本屋に入り抵抗を感じる棚の前で各種プログラムを使うのは、色々な分野で解放される&得るものがあり良かった

マルチプルアバンダンス初級中級を受講いただいた方が、チャットワークの修了者で形成されるグループチャットに投稿してくださった内容を本人の許可を得てここに匿名で掲載します。

はじめまして。
マルチプルアバンダンス初級中級を受講したものです。

素晴らしいエネルギープログラムで今の自分に最も必要な物だと実感しました。
はじめの第一希望を見る実習でも光の道を歩く自分が見え、その道標としてマルチプルアバンダンスが。
とても楽しく使っています。

いくつか初級の内容をフィードバックさせて頂きます。

長年子供時代の友人との縁に悩まされており、バカにする見下すといった態度に怒りを感じていました。何故彼との縁が第一希望として現実化したのか意図を見てみると、穴倉の奥でアーリマン的なエネルギーに溺れて骨や死体で遊ぶ自分の姿が。穴倉の入り口の方から友人がやって来て、アーリマンに呑まれて空虚な目をした自分を揺さぶり起こす…そんなものが見えました。今思えば彼には怒りを感じていたもの、それに対抗して霊的成長を目指した事で得るものがありました。必要な計画と直感はしてましたが、今回のリーディングで更に納得できました。

また、受講の翌日に本屋に行くと、人文学系の棚に恐怖を感じ、そこで初級の社会的豊かさに関するプログラム2つを掛けて見ると、自分の奥にヘドロのように堆積していたアーリマン的な恐れが解放されて行くのを感じました。私はアーリマンのエネルギーに強く影響されているようで、その辺りを重点的に解放しています。

本屋に入り抵抗を感じる棚の前で各種プログラムを使うのは、色々な分野で解放される&得るものがあり良かったです。(苦手意識のあった数学の棚の前で集合知のダウンロードをしたら数のエネルギーが来ました)

まだ使い始めて3日目ですが、職場で今まで感じていた冷たいギシギシとした不安感が、暖かく優しい安心感に。堆積していた負の想念が抜けると変わるものですね。

今までは恐怖から強くなる事を否定してましたが、自分は力の宇宙にいると納得でき、自分も強さ、豊かさを目指していいんだ!という気持ちを得られました。

とにかく、とても楽しいですね。皆様の過去投稿もとても参考になります。
講座を受けられた皆様、よろしくお願いいたします。

本屋!

いいですね。

本はそれ自体が、内容に書かれた概念やそのエネルギーを宿しています。
(本自体にすべての記載内容の概念の霊的エネルギー自体が宿ってはいなくとも、そういったエネルギーへのリンク媒体とはなっていますよね)

文字やデザイン、色、材質、サイズ、厚さなど、本という物体自体が、人の五感に印象を与える機能も備えています。
作家個人に対する嫌悪感などもあるでしょう。
情報としては知らないのになぜか苦手とか嫌いと感じる作家がいるとして、あとから「だからか」とわかるケースもあります。
(私個人のケースでいうと、太宰治が嫌いというか、話題にしないよう、読まずに済むよう、スルーしてることに最近気づきました。そしてこれまた最近、自分は青森県出身の人(が宿している、あの地域に生まれる必然となった諸々の特性のエネルギー)を好まないことも自覚しました。そして知人から、太宰治が青森県出身だと聞かされ、何かが繋がって合点がいった心地がしました)

だから、拒絶意識などを感じる本、分野に気づいたら、それはどんな自分のイシューゆえなのかを超感覚エネルギー霊視で確かめてみるとクリアリングが進むかも。

おすすめの方法です。

それよりなにより創始者冥利なのは、

とても楽しく使っています

というお言葉。

もうね、これに尽きますね。

よく、スピリチュアルなワークを習った人が、

「どうやらそうしたほうが幸せになれるらしいから」

と義務感全開で、嫌々、意義や効果もわからないままにしぶしぶ、習ったスピリチュアルなワークをやる、というのを目にしたり耳にしたりします。

そんなんだったらやんなきゃいいじゃん、と思います。

私のところでシータヒーリングやセラフィムブループリントといったモダリティを習った方でも、まるで逃げるように

「ちゃんとやってますから、頑張りますから」

と、まるで学校の生徒が先生に言い訳するみたいにテンパって真面目ぶることがあります。
(べつに私はそんなの気にしてないというか、好きにすればいいんじゃないのと思うほうなんですが)

