どれもアリなら好きな方を信じる(自分の現実に作用する原則として採用する)

霊的な法則といった、「これ」と1つに定まるものをのぞいて。

「頑張れば夢は叶うか、そうでもないのか」

など、どっちもケースバイケースでありうる物事について、人はとかく、議論しがちです。

自分の考えは正しいと主張し、対立や反対の意見を持つ人を敵視したり喧嘩を吹っかけたり、お前は間違っていると鼻で笑ったり。

なんとしても、「正しい1つの正解(が自分の持論のほうであるということ)」を求めてしまう。

でもこれ、不毛だと思いませんか。

どっちもある場合、「どっちもあるよね」でいいんじゃないでしょうか。

大事なのは、一般論としてどうかではなくて、自分が具体的に取り組んでいる物事について、どの考え方を採用するか。

そして、直接関係ない他人がどんな考えを信じて何に取り組んでどう生きてるかについてなんか、よそ見せずにいられるかどうか。

自分がなにか夢を叶えようとしてるなら、

「他の人の場合は知らんけど、自分が今、叶えようとしてる夢は叶う!」

ってことにすればいいんじゃ。

もしそこで何かイラッとしたり、釈然としない気持ちが湧き上がってくるとしたら、ワークしてみては。
(たいていの場合、自分の思想を世の中全体に押し付けたい、いわば『世界征服願望』の一種です)

ほんとに大事なのは、世界全部が、他人が、自分の言うことを受け入れることなんでしょうか。そっちがメイン?
自分の夢が叶うかどうかって方がサブで、「夢は叶う」という持論を他人に信じさせるための道具なんでしょうかね。
他人が自分の持論を信じてくれたらいいんですか。
で、仮にあらゆる他人が持論を信じてくれたら、夢を叶える努力やそもそも関心は、なくなっちゃうんですか。
(だとしたら、夢は叶うという説をみんなに信じさせておいて、自分でその夢を叶えないことで説が嘘だということを証明しちゃいますよね。壮大な嘘つき呼ばわりをされたいってことでしょうか?)



クリアリングが進む(と少なくとも本人は思っている)と、世間一般に言われる迷信的な考え方のほうを「当然の常識」と信じてる人との会話がうまくいかず、面倒なことがあります。

べつにこちらが相手に自分の思想を押し付けたいわけじゃなくとも、話が噛み合わないから前提確認が煩雑になるんです。

どういうことかという一例をば。

「これからは自分が本当にやろうとしていることを見極めてやっていこうと思って」

と誰かに言うとします。と、

「あー、孤独との戦いですね。めっちゃメンタル打たれ強くないと」

との反応があったとします。

わかるようなわからないような。こういう、「?」と思える反応がいくつも続くとして。

で、そのオチというか種明かしというかでいうと、その人は

・この社会では、みんな自分のやりたいことを我慢して周囲に合わせるのが礼儀とされる

・自分のやりたいことをやると非常識とみなされ、周囲の人間からdisられる

ということを、疑う余地もないくらい当然で常識で世界全体の誰にとってもそうでしょ的に信じていた、というもの。

だから、その人の考えでは

「自分のやりたいことをやると、世界全体からdisられ拒否られる。ので、孤独とdisられに耐える打たれ強いメンタルが必要」

という流れが、0.1秒で起きるわけです。

ある意味、そうやってちゃんと頭を働かせてくれたわけですから、会話にちゃんと意識を向けてくれており、その人なりの機転を利かせて、空気を読んで、おかしくない受け答えをしたつもりではあるわけです。
それだけ時間と労力を割いて誠実に会話をしてくれたのだから、意見が違うというだけで「なんだテメエは!」と反応しちゃったらそっちのほうが理不尽で幼稚な人ですよね。自分の意見を押し付けている。

こういうことが、頻繁に起こりますw

これ、どっちかが合っててどっちかが間違ってるわけじゃないのは、言うまでもないですよね。
どっちのケースもあります、人と場と状況など個々の要素の組み合わせ方次第でいくらでも。

