牛の集合意識との闘い

超感覚的解剖学(インチュイティブ・アナトミー)受講中の出来事なのですが、消化器の日かな?体内霊視してもらったら、お腹に白いもやもやが暴れていると指摘されました。

ペアワークのときにしっかり見てもらうと、牛の集合意識とのこと。
それも、牛乳に宿った牛の意識が積もり積もって人格(牛格?)を持った意識体になったものでした。

たしかに私は子供の頃から、1日に牛乳を2~3リットルも飲んでいました。飲み過ぎですw
(しかも、何人もいる兄弟全員がそれくらい飲み、牛乳が切れるとギャーギャー暴れ出すので、夕食時に牛乳が切れたときは大変な騒動に……。そういうときは複雑な表情(←と、穏便に言っておきます)をして母親がツッカケを履いてスーパーにダッシュしたものでした←ダッシュしたくない母は、これでもか!と牛乳を買い込み、冷蔵庫に入りきらない分は発砲スチロールにドライアイスを入れて保存したりしてました。今思えば、大変な子育てだったと思いますw)

私のお腹のなかの牛の集合意識は、私のエネルギーと一体になろうとしてなれず、行き場をなくして
「モーどうすればいいの」
と憤っていたらしいのです。

「えー、それは困る。お引き取り願って」
とお願いして、ペアワークで組んだ人に牛の集合意識を光に還してもらったのですが、そのとき捨て台詞のように牛の集合意識が
「そっちが“一緒になろう”って牛乳や肉から俺たち牛の意識エネルギーを抽出したんだろうが!」
と言ったそうです。

さすがに、顕在意識で意図的にそうしようとした覚えはないものの、牛になりたいという願望にはそういえば、自覚あるなぁ。。。
大学生のころ、人間として自分で意思決定をして生きるということそのものがどうにも鬱陶しく、耐えきれない重圧のように感じたことがありました。
BEAUX-ARTSでカウスポット(牛柄)のグッズを買いまくり、部屋じゅうを牛柄にした時期もありましたね(←病気や)。
気がつくとぼーっとして、草を食んでむくむく育って強制的に妊娠させられて乳出しマシーンとして一生を終えるとか、あるいは潔く屠殺されておいしく食べてもらいたい……とか、考える時期がありました。
自分の脚を見て、
「この脚はきっとうまいぞ。焼いて食ったらみんな絶賛するに違いない」
とほくそ笑むことも、一度や二度ではありませんでした。
(実はこれは今でも尾を引いており、『かっこいいね』と褒められるより『おいしそうだね』と褒められるほうが嬉しく感じるという思考パターンが残っています←解消しきれてねえのかよ)

なので、そのときは
「人間ではなく牛として生きたい。家畜になりたい。そして自分の出す乳を人間に飲んでもらうことを至上の喜びとし、自分の肉を人間においしく食べてもらうことに生き甲斐と誇りを感じる牛でありたい」
という信念をワークして、とってもらいましたっけ。
(たしか土台は、『人生は鬱陶しいから、怠惰でありたい』とかそのへんでした)

肉だけでなく野菜や果物も、それぞれ固有の思考パターンを持っており、食べることを通じてそれら思考パターンから影響を受けるということはシータヒーリングをやっている人ならご存知かと思いますが、どうやら私は他の人よりも「食べたものが持っている思考パターン」に影響を受けやすいようです。
(DNA3を受講したときも、前の晩にサムギョプサルの食べ放題に行って死ぬほど豚肉を食べた翌日にペアワークしたら、相手の人から後日、『実はあのとき、まさるさんをリーディングしていくうちにどんどん豚に見えてきたんですけど、そんなこと指摘したら失礼すぎると思って言えなかったんですよね。でもすごく豚に見えてました』と打ち明けられるという事態がありましたw←たぶんペアワークの最中に本当に言われてたら相当ショックだったと思います)

なのでみなさんも気をつけましょう、みたいな無責任で「えー?」的な〆。文句あっか!!

P.S
この、「自分と本来関係のない集合意識を取り込んでしまう」というのは、私固有の根深い信念の問題に関連しています。その話は機会があれば後日……。
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