アナスタシア (響きわたるシベリア杉 シリーズ)

ロシアのヒーラーが束になってもアナスタシアの足元にも及ばないとされる、伝説的な実在の人物(との対話)を描いた本。現在アナスタシアは40代半ばということになりますね。

ジャンルとしては間違いなくスピ本だと思いますが、小説の体裁をとっています。


著者であるウラジーミルがひょんなことから歩きで旅をすることになり、そのガイドというかで現れたのがアナスタシア。

彼女は旅すがら、自然の神秘や人間の本質、宇宙の成り立ちや仕組みなど、常識的にいえばおかしいとされるような奇想天外なことを話します。

アナスタシアを疑ったり、(霊的な真実を突きつけられたときの俗っぽい人間がみんなそうであるように)怒りを覚えたり、圧倒されたり感動したりする著者の反応がいわば「常識という名の、霊的真実から逸れた悪魔的幻想や制限ある思考という鎖に縛られた一般的人間」を代表する聞き手として機能します。

まぁ体裁としてはよくありますよね。
本の中で著者は、作家としての才能はないがアナスタシアと出会ったことでこの本を書き、その本が多くの人に届き、闇の勢力とされるものを打ち破り光の世界を推進することになる運命を実現した旨を綴っていますが、たしかに小説という意味では稚拙です。
そういう物語としての構図はある意味どうでもよく、
「アナスタシアがこんなことを言ってたよ」記録集と割り切ったほうがいいかも。
(実際、後半になるにつれ、物語的な部分はどんどんなくなり、ただひたすらアナスタシアが言ったことを書き留める体裁になっていきます)

2017年3月時点で、日本語訳は5巻までですが、ロシアでは10巻まで出ているそうです。このあとも続くのかな。

1巻の内容で、(小説家としての才能や実績があるわけでもない)著者が、アナスタシアの願望実現コマンドのおかげで、銀行や出版業界、その他もろもろの善き人々からのサポートを受けたおかげでトントン拍子に話が進んだことが書かれますが、アナスタシアの出版実現コマンドは今もなお続いているんでしょうか。

著者ウラジーミルを通じて、アナスタシアの教え(というか、この世界の普遍的な霊的真理をアナスタシアがたまたま伝えているというだけという体裁。アナスタシアの主観ではない感じ)が、世界中に今まさに届けられている真っ最中ということなんでしょうかね。

個人的感想をいえば、基本的にアナスタシアの発言として述べられていることで何か霊的におかしい、ズレてると思う点があるかというとなく、まぁそうだよね的です(←そっけない)。

でも1巻の出来事(著者とアナスタシアの出会い)が1996年、今から20年以上前ということを考えると、たしかに驚異的かもしれない。
当時、今とは比べものにならないほど、悪魔的な力が世界を牛耳ってるようなところがありましたもんね。
インターネットが全然まだ普及してなくて、今ほど一般的にみんながスピ的な良質な情報、真実とされる概念に触れることも容易ではなかった印象があります。
その時点で、これだけの内容(20年経った今読んでも何一つおかしくないです、おそらく1万年経ってから読んでも、1万年前に読んでも、どこもおかしくもなく、全然古くも新しすぎることもなく、全世界的に、民族や文化を超えて、人が本来もっている神性というかを刺激して、『!』という反応を得るでしょう)を、闇の勢力に邪魔されず出版に踏み切るというのは、たしかに偉業だったといえそう。。。



ただ1つだけ、この本シリーズを読む人に「こうなってほしくないなぁ〜」という個人的な勝手な想いを述べていいなら、

「何かをdisりたくて誹謗中傷して攻撃したくて、反発したくて、この本の内容・アナスタシアの発言を水戸黄門の印籠みたいに使う」

読み方。

自然と調和して逆らわないといって家もなく野宿(ほんとに草原や洞穴で寝泊まりして水道電気ガスや工具、機械、コンピュータの類を一切使わない)で生活をしているとか、起業家は世界で最も可哀想で不幸な人々だと断じるとか、ある意味では非現実的だったり、人の反感や顰蹙を買うような内容が入ってるんですよ。

で、過激な思想という感じで無農薬栽培にこだわる人とか、機械文明に反発する人が、「我が意を得たり!」みたいにこの本を経典みたいに祭り上げて、誰かを攻撃する大義名分に仕立て上げるみたいな読み方だったら残念すぎだな、と。

まぁ、そういう人が出たとしてもどうしようもないし、好きにすればいいし、出たところでべつに世界がすぐ滅びるわけでもないんだろうし、滅びたとしてだから何だ、でもあるし、ぶっちゃけ、そこまで本気で懸念してるほどでもないんですけどね(笑)。



それに加えていまの時代にこの本を読む人にとって重要なのは、この本に述べられているようなことを踏まえて、ブレず、逸脱もせず、かといって現代社会と相容れない社会不適応に陥ることもなく、どうバランスをとるかという点だと思います。

この本シリーズのファンになって、「アナスタシアはすごい!みんなアナスタシアの言うとおりにすべき!この本で私は救われたからみんなも読んで!」というだけだと、熱心な信者ではあるのかもしれないけど、受け身なんですよね。

アナスタシアがこうして著者を通じて述べてくれたことを受け止め、かつ、それを、どうすればこれからの社会で、人間の本来の本質、常識という名の誤謬で穢され否定され隠蔽された世界や宇宙についての真実を知りながら、いきなり現代社会をまるごと破壊・解体して作り直すとかではなく徐々に変えていくか。

それは、この本を読んだ人々、偉そうに言っていいなら「私たち」それぞれが、主体的に考えて、なにかしらの形で、試行錯誤ででも、実践していってこそだと思っています。

ただ、アナスタシアを偶像として教祖として崇めるだけに終始してはいけないと思っています。(まぁ、どうしてもそうしたい人はそうしてればって感じだけど個人的にはそこまで尊敬はできません)

「じゃあ、どうするか。どうしよう。私はこうしてみたけど」

ということを1人1人がしていかないと、本当の意味で、アナスタシアが本を通じて多くの人にこの内容を伝えた意義は、果たされないのでは、と。

もちろん、べつにアナスタシアの言うことはそれはそれとして、だから何だ、と冷ややかに突き放して捉えるというのも、自由だし、ある意味では大事な視点だと思います。

これまた個人的な勝手な意見ですが、一番ショボくてダサくてあんまりなのは
「アナスタシアに会いたい!そうすれば何かご利益があるかも!」
という、痛々しい依存気質と寄生虫願望のファン心理100%な読み方w
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