だから、べつに相手の考えを論破する必要もないんですが、影響されると自分側にはデメリットがある。
わざわざ心理ブロックを取り入れてしまうことになるからです。

そりゃ、自分がやりたいことをやるとなれば、他の人からすれば、迷惑と感じたり、鬱陶しいとか、自分の主張へのアンチだと勝手にみなして敵対心を感じることだって可能性としてはいくらでもあります。
しかも会社や学校などは、どちらかといえばクリアリングが進むどころか、生まれ持った時点でまず過去生や遺伝由来でのブロックでがんじがらめ、それに加えて教育や躾と称して、人間本来の神の性質、宇宙の王としての資質を抑圧して失わせるようなことをボンボン入れていった人が多いのが現状。

そういう人の集団で、トップというわけでもなく立場が強くないヒエラルキーの階層に組み込まれることを了承したうえで、自分のやりたいことなんかやりはじめたら、そりゃ周囲は「なにやってんの、アイツ」と白い目で見る可能性のほうが高いでしょうよ。

だから、周囲に不当な迷惑をかけることなく自分のやりたいことをやるにはどうすればいいかがそもそも問われたりもします。そこは本人の創意工夫。うまくできなきゃ邪魔が入ったりするだけのシンプルな図式。

でもその事情と、「やりたいことをやったら必ず邪魔される」という信念を持ったり受け入れたりするかどうかは、別なんです。

ここらへんの塩梅がねー、大人力(おとなりょく)なんですよね。
実年齢が何歳でも精神年齢が少年ジャンプのままだと、なんとしても思想の点で全員一致、統一しておきたくなっちゃう。

ついでにいうと、「やりたいことをやったら邪魔される」という信念で人が生きるのも自由で、その思想・信条について他人から指図されるいわれは、ありません。

なので、ここに書いたようなシチュエーションの場合は、曖昧にお茶を濁す(会話内容を真に受けたり、何か1つの結論に辿り着こうとしない)のが一番、なんだかんだいって得策だったりします。

ズルくていけないことと思われがちなオトナの処世術が、実は一番、霊的な摂理からいっても妥当というこの不条理ふうの何か!!

そもそも先に述べたように、現時点では大多数の人は、ブロックとされる制限ある思考由来の考え方のほうを、「常識的」あるいは「オトナとして物事がよくわかっている」と位置付ける傾向があります。

「誰になんと言われようと、自分のやりたいことをやる!」

などというのは、現実をよく見ることができていない、経験も頭での考えもたりない、幼稚なガキであるがゆえに思ってしまう愚かな間違いだと決めつけます。
ほんとのほんとをいえば、そう決めつけて鼻で笑って自分は良識的で立派な大人だと自負している人間の方がアレなんですけどね。

大多数のほうがアレな場合(実際そうなんだけどね、今はw)、めんどくせーんだよな。

で、そういう人の目を覚まさせる義務はありませんし、そうすることを特別に許容されている扱いにも現世的にはなっていないでしょう。

もし、相手の襟首つかんで「お前は間違っている!」なんてやろうもんなら、やった方が犯罪に問われる怖れがあります。

それに、大多数がアレな中、「アレじゃない少数派」になってしまうと、内心みんなはアレであることをわかっていて、アレじゃないほうにいつか踏み出すほうがいいんだろうなと思っているけどできないチンケなチキンだからこそ、アレじゃない側に脱皮できた人をなんとしてもボコってdisって潰そうとします。
下手げに目覚めさせて、ボコられて酷い目に遭うきっかけを作ってしまうくらいなら、余計な目覚めさせは、しないほうが相手のためでもあったりして。

