傍目にはなにもしていないように見えても、 私がここ数年学んできたことやあれこれ考えてきたことはエネルギー的には大きな動きとなって表れている

(私ではなく)認定ファシリテーターさんが開催するセミナーでマルチプルアバンダンス中級を受けられた方からの感想いただきました。

「エーテル体を観る」の実習のとき、ファシリテーターさんから
「今いろんなことを学んでらっしゃるからアストラル体の表象の動きが激しくて、どんどん消化吸収してエーテル体に移行していってる最中、って感じですね」
と仰って頂いて、自分でもなんとなくそれが感じられました。

ここ数年引きこもりに近い生活をしていて、
家族や友人から散々
「もっと外に出たほうがいい」とか「働け」と言われてきたので、
自分でも「もっと精力的に動いたほうがいいのかなぁ」という焦りとそれができないジレンマがありました。

この実習を通じて、傍目にはなにもしていないように見えても、
私がここ数年学んできたことやあれこれ考えてきたことはエネルギー的には大きな動きとなって表れているということ、
今はわかりやすく目に見えて大きな行動をしてはいないけれど、
今、内的に消化吸収していることが、ちゃんと自分の本当にやりたいことや、多くの人の内在的需要を満たすための行動に繋がっていること…などが感じられて、安堵感を覚えました。

・豊かさ波動チューナーの完璧化
・豊かさ創造の見届け力UP
の実習を通じて、
「今現在の内的なエネルギーの流れが現実に結実するのを、焦らずのんびりと楽しんで待つ」
という感覚もじわじわ~っとわかるようになってきた感じがします。

今回マルチプルアバンダンス中級で提供して頂いたエネルギープログラム群、
いろんな生き辛さを抱える人や、
「やりたいことはあるのに行動に移せない」
「やりたいことが特にない・わからない」
という人たちのサポートにもとても役立てられそうだと感じています。

本当に素敵なエネルギープログラムをどうもありがとうございました。

ちゃんと働く、ってとても大事とか、あるいは社会人なら当然、といわれやすいですが。

ただ単に、その仕事が他の人にとってどう意義深いものなのかそうでないのか、自分の望む人生の実現にどう寄与するのかそうでないのかを考える視点は、これからの時代は特に個々人が考えなければいけないことだと思っています。

ただでさえ、ブラック企業と呼ばれるような待遇の悪い会社が多くなってきていたり、従業員を物みたいに使い捨てる気満々の、目先の金しか見えてない経営者(と呼べるほどちゃんとしてないと思いますが)が増えたりしています。

それに加えて年金制度が将来どうなるのとか、物価が上がると貯金しても相対的にその金額が持つ価値は下がるよねとか、資産形成という点でいえば不利となる要因のほうが多い時代ともいえます。

そういう世相で、とにかくどこでもいいから会社か何かに所属して、あるいはバイトでもいいから働きに出て、どんな薄給でもいいから文句を言わずに働いていさえすればそれはとても立派なこと……というのは、一見とても立派なようですが、実は細かく現実的に物事を考えていない雑な乱暴さゆえの怠惰です。

これはべつに、甘えとしていつまでも親などに依存していていいとか、不当とされる条件で生活保護をうけてだらだらすることを肯定するという意味ではありません。

ただ、働くは働くでも、せっかくなら、自分にとっても他人にとっても、ひいては社会にとっても意義のある仕事をしたほうがいいし、利益は(その利益を感謝して払ってもらえるなら)最大化するにこしたことはないと思っています。

その、自分という材料を、資源の価値や労働対価、なんなら働いてる時間の幸福度など精神的な充足面各種を最大化するという意味でも、ただとにかくなんでもいいから嫌でもどこかに今すぐ就職してがむしゃらに働け、というのは望ましくない可能性が高いという意味です。
(まあでも若くてほんとに甘っちょろいだけの、20歳だかを超えただけのガキなら、どんな非生産的でもやりたいことじゃなくてもいいから仕事して、大人が捉える『働くとはどういうことか』くらいちゃんと覚えて、理不尽でもなんでも耐えらえるようにしとけばいいんじゃないのと個人的には漠然と思う程度にはオジサンですが)

たとえば私の場合、ある仕事を視野に入れて最近、本格的に動き始めたのですが、その仕事を斡旋してくれる立場の人から
「どうしてあと10年早く来なかったの?その頃に来てくれたら、いくらでも案件があったのに」
と残念がられたことがありました。
確かに、もう10年早く、嫌々ながらも「それはきっと良いことらしいから」と会社勤めなんかしてないで、思い切って辞めてすぐこういうところに来れば別の展開もあったのかなと思います。
(まあでも年齢的には若くても、その年齢だったときの自分の未熟さやエネルギー波動の低さ、抱えていたブロック、世渡りするうえでのおぼつかないスキルetcを考えると、ほんとに10年前に来たところでたいしたことはできなかったとも自己分析しています。若いとされる20代の頃、世間的にも今ほど若さ至上主義ではなくてむしろぺーぺーは早くベテランになれ的な雰囲気でしたし、10~20代の頃からどういうわけか頭角を現すタイプの即戦力的な才能というかセンス、実力といったものを自分が持っていないのも自覚していました。それを会社勤めなどで時間を奪われることなく補うため、たっぷり自分のやりたいことのために時間を使えるようにと、ヒーラーとして独立し、少ない労働時間で稼ぎ、確保した時間で芸事など諸々を磨くことに充てるということを10年近くしてきて身についたことがあるからこそ、今、目をかけてもらえているのだろうなと思っています)

