような心境になり、かつまた自己啓発本自体が世間で流行ってきて大量にこのジャンルの本が出版されるようになり、それにともなってぶっちゃけ、玉石混淆の様相を呈してきたので、興味自体は褪めてしまいました。

それでも、まだ日常生活は自力ではどうにもならないストレスだらけ・叶わない夢とのギャップに苦しむ日々で、その苦しさを一時的にでも忘れようと新たな自己啓発本に手を出すという、“自己啓発本ジャンキー”からは回復できずにいました。

何か厭なことがあると本屋に行ってよさそうな自己啓発本を見つけて(内容なんかもはやどうでもいいから)買い、それを喫茶店で読みふける(そうすると一時的にラクになる)ということの繰り返し。ただの現実逃避ですw

もちろん、参考になる情報はどんな本にも多かれ少なかれあるのですが(そしてその頃に仕入れた知識・情報は今の商売で十分役に立っていて“初期投資”の回収は今になってようやく、実現できたわけですが)、まったく斬新な情報というのは自分自身の知識が増えれば増えるほど減っていくわけで、それでも本を買う冊数は減らないので結果的に“たいして役に立たない自己啓発本のために金をつぎこむ貧乏人”になっていくわけです。

このままじゃダメだ!(自己啓発本で破産してしまう)

と思った私は、この自己啓発本依存症からどうすれば回復できるかをあれこれ試行錯誤して、

視点を上げる

という方法に辿り着きました。

自己啓発本だけに限らず、本……というか情報というものは、まったくのオリジナルというのはどちらかというと珍しいものなのです。

必ず、

著者が本に書いた情報をまず著者が“仕入れた本”が存在する

のです。

それは、まんまパクリなこともありますし、パクってないにしても真実を語ると誰が語っても同じなので結果的に他の人の本と同じ内容を掲載するに至っているというケースもあります。
また、オリジナルな情報に思えるものであっても、まず「そのオリジナルなアイデアを著者がひらめくうえで“肥やし”となった情報(をもたらした本などのメディア/人/団体)」というのはあるものなのです。

情報の家系図

とでもいうべき、流れと体系がそこにはあるのです。
(著者が本などで発表する情報の“親”は、その著者の愛読書、職場やその上司、年長の家族、大学時代などの恩師から教わった知識であることがほとんどです。

たとえば一時期騒がれた『Web2.0』という単語&概念、最初に発表したのはいつ・誰が・どのタイミングで・どんな媒体でかをご存知でしょうか?その『情報の源流』を知らないのに、その後あまたと発表されたWeb2.0について扱う本をやみくもに乱読しても、Web2.0の本質に辿り着くのは至難の業だと思います←といってもこの単語自体、最初は『ただのジョーク、ユーモアエッセイ』として発表された側面が大きく実態はあってないようなもので、それを世間が騒ぎすぎただけというのが本質だったりします)

私はこのことを、編集者として出版業界に勤めていくなかで自分なりに解き明かしていきました。

そして、自己啓発本の新刊を見ても、タイトルと目次、著者のプロフィールだけで内容とその知識体系(どこからその本に掲載してある情報を著者が得たか)を透かして見ることができるようになりました。

「あーなるほど、この著者は○○とかが言ってる△△理論を、自分の経歴である□□に絡めてアレンジして◇◇向けに提示してるわけね」

と、その本の情報の家系図と交配の様子が、まるで植物の品種を見るかのようにわかるようになってきたのです。

一例を挙げると、(私ごときがこんなことを書くのは不遜もいいところなのですが)勝間和代さんの著作で述べられているもろもろのアイデア・発想というのは、コンサルティング業界にいる人からすると、それ自体はさほど真新しいものではないはずです。
“職場でなんとなくみんなが共有してる価値観/常識/暗黙の了解”
を一般大衆向けに明示的に説明しなおして本にまとめました、といえなくもありません。
その内容が、コンサルティング業界にいない人から見て斬新である・そこに著者ならではの味や色がついて+販売や広告など著者以外のいろんな人たちの動きの相乗効果(そしてそういう相乗効果を生み出すに至る著者本人の戦略と行動)もあいまってヒットに結びついたという仕組みでしょう。
コンサルティング業界で働いている人や中小企業診断士を持っている人ならすぐ見抜けるのですが、
「あ、この部分、○○○○の手法で分析してるな」
(○○○○には、経営戦略やマーケティングなどを勉強すると出てくる理論の名前各種が入ります)
といった構造が透けてきますw

