「困ったちゃんとして振る舞う」、「周囲に迷惑をかける」という形で神聖な奉仕をする人たちがいる

わざわざ人をつかまえて

「ねぇ、私いまこんなにつらいの」

と愚痴をこぼす人いますよね。

他にも似たようなパターンで、

・みんながうまくいって楽しく過ごしている場に現れて「世の中にはうまくいってない人もいるんだよ?」と言う
 (あるいは、そうした態度を示す。盛り上がっているパーティの場に現れて陰鬱な暗い様子全開でいるなど)

・「こうすればうまくいくよ」という誰かの発言に「あなたの言うとおりにやってみたけどうまくいかなかったよ」とわざわざ告げにくる(その人のアドバイスが万能の完璧でない証拠を示す)

など、その場に水をさす、ブレーキを踏む有様をわざわざ示す人たち。


そうした人がなぜそうなのかは、細かくいえば個々人ごとに違います。

が、1つの傾向としてあるのがタイトルに書いたこと。

自分がうまくいかない、負の有様を示すことで、世の中のみんな(少なくとも周囲の人々)が、ある方向に迷いなく全力で進んでいってしまうというリスクを軽減しようとする

うまくいってしまうことで「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と悪気なく言ってしまうような人間性の偏りがその人の中に生まれることを阻止し、その人が見えていない物事の側面として、自分が「うまくいっていない例」として現れ、うまくいかないこと・場合・人もあるのだと(良かれと思って)釘を刺す


のです。

もちろん?、困ったちゃん的に振る舞っている人の顕在意識としては自覚がありません。
(ただ、こういう記事を読んだり、口頭で伝えたりすると、人によっては深いところでドキッとしたり妙に納得したりするようです、ドンピシャだと)

「なるほど、困ったちゃんがずっと困ったちゃんでいつづけるのにも理由があるということか」

という大人としての納得?はできるものの、それでも釈然とはしないですよね。

現に、そういう困ったちゃんの、わかりづらい伝え方は伝わらないことがほぼ100%ですし、仮に伝えたいことを汲み取れたとしても「余計なお世話だよ」が関の山。

やはり問題は、そういう困ったちゃんとしての動きをなぜかしてしまう本人にあります。

そういう人は、言葉で「もっと伝え方を工夫して」とか「あなたが伝えたいことを聞きたい人、必要としている人たちばかりではないんだよ」と言っても、曖昧な返事をしたりうつむいてやりすごしたりして変わらない。
明確に「私、そんなつもりでこういうことをしてしまうんじゃありません!勝手に決めつけないで!ほんとにできなくて困ってるんだから!!」と否定してくる場合も往々にしてあります。

対処法として、「困ったちゃん本人側」と、「困ったちゃんに困ったことをされがちな人側」に分けてみましょう。

[困ったちゃん本人側]
まず、自分がなぜ、困ったちゃんと認識されるような、他人からすると迷惑な行動をとってしまうのかを見つめて、あわよくばその思考の土台を見つけます。

その土台は、ここに挙げたような、隠れた啓蒙啓発の意図があることのほか、単純に社会性のなさ、自分本位な幼稚性を払拭できていないなどスピリチュアルな深みとは関係ない至らなさにあることもあります。
(スピリチュアル大好きな人ほど、妄想的に霊的な方へ想像を広げてしまい、『これが私の天からの使命』など、本当でない空想としてのお話をでっち上げていきがちでもあるので要注意)

そして土台の解消。一般的かつ王道っちゃ王道ですね。

ここに挙げたような、実はスピリチュアルな神聖な奉仕として、良かれとおもって人類を導こうとして自分が困ったちゃんを演じている場合、なぜ自分はそういう使命感のようなメッセージ発信をそんなに強く抱いているのかということを明らかにするのが望ましいです。

その上で、今の伝え方だとまずもって伝わらないことを認め、要するに何が言いたいのかを自分側でシンプルにしていきます。

そして、できれば他人から迷惑と思われないような形で自分の本当に言いたいこと・伝えたいことが相手に伝わるように行動を修正していけるといいですね。

単純に仕事ができなくて周囲に迷惑をかけてしまうといった能力が劣ることで困ったちゃん扱いされている場合は、能力の研鑽で実際に向上させるのも欠かせないでしょう。
(『それができないから困ってるのよぉ〜。私だって周囲に迷惑をかけたいわけじゃないんだからぁ〜』という反論があるとは思いますが、そこをどうにかするのが脱・困ったちゃんの鍵。できなきゃ一生そのままです。えぇ、あなたの言い分は正しいですねさようなら、で終わりですよ他人からすれば)