だって、なんにせよ変わるときがくれば、それは自分の意思で勇気を持って選択して、変わっていくなかで起きる軋轢なども耐えていかないと。

そうじゃないうちは、ビビっちゃって話になりませんよ。

ブロックある、悪魔的なエネルギーに呑まれたほうが、多数派として

「はぁ?そんなこと考えてんの?無理に決まってんじゃん、バッカじゃないの」

といって、神性に目覚めた人間を悪く言って挫けさせ(悪魔側の堕落に呑まれさせようとす)るのなんか、常套句ですし。

わかるだけの知性も霊性もない人間に、霊的真理はただの毒。

そこらへんも考慮して、他人のことはいいから、自分が信じたいものを信じて、それを信じたからこそ具現化できる素晴らしい現実を生きれば、まずはそれで。

だってさ。
現時点で、夢を信じれば叶うというほうの考え方を採用して、いろんな人が、これまで数千年だか数万年だかそれ以上だかの人類の歴史の中で、いろんなことを成し遂げてきた。
現代だっていっぱいいますよね。超難関大学合格や、医者・弁護士などの難関資格取得、芸能人として売れるといった確率でいえばとても低いことを成し遂げた人、ギネスブックの記録なんか全部そう。
つまり、「夢は信じれば叶う」という考えひとつとったって、それを裏付ける現実を打ち立てた物事や人は、わんさかいるんです。
しかも、口ばっかりじゃなく現実に何かを成し遂げた人がテレビや雑誌、本などで、自己啓発の促しじゃないけど、その思想を、考え方を、説いてます。

それでも信じない、受け入れないで、
「夢なんて叶わないよw」
と言い続けてる人たちなんですよ。

よっぽどのバカか頑固かその両方か、ってことですよね。

そんな人間は、(そういう在り方を貫き続けること自体が莫大なエネルギーの消耗で、そんなことにエネルギーを莫大に消耗してるから夢を叶えるだけのエネルギー余力がなくて叶ってないからほんと自業自得なわけで)放っておけばいい。
だってあなたには、そういう人を強制的に変える資格も権限も義務もないんだから、べつにいいでしょ。

ゆくゆくは変わる人たちではありますが(だって深い深いところではそういう意図を持っていないとこの世には生まれて来られないので)、まだ、ってことなんです。タイミングが時期尚早!

それよりは。

いずれにせよ現実で何かを創ったり変えたりできるのは自分の自由意思での権限が及ぶ範囲内でしかないのだし、人のことなんか気にしてないで、自分がまずは、信条どおりの現実を創る。

あなた自身が、自分自身が口ばっかりになったら元も子もないわけですから。

それでいいんじゃねえの、って。

だって、やることやっていれば、そのエネルギーが、いい意味で類友を呼ぶもので、わざわざなんとしてもアンチで「夢なんて叶わない!」と豪語する連中ではなくて、「だよね!夢は叶うよね!」という人たちが集ってくるものです。
動きが目立つと、出る杭を打ちに最初はアンチも飛びつきますが、「全力でやっても打てない、勝てない」と感じると、ついさっきまで杭を打ちに来て実際ひどい妨害工作をしたとしてもそんなことあったっけくらいにシレッとすっとぼけて、蜘蛛の子を散らすようにいなくなります。
そしてそういうショボい、出る杭打ち連中は、自分のチンケな力でも打てる程度の出る杭を別に探し始めます。
(そうやって自分の強さと正当性が証明されたかのような気になることで低い自尊心を回復できたような補償行為とする、というのが出る杭打ち連中の動機なので)
そのあとはもう、やりたい放題。誰にも邪魔されず、信頼できる仲間だけが残ります。
そうやって、世の中で何かを成すときのあるあるなプロセスと洗礼を経て、それでも挫けなかったものだけが夢を叶えられる。
真っ当に、あるあるどおりに、やらかしちゃえば、いいじゃないですか。ねぇ?


どうしてもダメ?やだ?
実際に夢を叶えるかどうかじゃなくて、自分の言うとおりに口先で持論を展開するように他人を矯正しないと気が済まない?
それならそれで、あなたがどうしてもしたくてたまらない、(思想面での)世界征服、そのままお続けになればよろしいかと。

ってことですよね?
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