「マスコミで取り上げられた=すごいと感じる」を払拭

するのって、すごく大事だと思うんですよね。

というのも、マスコミが扱う情報というのは、
「製作者の意図という想念によって良くも悪くも)味付けされた情報」
だからです。
その味付けに使う調味料が必ずしも、自分の心身魂に良い影響をもたらす(もしくは悪影響がないと断言できる)ものではないかもしれないからです。
マスコミで取り上げられたものを無条件に、そうでないものと比べてすごいと感じるというのは、冷静に考えれば偏ったモノの考え方であるとすぐにわかるでしょう。

これはもっと端的にいえば、「マスコミに洗脳されている状態からの回復」と言っても過言ではありません。

私自身、20代の半ばまではまさに(おそらく世の中の人のほとんどがそうであるのと同様に)「マスコミ教の“信者”」でした。

テレビで取り上げられるのはすごいことだ、雑誌に載るのは名誉なことだ、本を出すのは偉い証拠だ……。

表面上はどんなに否定しても、潜在意識ではそう思ってしまう要素がなかったかと言われれば、当時の私としてはまるで自信がありません。

たとえば、芸能人に会ったときに、そうでない人と会ったときよりほんの少しでも緊張したり嬉しくなったりするとすれば、その人はれっきとした「マスコミに洗脳されている人間」です。
これは、たとえば街頭でテレビカメラで撮影され、レポーターからマイクを向けられてインタビューされたときの反応にもいえます。

マスコミからの洗脳から完全に脱却している人は、そういう場合であっても、まったく動じないはずですから。

私の場合はその状態に本能的になんとなくヤバいものを感じ、実際にマスコミ業界で(雑誌編集者やナレーターとして)働くことでひとつひとつ洗脳状態から回復していったという経緯がありますが、マスコミの実態を知れば知るほど、それが誰か(プロデューサーや脚本家、記者や編集者などそのコンテンツを統括する人間)の妄想に過ぎないということがわかってきてショックでしたw←まぁ、いま思えば良いショック療法でしたけど^^;

仮に、事実だけを追ったドキュメンタリー番組であっても、その「事実」をどう脚色するかには制作者の主観が入ります。
たとえば、ある人が死んだとします。それは事実としては「○○さんが死んだ」というだけなのですが、ドキュメンタリーではそこにたとえば

・命の重み
・遺族の悲しみ
・その人を死に至らしめた原因(病気・殺人者・法律・社会制度etc)への怒り

などという制作者の意図が加味されて番組が構成されます。
(その“加味”がまったくされずに事実を盛り込むと、『無意味な内容』として制作者は上司からダメ出しを受けるでしょう。つまり、ここでいう『意味』とは、事実そのものではなくて、制作者の意図という『妄想、幻想』のことにほかなりません)

なのである時期、私は、
「あ、テレビとか雑誌とか新聞って、創る側とそれを受け取る側が一緒に作り上げている壮大な『おままごと』なんだ」
という結論に達しました。

おままごとが馬鹿げていると軽蔑するつもりは毛頭ないのだけれど、それはあくまで、そのおままごとをしているのが好きな人がやればいい幻想なんだとはっきり認識できたわけです。そしてそのおままごとは、強制的に24時間365日ずっと参加させられなければいけないものではまったくなくて、あくまで個々人の自由意思に委ねられていることがわかりました。

で、私は、少なくとも常日頃からそのおままごとに参加し続けることをやめました。
あくまでも、自分が参加したいときだけ一時的に、意識的に、そして主体的に「利用」すればいいものなのだと自分のなかでのマスコミの位置づけがはっきり確立されました。

洗脳から回復する段階では、それまでどっぷり浸かっていた世界観がなくなるので、不安や恐怖がこみ上げてくることもあります。疎外感や孤独に苛まれることもあります。飢餓感のようなものも出てきます。
これはあたかも、麻薬(ドラッグ)などの依存症から回復するプロセスのようでした。

でも、もう大丈夫かな、というところまでくると、一気に視野が拓けるのがわかりました。
一言でいうと、
「マスコミに対して注いでいた分の(膨大な)エネルギーを別のことに費やすことができているので、いろんな意味でエネルギッシュで豊かな人たち」
が大勢、自分の目の前に現れはじめたのです。
自分がマスコミ教の信者だったときは、「世界中の人間は自分と同じ、マスコミ教の信者なのだろう」と漠然と思っていたのですが、いざ「脱退」(笑)してみると、そうでない人はわんさかいて、しかもそういう人たちのほうがえてして自分の望む現実を生きている割合が高いことにびっくりしましたw

また、
「マスコミによって味付けされてしまうと味わえない情報や想念、マスコミが素材として使わないが自分にとって貴重で有益な情報・想念」
ともたくさん、巡り合えました。
(そこへ来てはじめて私は、『マスコミはいわばラーメン屋とか牛丼屋など特定のメニューのみを扱うレストランのようなもので、”そのレストランのメニューにはないけれどおいしくて自分のためになる食材・メニュー”というのは無限にあるのだ』ということにも気づきました)

同時に、(もはやマスコミの手の内を知り尽くしている&その対処法も知っているので)洗脳されたり煽動されたりすることなくマスコミを上手に利用できるようにもなってきました。

なにより、本当は自分にとってそこまで大きな影響力を持たない、自分が尊敬するに相応しない在り方をしている人に対して、「でもマスコミで取り上げられたってことは、あの人はすごいんだろう。すごいって言わなきゃいけない?すごいと思うべき?」というような不毛な呻吟をする必要がなくなったのが個人的にはありがたかったです。
(注:ここでいう『尊敬するに相応しない』というのは、人の魂そのものの価値を軽んじているわけじゃなくて、あくまで魂はみんな平等だとしつつも、私の価値観からみて尊敬したいと思わない在り方を選択している人の想念、のことです。その人自体がかけがえのない存在であることは、大前提としてちゃんと認めてますよ^^)

まあそんなわけで、マスコミにずっと無意識に絶対的強制力をもって影響を受け続けるのも自由だけど、そうしないという選択もできまっせ、というささやかなご提案でした。
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