どうしてもセッションできなかった話

ヒーリングを希望されるお客様(候補としての、依頼の連絡をくださった方々)のなかで、エネルギーを読むと

「一目、会って話をしてもらいたがっている(だけ)」

という方が一定数おられます。

で、その会って話をしたい(聞きたい)動機の中でも、純粋度というか不純度というかがあって、極端な例でいえば「性的にイケるから生で会って視姦したい、援助交際的に一緒に過ごしてもらいたい」という場合だと、さすがに会う約束をするわけにはいきません。
(一定数以上、男性にもおられます)

あるいは、最初の連絡はヒーリングの依頼でも、いざお会いしてセッションをすると、お客様のほうで「思った以上にちゃんと自分の問題と向き合わないといけないんだな(これは面倒だ)」となってしまい、問題を解決すること自体を放棄しつつ、
「あたし、usamimiさん本人に興味でてきちゃった。よかったら今度、一緒に飲みにいきません?いろんな話、お酒を交えていろいろ聞いてもらいたいし、いろんな話を聞きたい」
と、ナンパになってしまう人もいます。(私からすると、『ちゃんと問題と向き合うのは面倒なのでやっぱり解消しなくていいです』という選択をする人というのは単純に尊敬できませんし、ましてやヒーリングの仕事はいいからプライベートで会おうと言われても、ヒーラーとしての自分を蔑ろにされたみたいでとても屈辱的です)

先日は、ヒーラーというかスピリチュアリストというかの意味合いで尊敬を根底として私個人に興味を持っているという方からの依頼がありました。

依頼メールをもらったとき、その方がどういう方か、どういう動機か、その人の依頼を受けることが双方にとってどんな結果になるかなどを霊視してから返信をするのですが(←これを言うと驚かれますが、やってる側から言わせてもらえば、これをせずに赤の他人と会ってお金のやりとりをするというほうがどんだけあぶなっかしいか、という感じです)、

「人を興味本位で見ている侮辱的な動機ではなく尊敬を根底としているが、ヒーリングセッションで相談したい内容を実は持っておらず、会う口実として予約を打診してきている」

と観えました。

で、さんざん考えたのですが、会うだけあってみることに。

で、お会いしてみると、前もって霊視したとおりでした。

なので、セッションを始めずに雑談の体裁でおしゃべりをして、実に3時間も話し込んで、こちらから

「今からセッションというのもなんですのであらためて」

とお帰りいただきました。

お話も人となりも素晴らしくて感激でしたといった旨のメールをいただきましたが、「よく考えたらセッションで相談するネタがないので(笑)、もういいです」といった旨も書いてありました。

何もかも、最初に霊視で観えたとおりでした。

上から目線で人を品定めするのはどうよ、と自戒しつつ、この方とお会いして話せたことは自分の人生の一部として存在してるのは間違いないし変わらないし、何かしらこちらにとって良かったと思える情報というかも貰えたりしたのかもだし、単純にスピリチュアルと現実社会の生活をバランスとって生きようという1人の人間の有様と想いに触れたことはありがたいことなのだろうなぁ、などなどと自分を説得しつつ。

ただどこかで、ヒーラーとしての業務を求められてはいなかったのだなぁ、ということは、プロのヒーラーとしては、(それ以上でもそれ以下でもないっちゃないけど)嗚呼、とは想い。

個人対個人で会ってるだけにすぎないのですが、いわば自分はヒーラーという専門家・職業人としてではなく、(スピリチュアル)タレントとして求められたのだなぁ、ということを認めざるをえませんでした。
(べつに自分自身をタレントだと言いたくて図に乗ってそう言い張ってる、というのではなくて、『この図式を解釈するに、そういうことになるよなぁ』と)

持ち上げてくれてるのを悪くは言いにくいけど、ヒーラーとしての仕事を求められたときしか、私はヒーラーとしての仕事はできないみたいです、というオチ。

不器用だなァ、いいじゃん、こっちをチヤホヤしてくれるならそれを利用して、サイン色紙でもなんでもあげて、たんまり金をせしめればいいじゃないの、って?



