なんにも成し遂げない、成し遂げようともしない人生

が、今回の自分の人生のテーマなのかもなぁ、という確信に近い思いがここ半年くらい、じわ~っと沸いて来ています。

なんていうか、何かを成し遂げようとすると、ものすごく抵抗される感じがあるというか、自分の内部でそれを許可しない、
「そうじゃないってば、間違えないでよ」
と言っているような感覚が昔からずっとあるのです。そして現実に、あと一歩というところでどうしてもうまくいかなくなってしまうのです。

「そこを乗り越えるのが人間の生きる意義だろう。言い訳するなよ、逃げの口実をつくって自分を正当化するな!」

というツッコミは、自分自身でもさんざんいれてみましたが、何かを成し遂げようとするのは根本的に何かが違っているという確信もどこかでありました。

で、その思いがどこから来るのか、だんだんはっきりと見えてきました。

やっぱり、そもそも「何かを成し遂げる」という思いは、それ自体が真実ではないのですね。
すべてのことはすでにもう、成し遂げられ済みなのです。

成し遂げられているものに対して「今はまだ成し遂げられていない」と認識すること自体、まず真実からずれますし、ましてやそれを「自分の手で成し遂げられた状態にもっていく」のを意図するということは、エゴに支配されている、もしくは“そうしないとこの世で生きていられないという弱さ、不安、恐怖”がどこかにあるということなんです。

これはなにも、前向きな気持ちや純粋な意図を否定するものではありません。
何かをやってみたいと思えば好きなだけやればいいし、そうしたいと思えることは生命力がみなぎっている証で、素晴らしいことですから。

私はただ、
「この世界そして自分が完全ではない、何かが欠けて不足している(だから何かをする必要がある)」
と認識するのはいかがなものか、ということが言いたいのです。
そして、少なくとも私に関しては、そういう認識を持っているかぎり、
「それは違うよ、気付け!」
とダメ出しをしてもらうことに同意して生まれてきているのだろうな、と気づいたというだけです。

目的のためでなく、「ただその生きるということそのものを味わう」ために生きる。
そして生きるなかで生じる不都合や面倒を、なるべく自分の手ではなく「他人に頼って、きちんと甘えて解決してもらう」。
(これまでさんざん、自分の手でどうにかするという生き方をやり尽くしてきたので、あえての方向転換←というか、自分のなかに欠落していた概念の補完)

あー、これだ。これだったんだ。

なんといいますか、ずっと解けずにいたパズルがようやく解けたような安堵感があります。

自分に厳しくするなんて、簡単にできること。
きちんと自分を甘やかすことのほうが、ずっとずっと難しい。
だから、自分に厳しくするほうに“逃げ”ないで、きちんと甘える。自分を甘やかす。

今後しばらくは、きちんとこういうことを実践していけるようになりたいです。
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