[困ったちゃんに困ったことをされがちな人側]
実は、困ったちゃんから困ったことをされる現実が起こるということは、そういう現実を迎え入れることを第一希望で望んでいます。
もう少し妥当な言い方をすると「許容している」のです。

ある人から依存され迷惑な思いをした、誰かの仕事のミスを尻拭いする羽目になったなど、個別具体的ないちいちを第一希望で願っているわけではないのです。
「そんなようなことがあれば、まぁ、しゃあないっすわ」
程度のユルさで、だいたいそんな感じの事象、と認識する在り方に該当すると発生してしまうのです。

まず、そのことを認めること。
(『いいや!私はそんなことを望んでなんかいない!何が第一希望だ、そんなことを願う人間がどこにいる!』と勇ましく否定しても何も変わりません)

そして次に、なぜ自分はそういうアプローチを受け入れているのか、そこから何を得たいという「メリット享受志願」があるのかを見つめます。
このメリットは人それぞれバリエーションがありますが、たとえば
・できない人の尻ぬぐいをすることで、自分ができる人間だと自覚する&周囲からプラス評価される(されたい)
・できない人が起こす困った事象を逐一、対処して面倒を見て問題解決するのが自分の天からの使命だ
など、ようするに「自分が得する、良い思いをする」内容が必ず含まれているものなんです。
これも、見つけたところで「いいやまさか自分がそんなはずはない」とプライドやら見栄やらが邪魔するのでうまく乗り越えて。

仕上げに、「困ったちゃんから困ったことをされなくても、他にこれこれこういうことをすればメリットは得られるのでそうする」とか、そもそも困ったちゃんから何かちょっかいを出されることで満たされる自分の思考そのものを手放すなどなど、カウンセリングやヒーリングあるあるのチェックメイト的な局面をしっかりワーク。

ワークが効いていれば、自然と、嘘のように、困ったちゃんに困ったことをされなくなります。

(困ったちゃん側が『さぁ、いつものようにアプローチを仕掛けるぞ!』と近寄ってきたとき、まるで虫除け成分が充満した部屋に入らず引き返す蚊のようにピューと引き返すのを察するかもしれません。『あ、とりつく島がない』的な、がっかりしたような、ぽかんとしたような、興醒めしたような呆けた表情をするのを見るかもしれません。そして他のカモを物色して、隙がありそうな人に困ったちゃんがターゲットを変えたら、しめたもの)

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ブログの文章なのでどうしても総論的で、ざっくりしたことしか書けませんので、個別具体的な問題をどうするかについてはヒーラーに依頼するのがよいでしょう。
(ご依頼、お待ちしております♪)

ただ、今これからの時代って、誰が悪いわけでもないけど
「このくらい、できて当たり前」
という基準が上がっていくと思うんですよ。

たとえば国民的アニメとされるサザエさんだって、初期の頃はこんなシーンが普通に放送されていました。



こまかい解説は野暮かもしれませんが、これ、今の世の中だと(厳密には個々の家庭では、シレッと起きてるっちゃ起きてるんでしょうが)一般的には、表向きはNGですよね。。。
(どこがNGなんだ、何がおかしい、普通じゃないかと感じる方はここではお話の対象外とさせていただきます)

このたった数十年で、いろんな価値観がアップデートされています。

スマートフォンにしたって、あまりにもモタモタと
「使い方がわからないの」
と他人に聞いたところで、よほど聞かれた側に余裕があったり、有料だからサービスとしてやる気を出すなり、聞く側がよほど愛されているなどしない限り、「知るかよ」で相手してらんないわけです。
スマートフォンが出たての頃は老若男女「これ、どうやるの?」と四苦八苦したのがほんの10年前なのに。

悪気はないけど誰もが無限に余裕あるわけじゃないんです。
自分のことで基本、精一杯。
お金も払わず、相手との信頼関係の構築に時間と労力を費やしてきたわけでもないのに、なんとなくの知り合いという赤の他人におんぶにだっこ、はこれまで以上に通用しない世の中になっていくでしょう。

伝わりにくいメッセージを、嫌われ者を買って出てまで生き様を通して、害悪を振りまく形であくまでも伝えようとし続ける姿勢(というか思考)でいつまでもいるのが賢明なことかどうか。
賢明でないと判断したら、じゃあどう変わるか、変われるか。
賢明でなかろうと知ったことか、これが私の生き様だと言い張って今のザマを貫き通すか。
こういったことは、その人がスピリチュアルに興味があるかないか問わず世間全般でみんなが考えていかざるを得ない課題となっていきそうですね。
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