ここらへん、難しいんですよね。
どっちが正解だったか得だったかというのは、どちらかしか選べない以上、「もしそうでなかったら今ごろどんなだったか」は想像するしかなくて、正確な比較はできないからです。

でも、というかだからこそ、「とにかく社会人になったら働くのが偉くて立派というか普通(そうでないならクズ)」という安直なキャリア理論(ってほどでもない雑な考えだけど)を鵜呑みにして、どんなにつらくても先が見えなくても給料が安くてもとにかくお世話になったところで頑張れ、というのは、(古来からの日本人的美徳観念・道徳観念からすると大変立派に見えますが)あぶなっかしいなぁと思っています。

何かに挑戦するということ自体、失敗してもともとではありますし、ずさんに向こう見ずにポーンと清水の舞台から飛び降りてほんとに取り返しがつかない大失敗をやらかすというのはかんがえもの。
でもだからといって
「ちゃんと会社で働いてる自分は立派」
ということにして思考停止してそれを正当化し、ただつらさに耐えて「ほら、ちゃんとつらいことに耐えてるから自分は立派」ということにして時間を過ごしてしまう……というのは、一般的に成功できてる人たちの観点からするとまさに「最低最悪の選択」ということになりそう。

先日、某外資系保険会社が「前職までの経験を問わない管理職募集」をかけたことがありました。想定年齢は30~40代で、普通なら同じ業界での経験や管理職経験がなければ中途で管理職募集などしないものですが、例外的にやってみたわけですね。
そしたら。
せいぜい全国で20名、採るか採らないかの枠に、

1万人以上の応募があった

んです(直接、その会社の人事担当者から聞きました)。

その求人告知自体、そこまで大々的に広告宣伝したわけではなくて、普通に働いていたら「え、そんな会社がそんな募集をかけたたの?」と気づかないもの。

でも、いわゆる転職サイトには求人を載せたわけで、それを逃さずチェックして、応募した人が日本だけで全国に、しかも新卒でもなんでもない、30~40代で毎日会社などで働いてる人たちが応募したという事実。

ニヤリ、とほくそ笑んでしまいました。嬉しくて。

「やりたいことはあるんですけどぉ~、どうしてもできなくてぇ~。腰が重いっていうかぁ~。今はそういう時期じゃないのかなぁと思いもするんですけどぉ~」

とスピっ子ちゃんたちがそれぞれの段階でいつまでも何段階にでも詳細に精緻にご丁寧に躓き続けてる一方、ちゃっかりしっかり、会社で明るく同僚に挨拶して、いかにも会社のために頑張るぞ的に働いて成果を出したりしつつも、自分の人生はそれはそれで会社に尽くすこととは別に考えている。有利?に思える、チャンスのように感じる求人案件を探して、見つけたら応募してるわけですよ。それが全国に1万人いる。
落ちたり、内定しても条件に納得できなかったり気が変わったら蹴ればいいんですからね。応募する前にためらう理由は、何もないわけで。

かつてはそうして、忠誠を誓う会社に正社員だかとして勤めておいて、ましてや管理職にまでなっておいて、転職活動をこっそりするなんてこと自体が罪と捉えられる風潮もありました(今も一部にはありますよね)。

でもさ。それは厳密にいえば犯罪でもなんでもないし、会社に尽くすだけ尽くしたところで報われるとは限らないとか、いざというときはそれまでどれだけ長く忠実に勤めたところでクビを切られるのは一瞬なんだなとか、リストラの横行や大企業の急激な経営悪化、倒産事例などでみんなわかってるでしょ?(それでも認めたくない、あくまでちゃんと勤め続ける自分は立派で偉いという妄想に浸ってたい弱いズルい人はいるでしょうけど)

自分のキャリアは、自分でどうにかするしかないんですよ。

で。

長くなりましたが、マルチプルアバンダンスは、特に中級は、自分が持つ豊かさ創造能力各種をチューンナップすると共に、自分に適した生き方や生活サイクルを拡充しつつ知る内容が含まれています。

いま理想の仕事に就いている人はさらなる飛躍のために、目指す仕事のため自分を磨いている人はその磨く道具の一環として、嫌で報われない薄給の仕事に耐えていたり、仕事をしようと思ってもできない状態で悶々と、あるいはぐうたらのんびりしている人。どの人にも、役立つようにデザインされています。

