信念は大事

シータヒーリングをやっていると、何か自分の考えを人に告げたときに

「それ、思考パターン(≒信念)じゃない?」

と言われることがあります。

できるだけ信念を手放していこう、というのがクリアリングの方向性の1つとしてあるわけで、そういうときシータヒーラーは

「あ、そうだ。いけないいけない。手放さなくちゃ」

と思ってその思考パターンを解放することがあります。

で、いつのまにか私自身、

「信念は、片っ端から手放していくのがよいのだ。あってはいけないものなのだ」

と思うようになりかけていました。

が、よく考えたら、信念を手放すのは義務でも強制でもなくて、その信念を持っていることで心身魂に不都合・不調をきたすならばという前提があってこそなんですね。
常に必ず、どんな信念でも片っ端から手放していけばそれでよいというものでは全然ないわけです。

事実、私は一時期、信念はよくないものだと思っていた時期があり、片っ端から信念という信念を手放していったのですが、その結果、生きる方向性を見失ってどうしたらいいかわからなくなるという事態に陥り、かえって辛い思いをしました。

でも、そういう思いをすることであらためて、

「信念は創造の原動力だ!」

と確信するに至りました。この世で生きるということは否が応にも幻想としての現実を創造し続ける行為だとも言えるわけで、信念がまったくない人間はその創造行為をするモチベーションが湧かないので生きづらいよなぁ、という感慨からです。
(捕捉&蛇足:私はこれまで、シータヒーリングでセッションを行なう場合は、『信念を手放したら感覚感情の呼び覚ましで補完する』という手法を推奨してきましたが、信念をどんどん減らすのではなく、ふさわしくない信念をふさわしい信念に置き換えるほうがよいケースは思った以上にありそうだ、と最近、思い始めました)

なので繰り返しになりますが、信念を手放したほうがいいのは、その信念があることでたとえば健康が損なわれておりその健康を回復したいといった「不都合の解消」のニーズがある場合に限る、ということです。

極端な例かもしれませんが、たとえ信念が人の健康を損なう原因をつくっているとしても、すべての人にとって常に心身魂が健康であることが最高最善なわけではない(≒その信念を手放すことが最高最善だとは限らない)し、なんなら信念のために死んで、死んででも実現したいことを創造するほうがその人にとっての本望であるケースもありうるでしょう。
(『神との対話(第1巻)』にもありますが、創造主の観点から見て『その人間が生き続けるより死んだほうがいい場合』というのは往々にしてあるものなのです)

そんなわけで、私はいま、
「自分が今後、この肉体をもって人間としてこの世界で最高最善に生きるのにふさわしい信念、いまの自分が持つに値する信念」
を見つけて育むという方向性にシフトしつつあります。
(実はパラオで1ヶ月ボランティアをする目的の1つに、『日本の喧噪&集合意識の波動から離れて、自分が今後、本当に大切にしたい信念や価値観は何なのかを見つめなおす』というのがあるのです^^)

信念って、大事だよね。
関連記事
スポンサーサイト