掘り下げについての私の見解

以前、「なるべく掘り下げない、という手法」というエントリーを書いたために、

「まさるさんって、掘り下げが下手だってご自分では言ってるけど、実際はそうじゃないんですね」

という言葉をいただくこともあれば(←これは嬉しい例)、

「ヒーラーのほうが霊視をして土台を“言い当てる”のは本当の癒しじゃないと思う。あなたはどうして、霊視して言い当てるほうを推奨するの?」

と言われることもあります(←これは誤解を招いている嬉しくない例)。
私だって「ヒーラーが霊視して土台を言い当てる」ことを本当の癒しだとは思ってないんです。むしろ、よくない例だと捉えています。
(もっといえば、『霊視して土台を言い当ててるようじゃ、まだまだだな』という見解に至っています←だから、冒頭のエントリーを書いた時点での私は『まだまだ』だったってことですね)

なので、というかここであらためて、掘り下げについての私のスタンスを表明しておこうと思います。


まず前提として、ヒーラーは「そのクライアントにとって創造主の観点から見た最高最善の癒し」を実現すること(だけ)を目指してセッションに臨むものだと思っています。

そして、「そのクライアントにとって創造主の観点から見た最高最善の癒し」というのは、ケースバイケースで、人により異なりますし、また同じ人であってもイシューによって、また同じイシューを同じ人が2回以上ワークする場合であってもその時々で異なります。

ですがケースバイケースとはいえ、「クライアントが顕在意識でも潜在意識でも“癒された”と実感できる」点は重要であることが多いです(←というか、それが重要でないケースにまだ遭遇していません)。

この、“顕在意識で癒されたと実感できる”という要素を満たすうえで、有効な手段は何?と創造主に尋ねると、掘り下げだという答えが返ってくることが多いのです。

なので私は、最初に霊視した段階で、その人の土台がどういうふうになっているかは見えるのですが、その場でズバリと言い当てるという手段をとるかどうかはその時々によります。というか、言い当てないことのほうが多いです。

そこで、どういうふうにワークを進めると「クライアントが顕在意識でも潜在意識でも癒されたと実感できる、創造主の観点からみた最高最善のセッション」になるかのガイドラインを、創造主に聞きます。
ここで重要なのは、

ヒーラーは霊視してクライアントの土台が“見えて”はいるけれど、それに対してどうアプローチするかは様々。
「言い当てる」ことがベスト(だと創造主から言われた)ならそうするが、それをすることでクライアントが顕在意識での癒しをベストに実感できなくなる結果が生じるならそうしない


ということです。

霊視で言い当てることもしませんが、

自分の頭で考えたり、方法論で仕入れた知識で掘り下げの質問をすることもしない

のは力説したいところです。

次にどうワークを進めるかについて頭で考えている時点で、それはもうシータヒーリングだとは呼べないと感じます。

もし自分の頭を使うとすれば、創造主からもたらされたメッセージの“解釈”や“説明の方法を考える”、ワークをするなかでクライアントから返ってきた答えの内容を理解するためくらいのものです。

じゃあ具体的に私はセッションをどう進めるのかというと、

1.土台を見る(が、クライアントには伝えない)
 ↓
2.クライアントが自分自身の顕在意識で納得したうえで自分の土台に主体的に気づき、本人の自由意思でどう変えたいかがわかる&それを実行するのを決意する、ために最高最善最短の質問で掘り下げを展開していく
 (顕在意識での癒しの体現)
 ↓
3.クライアントが自分自身で自分の土台に気づき、それを心から変えたい、どんなふうに変えたいかを自発的に言えるところまで来たら、創造主に「どうすればいいか」を尋ね、クライアントの了承をもらったうえで信念の置き換えや感覚感情の呼び覚ましを行う
 (潜在意識を含む諸々のスピ的エネルギー関連での癒しの体現)

という流れが多いです(もちろん、私が『いつも必ずこう進める』と自分の頭で考えてるわけではなく、その都度、創造主に尋ねて得られた答えに即してセッションを展開するので“常にこうする”とは言えないのですが)。

そんなわけで、掘り下げについてどう思う?と聞かれたら

「それをするのが創造主の観点から見てそのクライアントにとってそのとき最高最善だという回答が得られたなら行う。掘り下げの質問内容も自分で考えるのではなく、創造主に尋ねて得られた答えをそのままクライアントに伝える」

というのが私の見解です。

また、「そうでなければシータヒーリングとは呼べない」と私は思考パターンでは思っていますし、シータヒーラーはそうあるべきだという個人的な信念もありますが、だからといってそうでない人に対しても何とも思わないのも事実です。

例えば、自分の頭で考えたシナリオに沿った質問をしてそれをもって「シータの掘り下げ」と言っている人がいても、そういう人に掘り下げられて厭な思いをしたクライアントがいたとしても、私としてはなんとも思いません。
他人が何を考えてどういう価値観を持って生きて行動するか、は自由だと思うようになりました。
そして仮に、「厭な掘り下げをされて不快だった、苦痛だった」と言っているクライアントがいたとしても、究極的にはそのクライアントはそういう体験をすることを自ら望んで、ほかのどんな体験よりも第一に選択して実現しているのですから、「かわいそうに」とも思わないのです。

以上が私の掘り下げに関するスタンスです。

P.S
「掘り下げたほうがいいのか、霊視(リーディング)したほうがいいのか」
を天秤にかけて議論する人もいるみたいですが、その2つに優劣があるかのような把握をしている時点で真実から逸れてるよなぁ、という印象。
(まるで大工さんが家を建てるときに、『とんかちとのこぎり、どっちを使って建てるのがいいのかな』と議論しているのを見ているような印象です。『釘を打つときにはとんかちを使えばいいし、木材を切るときにはのこぎりを使えばいいんじゃないの』というのが私の感想)

それら2つの手法に優劣があるのではなく、それぞれがそれぞれ固有の個性と特徴をもったかけがえのない手法で、いつどのように使うのがベストかはプラクティショナーではなくて創造主が決めることです。
(そしてプラクティショナーには、創造主からもたらされたメッセージのとおりにセッションを行う自由も、それを無視する自由もあります←シータヒーラーは創造主の言いなりになる奴隷なのか、という人もいるぽいので言ってみた)
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