使いたければ使うといいかもですよね。

あと、働かなくても生きていけるなら働かなくてもべつに犯罪にはならないし、そこまでいわゆる労働生活が尊いとも個人的には思いません。

でも働くにせよなんにせよ、トシのわりに経験が少なくて世の中のことや人の、特に働くでもなんでもいいから一筋縄ではいかない世間というものとしっかり向き合って取っ組み合ってしっちゃかめっちゃかどうにかできてる人のことやそうしたからこそ身についていくものを知らない人は、年齢が上がれば上がるほど、非常識というか、言ってることがズレてるように思えて魅力的に思えず尊敬もできない、できれば付き合いたくない、付き合っても面白くない人だと思われる可能性はどんどん高くなるでしょうね。

それでもいいよ、というならべつにそれでもいいと思うんですが。

でもだとしたら本格的に、なんで生きてんのって話になるんですかね。

大金持ちで親が面倒みてくれるとか、その親がいつか死んでも遺産がっぽりとか、とにかく生きるのに困らないならまぁ、なんでも甘々でのほほんといつまでもしてればいいと思いますが。

どんだけそれまで無職でもトシいってても、俗世間で通用するスキルや感覚、知識も何も持ってないとしても、たとえば培うべきものを培っていて小説か何かで評価されるなどの道もあるので、そういう可能性や指向性での活躍も含めたら、もう何が正解かは本格的にわからなくなっていきますけどね。

ちなみに、私自身、まだ40歳にもなってなくてこう言うと恐縮ですが、年齢が上がれば上がるほど、働くにせよ遊ぶにせよ、何をするにしても、ハードルというか、基準というか、「これが普通」というのが上がっていく印象はあります。

いつまでも、「やろうとは思ってはいたんですが、でもぉ」のままで、働いた経験もなければ、かといってそのへんの勤め人にはできないような豪遊経験や、話題になるような破天荒なライフスタイルの構築と実践、そういったものの何もなく年齢だけが上がっていくと……。

それはそれで、それだからこそ見えてくる展開があるのかも!?

ということで、そういう人生の過ごし方をしている方はぜひ、それをいつまでも続けて、10,20,30年後とかに逐一、

「こうなったよ」

と、有様を見せてくださると嬉しいかもです。げんなりするかもだけど。

「世間的には働いてないけど私はスピリチュアルなことは何もかも理解できていて悟りを開くことができている、優れた魂の、洗練された霊性の人間です」

とかふんぞりかえるとしたら、そのおめでたさはそれはそれで個性。

みんな違って、みんないい。

ありのままで?
自然に無理せず?
現実で通用しないのにスピはわかってるってことにして?

まあでも新鮮なライフスタイルですよね。旧世代にはあんまりいない。
(何百年も遡ると、それはそれで一定数いるのかしら)

昔話の「山ん婆」とか「鬼」って、たぶんコミュ力(こみゅりょく)低いとか奇形とか障害とかいろいろあって村での集団共同生活ができなくてあぶれて、山奥に引きこもった的な人だったりするんじゃないかなぁとも思うし。
それで自給自足で基本的に食うものもままならない生活だったら、村の子供が山に迷い込んできたら、そりゃ、捕まえて食うことだってあるだろうし。

どんな生き方をしても、その生き方なりの「次の結果」は出るし、それがどんな(嫌な、不幸に感じる、悲惨な)ものであれ、出てきちゃった現実からは、いくら頭のなかで現実逃避プレイをしようがなんだろうが、本当に完全に逃げ出すこともできないわけだからねぇ。
ほんとにこの時空間にいる今の状態を変えるには死ぬしかないし。
死んだところで輪廻転生を無限に繰り返すわけだから、またこの世に戻ってきちゃうし。

マルチプルアバンダンスは、それまでいくら個人的に?頑張ったりしても変えられなかったこと、気づけなかったこと、変われなかったことetcを変える可能性を持ってます。
マルチプルアバンダンスの基本設計思想がお金という豊かさに限定や固執してない理由はここにあります。
ある一生で大金持ちに(しかも、宝くじや相続など自分の行動を通じての結果ではないのに)なってしまったところで、お金を使って味わえる贅沢やらは味わえたとして、それ以外は、それ以上は、手に入りません。
(世界最高級の何々、というのを、たとえばネットなどで調べるだけ調べてみてください。豪華ではあるでしょうが、ホテルでも車でも、そこで寝るのは庶民と同じ、それに乗ってどこかに行くという経験内容は庶民と同じなんです。なので、文字通り、魂に響くような、霊的な気づきや成長を得られるような、本当の意味での、あの世にも来世にも持っていける『魂の輝き』という豊かさは、お金だけポンと渡されて好きなように使ったところで、手に入りません。そしてある一生で、怠惰な金持ちとして過ごした人は、それ相応のカルマによる学びがふさわしい来世になります。さぁ、はたしてある一生でなぜか大金だけ手に入ってしまうことは、『豊かになった』と言えるでしょうかね?)

面白そうだったら、受けてみれば?
(べつに結果は保証しないけど&本人に準備が整ってなければ、いくらマルチプルアバンダンスかけても何も効果が出ないようにわざと設計してあるけど)

ヒヒーン!(←馬の鳴きマネ)
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