職人的に裏方的に地道にまっとうにヒーラー業をシコシコと精進していきたい私の動機はブレずにあるので、タレントとして求められるというのは若干、寝耳に水というか、生意気かもしれませんが若干、不本意ではあります。

ただ同時に、そこまでガチスピで個人の深いイシューを解消していくぞというよりは、生活の一部とか思想の拠り所というかでスピ本やスピリチュアルリーダーとされる人の話に触れて自分なりに想うところを温め、気づきを得ていく的なスピとの触れ合い方もあるとは全然おもっていて。

特に、日常や世間といったものからぶっとんで「特殊な(ある閉鎖された)社会」を形成してしまうカルト教団などに入るとかではなく、あくまでも一般的に社会の中で暮らしていつつ、その人なりのスピリチュアリティを大切にするというスタンスの人は、なんだかんだいってスピに興味ある人の中でも過半数を占める「多数派」になるのでは。

その意味では、スピ本を書いたり、講演をしたりというスタイルは、あながち悪いものではない動き方かもな、とも思えてきます。

大御所の名前を出して何様かもしれませんが、なんなら寂聴とか美輪様、江原さん(←わざと世間で通用する俗称みたいな言い方をさせていただきます、あくまで尊称として)がしているような動き方が、私にも求められているのかも、なんて自分で言うとほんとテメエなんだよ感すごいですが。

でも図に乗る感覚とも違い、「そういう動き方をしたら、したなりに人から救われたとか参考になったとか触発されたとか、何かを決める踏ん切りがついたとか、なにかしらお役に立てるだけの話をしたり書いたりは、できそう」とも思う部分もあります。

こういう感慨のまとまり方は、私のほうから「ねぇ、俺ってスピリチュアルリーダーの素質あると思わない?スターになれる器だと思わない?スピリチュアル枠のタレントとしてメディアにばんばん出て、売れて稼げるよね?」と言いたいわけでは毛頭なく、「エネルギー状態というか培ってきた資質というかからして、そういう収まり方?出方?で一定以上の成果は見込めそうだな」と引いた目で見て思う、というものです。
それも、ヒーラーとして独立してなんだかんだ10年近く経って、ヒーリングとスピリチュアルの分野で10年選手的に人生を捧げた結果、徐々に成立してきたものなわけで。
(世の中には、『メディアで注目されたのを機に、一気にヒーラータレントとしてスターダムにのし上がる!』と、ヒーラーという立場を、ヒーリングの技法を、自分がタレントとして売れるための踏み台として使う人もいるようですが←どういう考え方もアリだよ、と綺麗事を言うのもいいですが、私は正直いって、こういうスタンスでヒーリングを武器にする人はクソだなと思います←特に直接の面識がある人たちでまさにこの路線ど真ん中!で芸能事務所にまで所属するに至った人たちが実はおり、もうなんていうか、よくやるよテナルディエの宿屋夫婦が、的に開いた口が塞がらない心地でもう考えないことにしてます)

これも1つの波なのかな、ということで、いきなり「スピリチュアルタレント」というとアレな気がしていることから、まずは「タレント」としていろいろ、見ていこうかな模索してみようかなと思って諸々のプロジェクトが進行中。

こういう流れで芸能界に入っていくことに結果的になる人って、どのくらいいるのかわからないけど、話がちゃんと動き始めてみて思うのは、単なる憧れや現実を知らずに勝手に良いものに違いないと空想して都合よくモチベーションを滾らせても芸能界には入れない(=現実として夢が叶う意図ではありえない)ものなんだなということ。
逆にいえば、まったく華々しさといったものを求めていなくても、何か筋(スジ)というか芯というかが通っている人であれば、それがべつに特別とかみんなの憧れ?かとか関係なく、その意図が叶った結果として、たとえばスターと呼ばれる有名人として成功とされる実績につながったりするのだなということ。
(昭和時代の芸能人って、動機は意外と『母子家庭で貧しくて借金まみれなので自分が芸能界で売れでもしないと借金返済も生活もままならない』からなど、キラキラ路線とは全然関係ない理由で芸能界入りしてたりしますよね)

なんていうか、どこまで行っても現実なんだな、夢が夢のままで存在しているところなんて、この世の現実世界には、1つたりともないんだな、という、ごくごく当たり前なのであろうことを痛感します。

ってなにいってんだ無名のチンケなトシくった、タレントとしては実績ほぼゼロでまともにデビューするかできたかすら怪しいアラフォーのおっさんが。
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