ただ気分的に「幸せ、救われた」感を味わいたいだけならスピじゃなくてもいいよね1

ちょっと久々?に、自分の感慨だけを綴るブログ。

ヒーラーとして自分自身も一人の人間として、ワークというかを通じて霊的成長や視点(要は思考)の変化などがあり、しかもそれは拡大・成長したなと思える実感があります。勘違いと言われたらそれまでかもだけど。

で。

ちょっとここで、ヒーリングを求める・受ける人のニーズと盲点(次のステップに移るために大事かもしれない改善?点)をざっと書いてみます。

■第一段階「ラクになりたい」

大多数の人がこれでしょうね。

この世は実は人間の第一希望が常に叶い続けるという、おそるべき甘々な設定なのですが、人間側のほうで思考が複雑で本人さえもが第一希望をちゃんと把握していない(自分が何をしたいかわかっていない)といった事情があります。

そしてすべての人間は、なんらかの意味合いで必ず、霊的成長や魂の輝きを発露するような方向を指向して生きています。
どんなクズっぽいロクデナシふうな状態にある人であっても、生まれてから死ぬまで、それどころか死んでなお永遠に。

この2つがあわさるとどうなるかというと、

「頭では何もかも快楽に満たされて不満がないという意味で『幸せ』になりたい……と願いつつ、潜在意識と呼ばれるような霊的な部分もトータルしての第一希望は成長することを指向し、かつ、えてして『苦労すればそれは成長につながる』といった誤謬としての信念を思い込みとして持っているため、つらいことが現実に起きてばかりで、『どうして!? 私はこんなの望んでないのに!』と理不尽感+被害者意識に苛まれ続ける」

という現実を生きることになります。

大多数の庶民的な人はこれに尽きる。
それを、弱い狡猾な、そして被害者意識で弱さを表明すれば誰かが慰めたり助けてくれるはずと信じている人は大仰に不幸ぶりますし、そうでない人は内面のそうした苦しみを恥と捉え、「恵まれていて幸せだよォ」と表面上は嘘に近い笑顔をキープする(だけの違い)。

この状態・段階の人は同時に、お金さえあればすべての苦しみは消えるはず、自分の人生の不幸のすべてはお金がないことが原因で、要はなんだかんだいってお金さえあれば幸せで豊かになれるといった思考を信じきっているようなところもあります。
(誤謬なんですが)

なので、この段階の人がヒーリングセッションやセミナーを受ける動機は、「ラクになるためのカネを摩訶不思議な力で得られるようになる」というのが大半です。
それか、自分にストレスを与えた、自分を不幸にしたと勘違いしている(←だって実際は本人のほうが相手に『こうしてくれ』と脚本を書いて演じるよう願い出て相手にも承認してもらえたからその事実が現実として生じたのにそのことを理解できていないので)他人のことをいかに殺すか。
生命を奪うまではいかなくとも、どうやって自分の人生から追い出すか。
それは個人のこともあるし、「会社」など団体(とはいえ人の集まり)であることもあります。
(自分から履歴書送って『働かせてください』と頭下げたくせに、いざ仕事してみて思うようにいかないから怒りや憎しみを抱いて、それを正当化して会社だの同僚や上司といった他人を悪者に仕立て上げてふんぞりかえって『許せない!』なんて、どんだけアンタのほうが迷惑なんだよって話ですが)

結局、エゴイスティックに自分の都合のいい、甘えた、堕落だろそれ的な境遇を望んで、もし手に入ったらひたすらそこに溺れて快楽放題に浸りたいだけなんです。

こう言うと、女性の方などは
「でもそれって自然な望みだと思いませんか? それのどこがいけないんですか?」
と口をとんがらせて反論します。うざったそうにふくれっ面して。