はっきりと

「せっかく教えてやったのに真面目にスピリチュアルなワークをやらないとは何事だ!って怒られちゃいますもんねw」

と言われたこともあります。

私がなぜ怒るのか。

怒る動機はなんなのかわかりません。

そう言ったら、人によっては

「え、だってusamimiさん、ヒーラーだから。受講生という名の弟子を支配していたいでしょう? 弟子が自分の言いなりになっていなかったら自分の思い通りになってないからイライラして怒りますよね? 特にusamimiさんは男性だから。男性って誰でもなんでも、他人を自分の思い通りに支配したくて仕方がない生き物じゃないですか」

と、面と向かってケロリと言ってくださった方がいます。

ごめん、ビタイチ当たってないと思うけど、斬新な概念でした。

でも、他の、まさにそのとおりで生徒を弟子と捉え、自分の言いなりにさせたがるヒーラーさんの行動特性などは理解できた感じがしました。だからか、と。
(ほんとに、ただ講座を習っただけの生徒なのに勝手に『弟子』と捉えて堂々と上から目線で横柄にパシらせたり干渉するようなこと言ったりするヒーラーいるんですよね)

で、私からしたらそんな不幸な図式でやるスピリチュアルなんか、ちっともためにならないじゃないのと思うのですが、そういう物の見方をする人ってたいてい、厳しい親とか学校で抑圧されて、それを躾とか教育だと言われて育ってきて、反発心を持ってたりするみたいなんです。

なにもかも私の本音と違って面白い!!

で、シータヒーリングにせよセラフィムブループリントにせよ、他人が創始者であるモダリティは、こちらが認定してもらう側ということもあり、あんまり好き勝手なことを言えない。
他人が掲げた看板を借りて商売してるようなもんなので、創始者が決めたとおりのルールで教えたりしないと、詐欺になっちゃう。少なくとも不誠実ですし、他人の決めたモダリティを教えてるとは本来の意味では言えないでしょう。それこそインチキ。

それもあって、自分が創始したモダリティは、ここぞとばかりに、自分が理想的だなと思うような感じにしています。

この感想をくださった方は私から直接、セミナー教授を受けたわけではなく、認定ファシリテーターさんのところで受講されたそうです。

が、楽しいからやる。日常生活で役立ち、自分の内面が高まって問題が解決していっている実感があるから嬉しくて続けている。

その、私がなによりも大事にしたいことを、きちんと受け取ってくださっているのがこれまた、創始者冥利。

素晴らしい伝え方を実現してくださっている、認定ファシリテーターの方々にも感謝です。



ヒーラーとしてプロになって早10年近く。

いろいろ研鑽を積んで、オリジナルのヒーリングモダリティや手法、独自のセミナーなどを創始して提供するようになって3年が過ぎました。

自分の偉大さを伝える、かつての教祖(グル)のような教え方ではなくて、自分が伝えるのは、その人個々人の良さを引き出すプログラム、いわばエネルギーでつくるスマホアプリみたいなものにするという方針は成功だと感じています。
私自身が完璧な人間で、その完璧さを弟子に教えるというのではなく、私がどんな人間かに関係なく、プログラムが使う人それぞれの良さを引き出すわけですから。

例えば包丁職人は、よく切れる使える包丁は作っても、料理の達人ではなくていい。
使う料理人が使いやすく、その料理人本来の実力を出せる包丁であればいいという。
その図式。

そして、この記事に掲載させていただいた方の感想などが1つだけでなくいくつも寄せられるようになり、自分の方向性や作ったヒーリングモダリティ、エネルギープログラムの質というかにも、「これでよかったんだ」と思える自信(最初から根拠なくあったのですが)の根拠を持てるようになってきた気がします。

思えば、幼少期に父親から運動漬けにされ、当時のわざとらしい不自然な男らしさ全開の逞しい男になれと強制され……に始まって、ありがちですが、自分の思い通りに理想を形にするということは、ついぞできずじまいできたようなところがありました(あるとすればピアノ演奏くらいですが、それすらプロとして人前でしかるべき技術をもって演奏するには至っていませんし)。

そんな自分がようやく、初めて、そして唯一といっていいほど、本当に頭で思い描いた理想どおりに、自分の実力を100%発揮して取り組めているという実感を必ず持って臨めるのが、スピリチュアルヒーリングの仕事でした。

演劇や会社での仕事などでは引っ込み思案というか、普通に主張しているつもりでも周囲からけんもほろろに否定され却下されて全然思い通りにならずそれをどうすることもできず、「このまますべての分野で思い通りにならずに終わっていくのか」と愕然としたり、思い通りにさせてもらえるだけのものを出せてないから周囲から反対されるのかと忸怩たる想いに苛まれてばかりでしたが、ヒーリングだけはなぜか違った。