こうなるともう、自己啓発本を「買う」必要性は減りました。
あいかわらず依存症ぎみである事実は変わらなかったので本屋通いは(病的に)続けていましたが、1冊あたり5分もざっと立ち読みするだけで内容をほぼ理解できてしまうので、お金がどんどん本代に消えて行くという事態は回避できるようになっていきましたし、本をいちいち読む時間も節約してその分、別のことをやる余裕が増えていきました。

そしてある日、

「もう、こういうジャンルの本から私が学ぶことはもうない。こういう類いの本はもう一切、私に必要ない」

と、

おなかいっぱいですごちそうさま宣言

をしました。
(無理矢理じゃなくて自然にそうなったのがポイントでしょう)

それっきり、用もないのになんとなく急かされて強迫神経症ぎみに本屋に駆け込むといったことは一度も起きなくなりました。


この一連の流れは、まあ大変ではあったけど、その後スピリチュアルな事象を学ぶほうにシフトしていくなかで、非常に役立ちました。

いわゆるスピリチュアル本をそれまで読んだことのなかった私は、イチから勉強することになったわけですが、いきなり手当たり次第に本を読んで行くのではなく、

まずはリサーチして情報の家系図でできるだけ「源流」に近い著者やその思想、情報を仕入れ、世に出回るスピ系の本の情報の体系がある程度、見えるようにする

ことから始めました。

ここでは具体的な著者名や思想名は述べませんが、いま、世の中にどれだけたくさんのスピ系の本が出回っているとはいえ、その情報の系統を辿ると数人の、あるいは数種類の「源流」からの派生であることが透けてきます。

ごく軽く一例を挙げると、スピ系の本でよくでてくる、アセンデッドマスター・サナンダ。
彼の存在を、そして彼のエンティティをサナンダと初めて呼んで世に知らしめたのは誰だかご存知ですか?
いまでは「常識」とされ定着している知識や概念も、最初にそれを世にもたらした人がいるわけで、そのあとでたとえばサナンダについて本のなかで述べた人というのは、「最初にそれをもたらした人からの伝言ゲームで伝わってきた内容を書いた」ともいえるのです。そこに、著者の研究内容やカラーが加味され、もしかしたら情報が伝達するなかで歪曲されて書かれているといった可能性があるというだけです。

先に述べたWeb2.0の例と同様で、情報の源流を知ると、世の中のその概念についての全体像らしきものが漠然とでも見えてきます。
そこから、自分の興味や自分の価値観で重要だと判断したものについて集中的に攻めていくほうが、スマートに知識を吸収していけるという個人的な実感を持っています(←万人に有効だとは思わないし、万人がそうするべきだとも思いませんが)。
たまたま最初に掴んだ(あとから思えば自分にとって重要でない)情報に固執したり、そこに書いてあった内容を実践するのがいいのだと妄信して時間と労力を無駄にするリスクが軽減できると考えていたのでした。
(これは後に、私が自分で自分の望む現実をある程度、自由自在に創り出せるようになるまでは有効でした)


なんだかまとまりなくつらつらと書いちゃいましたが、このエントリーをあらためて見直してみると、私が混迷するパターンというのは、どうやら

自分が“知らない/わかってない”ことで損をするんじゃないかと不安になったとき

なんだなぁ、とつくづく思いました。
(それは私のなかにごく最近まで、『すべてを知らなくてはいけない』という信念が強固に入っていたからなんですがw)

どんな信念体系が混迷を生み出しているにせよ、それを生み出しているパターンとその土台を見つけてそれを解消するというのが、依存症にしてもなんにしても重要ぽいみたいです、というありきたりな結論で〆。テキトーですんません。
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