そこで
「堕デブなオタク童貞男が『ボクはずっとこうしてベッドに横になってネット動画とか見てたいし、世界トップクラスの美女が入れ替わり来てセックスおねだりしてどんな変態プレイ要求にも喜んで従ってボクを王様と思って尽くしてくれたらいいのにどうしてそうならないんだろう。この世は理不尽だ』と言ってたらどう思いますか」
と聞くと、

「サイテーですね」

と答え、数秒して

「具体的に望むものは違っても、要はその図式と同じってこと? 私自身がその状態ってことですよね」

とハッとしたり。
(もっとすごい人になると『今の男性の話は、私とは違います!私が言ってるのは……(といって黙る←うまい説明ができないから)』と、頑として自分だけは違うと言い張ります←それがさらに逃げの方向性で狡猾になると『私が願ってるのは子供のためであって、私個人の私利私欲ではありません!』と、尊く尽くしてる母!みたいな顔してなんとしても責められないように立ち回ります。苦しすぎ)

いやね、心の底からその、ラクになりたいというのが本音であればべつに構わないし好き勝手に生きればいいんじゃないのと思うわけですよ。ヒーラーはべつに道徳的に人を裁くものではありませんし、お客様とはいえ所詮は他人。いつどこで生まれたかも知らないで会ってるだけだし、いつどこで死ぬかも知らない、べつに知りたいと思うほどの興味もない。赤の他人なんです。
(それを、仕事だから&今のままじゃ嫌だから変わりたいという思考をその人の中に見出すから、その本音を霊視してフィードバックしつつどうしていったらいいかをアドバイスしたりエネルギー的施術をするのがヒーラーなのに、まるで親の仇みたいに睨んで、どう目の前のヒーラーを論破して過ちに気づかせ、私を傷つけたことを謝らせてやろうかと食ってかかるお客様いるんですよね。目の前のヒーラー1人をたまたま論破してみせたところで、あなたの現実の状況は何一つ、物理的には変わらないし、今後改善していく見込みも立たないからメリットないはずなのに。目先の名誉欲、主導権争いのつもりみたいなのに興じてしまう。ガキですわほんと)

でも結局、霊視するとすべての人が、今よりよくなるというか、宇宙の運行に照らしてこの世の設計者たちが決めたシナリオをこなす方向性で変わっていきたいと願っているのが見えるわけです。
だから言ってるんだけど。
変わるために必要な行い、気づき、達成すると自分が決めているからこその試練的な困難。そこにどう向き合うか、それはなんのためにもたらされているか。何に気づけばその困難は消えるのか。
(なんたってすべての困難は、気づきをもたらすメッセージですから。メッセージの内容さえちゃんと自分が受け取れば、その瞬間に消失します。なのに、いつまでもメッセージの内容に気づかず受け取らないから、『おい!ちょっと!』と、メッセンジャーから肩などを叩かれ、弱く叩いても気づかないとだんだん叩く強さが強くなっていって、痛いというだけ。その痛みに苛まれてるのを『なんでこんな目に遭うの? 私は何も悪くないのに!』と苦しい自己弁護に終始し続けて、メッセンジャーとしての困難的状況からはますます強く叩かれるようになる、という悪循環)

でもこの段階の人のほとんど?は、耳を貸しません。

「そんなこと言われても、やる気ないし、やる時間とかもないし、ていうかそんなのやりたくないし、無理です。なので、そういう解消の仕方じゃない、もっとラクにパッとすぐ治る方法を教えてください。それが超感覚ヒーリングなんじゃないですか? ラクしてラクになれるっていうから、わざわざ金を払ってこうして時間を割いてるんですよ? その客の要望に応えるのがヒーラーってもんでしょう? 第一、霊能力は神様から授かった特別なもののはずなのに、それをこんなふうに商売道具にして金儲けしてるアンタのほうこそ地獄に落ちますよ」

