2011/3/11の思い出

この日のちょっと前に「これが決まれば!?」と思えるような、すんごく大きなオーディションがありました。
決まればキー局の帯番組のナレーター。それを皮切りにずっとその道でやっていけるかなというもの。
最終面接の2人にまで残り、確率は50%。

受かった人にこの日の正午までに電話が来るという話。

電話は鳴りませんでした。

30歳すぎてまで売れないで、いったい何やってんだろう、そのために会社もやめて、自力で生活が回る程度には金も入るようにして、もういつでも仕事が来れば請けられる体制を整えて、このザマ。

自分がやりたいことをやれない人生なら、夢が叶わない人生なら、生きていても何の意味もない。

そう思って一人、部屋で号泣しました。

世界がひっくり返るような感覚の中(てか物理的にそうだったんですね)で。

夕方、泣き疲れて近所の蕎麦屋に行きました。

まだ夕飯時には早いためか、このあたりでは評判の蕎麦屋でしたが客はまばらで、一人黙々と、

「生きてるからには食わなきゃ話にならん。生きていくからには夢がどうのこうのという前に、嫌でもなんでも食えるようでいなきゃいつか来るかもしれないチャンスも掴めない」

と神妙な心地で蕎麦をすすっていました。

テレビではつい数時間前に起きたことの映像が、しかもさほど長くない、かろうじて撮影されたのであろう映像が、繰り返し、繰り返し、放送されていました。

夢が叶わないなら生きていても何の意味もないと絶望する自分は相変わらずこうして生きており、そうではない在り方や考え方だったかもしれない人たちが今日死んで。

明日、どのツラ下げて目覚めて、どんな心地で、何のために、どう生きればいいのか。なんでそんなことをしなきゃいけないのか。

蕎麦を食べ終えてお茶をちびちび飲みながら、そのことをずーっと、考えていました。

幸い、電気も水もガスも無事で、しかもなぜかうちの近所のスーパーやコンビニからは物がなくならず、食べ物屋も通常営業を続けていて。

いつもと同じように帰宅して、あったかいお風呂に入って、暖房のきいた部屋でベッドで寝て。

何年経っても、この日の自分がこうだったこと、そういう有様だった自分をどういうふうに捉えてどんなふうに位置付けたらいいのかをぼんやり想います。

P.S
この翌日、スカイプで某アメリカ在住のヒーラーさんのワークショップに参加したのですが、名前を呼ばれたときマイクをミュートしていたことに気づかず喋っていて、相手のヒーラーさんに音声が届かず

「あれ?usamimiくん?声が聞こえないよ?津波で流されちゃったかなぁ?」

とそのヒーラーさんがギャグを言い、それを聞いた他のスカイプ受講生(欧米の人たち)が一斉に

「A〜HAっHAっHA!!! ツナミ! ツナ〜ミ〜!!! GYA〜ッHAッHAァ!!」

と長いこと、ほんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーに、長いこと、大爆笑していました。

その1分半くらい?の間、ずっと目を閉じて深呼吸して、とりみださないようにするより他になく。

今でも忘れません。
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