それがなぜなのかは細かくはわからないのですが、おそらく「これだけは譲れない」というのがスピリチュアルヒーリングなんだろうし、またこの世も、つまりこの世に生きる人々も、私がもたらすスピリチュアルヒーリングについては、どこか待ち望んでいるようなところがあるのかもしれません。
それがもし都合のいい解釈だというなら少なくとも、他の分野で私が何かしようとしたときに決まって生じる、周囲からの強い反発や反対、イジメに近いような裏工作での妨害などが起きない程度には、人々の潜在意識においても、反対されていないのだと思っています。

なぜか、ヒーリングモダリティを創り出し、世に送り、それが人々に伝わっていくことが許容されている。

そうするだけの時間やお金、気持ち、体力など諸々の境遇が、自然と整っている。

これは奇跡的なことだと思います。

自分1人の実力で整備したと豪語するつもりもありません。

大いなる何かの導き、みたいのがなければ、世間全般では重い責任を背負わされてもしかしたらやりたくもない会社の仕事に忙殺されて家族にも給料運び奴隷扱いみたいに便利に尻に敷かれてるだけになりがちな30代の男が、ここまで好き放題できませんて。

普段、強気だったり辛辣ぽかったりする発言もする私ですが、この点について世界全体というかに対して感謝している点は、変わりません。
その感謝というのも、不思議なもので、私が頭で考える「感謝ってこういうことなんだろうな」というのと、違うんです。
もっと深い、畏怖であったり、穏やかなのに強い気持ちで、この世に生かされていることに対しての感謝を祈っているような気持ちが、常にあります。いちばん奥深いところに。
おおいなる気持ちなのに、すこしもわざとらしくない。ほんと不思議な感慨が。

その気持ちが今の境遇を、変わらず10年も成立させ続けている要因でもあるのかもしれません。

個人の副次的恩恵として、スピリチュアルヒーリングを通じて、人のニーズや期待に応えつつ、勝手に押し付けてくる期待をうまく制御し、自分が本当にやりたいことを妥協なく顕していくとはどういうことなのかを理解できた気がします。

それを少しずつですが、楽器の演奏や演技での表現、ヒーリング以外のビジネスなどで人と交渉するときにも活かせるようになってきました。

今後、おそらくなのですが、私はどちらかというとヒーラーというよりは芸人的な動きの度合いを高くしていくのかもしれません。
(そしてそれはその次の作家的な動きへの橋渡しになっていくようです)

もしそうなっても、私は「かつてはヒーラーとして奉仕をしていたのに、自分個人の独善的な現世利益に走って堕落した」わけではないと思っています。
というか、そうならないような動き方にしようと決めています。

この世への、働きかけ方が変わるだけだと思っています。

オギャアと生まれたときからしている呼吸に、もうすべての答えはあったんですね。

自分1人では生きられない。

空気という、外界のエッセンスすべてが詰まったエネルギーを吸い、自分の中を巡らせ、吐き出す。
その関わり。その営み。それこそが、それだけが、生命がこの世に生きているということなんです。
(私はそう理解しています、いまのところ)

それは空気の呼吸だけに限らない。
やることなすこと、すべて同じ。
自分がすることは、世界に働きかける形になっている。どんなに独りよがりなつもりであっても。
だったら、最高の働きかけ方をして、その分に見合ったものを受け取って。その繰り返しが希望。

ヒーラーの仕事以外でそんなふうにできるかしら? する資格があるものかしら? と思ってましたが、
今年はどういう縁か、桂米朝展と宇野千代展が開催され、そこに伺う機会を得ました。
それでなにもかも、変わってしまったような気がします。以前の自分ではなくなった、というか、
本来の自分をようやっと思い出して目覚めかかったというか。

まぁしょせんは凡人の戯言かもしれませんが、この記事に掲載した感想をくださった方のような受け手が、利用者がいる以上、迂闊なことはできませんて。

その気持ちで毎日、生きていっております。

そういう方の声で、僭越ながら、

「あぁ、じゃあまだ俺、生きてていいんだ!?」

と、勘違いかもしれないことを思って生きてる次第です。

なんたって、山羊座の女ですから。

自分だけが世界で唯一、この世にもたらせる形での貢献を最大限にできていないなら、生きている資格などない!とすぐに自分に厳しくしちゃう悪い癖が。

みなさんの励ましと優しさに支えられてこそ、生きていたいと思えます。ぬくぬくと。
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