みたいなことを、さぁ俺はアタシは今とても正しいことを言ってやったぜ感全開で言ってきます。
この生臭坊主が!とでも言わんばかりに。

そこまででなくとも、しぶしぶ
「わかりました、変わるように今後がんばります」
と、ぜんぜんわかってないし頑張る気ないですよね感全開でお帰りになったり。

(注:わかりやすい例えにするため、こう書いてますが、実際はそんな、満足度低い感じでセッションを終えることはほとんどありません。ここに挙げているような状態の方をお客様として迎えていたのもヒーラーとして私が独立して最初のせいぜい数年で、それ以降はこうした、せっかくセッションをしてもそれが良い結果に繋がらない展開しか見えない方からの依頼は、メールなどで依頼をいただいた時点でお断りしています)

悪口みてーなことばっか書いてねえでじゃあこの段階の人はどうすんだよ、って話ですが。
真っ当にいえば、ここに書いたようなところにそれぞれが「あぁ、やっぱり、そうだよな」と気づいて向き合っていくというのが理想なんでしょうね。

そうでない場合は。

厳密な意味での、スピリチュアルヒーリングの出番じゃないと思います。

単なる気分転換とか、都合よく夢を見させてくれる、いわば現実逃避のほうを肯定してくれるのを欲してるわけですよね。

なら、キャバクラとか、ホストクラブとか、そういう、持ち上げて褒めてくれて、どんなにくだらない話でもいくらでも(お金さえ払えば)聞いてくれる娯楽的なサービスを利用したほうがいいと思います。

それか、恋人でも友達でも、なんなら会社で自分のことをとっても贔屓にしてくれる上司でもなんでもいいから
「君はそのままでいいよォ、とっても素晴らしい。うんうん。わかる。仕方ないよねぇ」
と、それが長い目で見たら自分という人間形成にとって有益かどうかなど度外視で、甘やかして肯定してくれる人を見つける。

もう少しカウンセリングちゃんとした感じの人のほうがいい場合は、「傾聴」のほうがいいんじゃないでしょうかね。
否定しないで聞いてもらえる系。


これを言うと元も子もないのかもしれませんが、スピリチュアルヒーリングを「癒してもらえるならなんでもいい」というツールとして使うのも構わないといえば構わないけど、少なくとも自分の成長というか精神性というんでしょうか。そういうのに全く関心も志向性もないとすると、もやっとして終わってしまうんじゃないかなぁ。

困った時の神頼み、医者頼み

みたいなつもりでヒーラーにスピリチュアルヒーリングを求める(そして内心、ほんとは病気や怪我、困難がなければこんな霊媒師みたいな怪しい気持ち悪い人間とは関わりたくないのにと思ってる)人は、その恩恵をうまく受け取りにくいと思います。

べつにどっかの宗教に入れとか、そのヒーラーが使ってるヒーリング手法を自分もどうしても学んで信奉しろって意味じゃなくて。

問題があるなら、ちゃんと向き合いたい。ちゃんと解決したい。
この人生に起こることと向き合って対処していくことでしか、自分は変わっていけないから。
変わらなくていいならべつにいいけど、実際こうして困難が訪れたということは、どこかが変わらないといけないと自分の深いところが望んでこうしているはず。
なら、乗り越えてやろうじゃないの!
その先に、今よりもっと良い感じの出来事が待ってるなら、新しい自分に出会えるなら。

その気持ちだけで十分なんです。
(いや、その気持ちってこれ十分に意識高いだろw)

今は私は、こうした動機がない方からの依頼はお断りしております。
単なる私個人の好き嫌いでいう嫌悪感からではなくて(うぜえとは思うけどなw)、セッションがお客様の望む結果にならない可能性が非常に高くて、その原因がヒーラー側ではどうしようもないところ(=お客様側の心得)にあるなら、受けてもかえって失礼だし不誠実だよね、という意向から。

あー、長くなった。

続き(誰が読むか)は次回。の予定。とかいって書かなかったりもあるある。未完の蜜柑🍊
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