自衛手段としてのヒーリング

今でこそプロとして活動するに至っていますが、そういえば私がスピリチュアルやヒーリングについてきちんと学び始めたのは、他ならぬ「自衛手段」でした。

何からの自衛?と聞かれるなら、以下のようなことでしょうかね。

・昔からなんとなくナチュラルサイキックだったが、それだけだと能力自体も、その能力が何なのかの理解もあやふやで心もとないという不安

・世間の人がいう信念や法則、「これが真実だ」とされること、また宗教家やスピリチュアリストたちの提唱する理論やらのどれもが頼りなく思えて(=必ずしも正しくないと感じることがあって)、いったい何なら拠り所にできるのかわからず陥る混迷

・「なんとなくナチュラルサイキック」の人から勝手にライバル視され、能力の優劣を競おうとされたり勝手に茶々を入れられたりするうっとうしさ

・自分が病気になったとき、(自分がベストだと思えない現代医学の手法で)わざわざ金を払って望まない治療を受けざるをえないという損害

・スピリチュアルなヒーリングが必要になったときに他人にお金を払って依頼せざるを得ないという不都合と手間と損失

・この世の仕組みを把握していないことで、自分の現実を望むようにはうまく創出できず感じるストレスや実害

こまかくいえば他にもあるような気がしますが、思い出せないのでこのへんで。

ようするに、スピリチュアルな事象についてちゃんと理解し、ヒーリングを自分でできるようにしておくとその分、お金なり時間なり労力なりをわざわざ捻出する必要がなくなるわけです。

真実でない理論などの情報、またそういうものを提唱する人や団体に惑わされることもなくなります。


これはたとえば英語のスキルにも似ていて、英語ができないといつまで経っても

・「英語は必要なのか?やったほうがいいのか?」という自分の人生・時代のトレンドに対する不安
・英語ができる人に対するコンプレックスや嫉妬
・「もしも自分が英語堪能だったら」と過去や未来を気にすることから来る、「今以外の瞬間に意識を向ける」という損失
・「自分が英語を真剣にやるとして、本当にできるようになるだろうか?」という自分の能力&可能性への疑念
・英語教材や教育機関で学ぶ際の金銭的出費

から解放されないですよね。逆にいうと、英語ができるようになってさえしまえば、上記のような悩みとは無縁でいられるわけです。


私は自分自身がもともとナチュラルサイキックで、そのことが(我ながら鼻持ちならない)優越感を生んでいたり、その一方で「普通の人」に対する劣等感になっていたり、サイキックなことで(サイキック能力さえなければ遭遇・体験せずに済んだ)厄介な出来事に遭遇したりということがあったので、それらから解放され、そうした悩みから無縁で生きられるようになりたいと思ったわけです。だから学んで、訓練を受け始めたのでした。


今思うと、2009年の1月にシータヒーリングの基礎講座を受講して宇宙の根本創造主とチャネリングする能力を得た時点で、「自衛手段の獲得&確立」はすでに終わっていたような気がします。
そこから先は、「この世でプロのヒーラーになる」という、追加で生まれた目的のための訓練だったわけですね。

(個人的には、根本創造主と対話する能力を得たのに、世の中のわからないことをそれまでどおりわからないままにしてそのことで悩んだり(←悩み続けるのをよしとする思考パターンがあるなら致し方ないですがw)、論理的に対立するスピリチュアルまたはヒーリングの理論が現れたとして、どちらが正しいかを創始者などに問い合わせたり自分が信頼できないほうの理論を提唱する人間を非難したりということが起こるのが不思議でならないんですがw わかんなかったら創造主に聞けばいいじゃん?と思えてしまって)

スピリチュアルなことを学んだり、ヒーリングの訓練を積むと、最初~中盤ごろにかけては
「いくらやってもきりがない!!」
と悲鳴を上げそうになる人もいるかと思いますが、案外、スコーンとすべてがわかって突き抜けてはい、学び&訓練終了、みたいな瞬間はあっけなく来るものなのだな、というのが個人的な実感です。
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