悪魔を出し抜け!

ちょい前にこのブログで「図解強化版 思考は現実化する」という記事として紹介した、ナポレオン・ヒル博士の著書。



なんと生前には出版されることがなく、死後も80年近く遺族が所蔵したまま&出版に反対し続けたという、いわくつきの本です。

どうしてかというと、この本はタイトルどおり、悪魔の出し抜き方を赤裸々に述べすぎているからです。

これは二重の意味で危険といえます。

1つは、文字通りに「悪魔」と解釈した、宗教関係者(団体)からのバッシングへの懸念。

日本人からすると意外かもしれませんが、現代でも、宗教的教義が根強くある国などでは、迂闊に神や悪魔について勝手な説を展開すると、反感を買ったり、それが原因で最悪、殺されるなどの危険もあながちないとはいえない現状があるようです。
(たとえばハリー・ポッターは魔法使いを描いた小説ですが、宗教団体が猛烈な抗議をするなど、洒落にならないことが諸々起きています)

もう1つは、本のなかで悪魔が語る、人間を誘惑して堕落させる手口を明かしてしまうことで不利益を被る人間がいるということ。

ヒル博士は生前、ひょんな誤解からギャングに命を狙われ、殺される寸前に街を出て森の中で何ヶ月も息を潜めていた時期があるとこの本にあります。

人の怒りを買うことで、冗談ではすまない窮地に陥ることがあることを、身を以て知っているわけですね。

あとは時代でしょうか。なんたって1930年代。第二次世界大戦に向けて世界全体が狂っていく時代の真っ最中です。
今より人間がナイーブで、善悪を幼稚なまでにきっちり分けて、そしてあまり分別があるとはいえない熱狂や群集心理で暴動が起きたりする可能性も、現代人のメンタリティーより高かったのではないでしょうか。事実、(第一次が集結したわりとすぐ後で)世界大戦が起きちゃう状態の人間たちだったわけです。

あと単純に、悪魔という題材を本にするということ自体が、キリスト教圏でどのくらいタブー感あるのか、想像もつきませんが、日本人がなんとなく想像するよりやばいんだと思います(←雑)。

まあいいや、で、中身の話。



これは自己啓発どころか、スピ本だと思います。

なんたって、チャネリング(←とは明言してませんが)したとしか思えない体裁で、悪魔と対話をしています。対話というか、インタビュー。

そのなかで、

悪魔は肉体としての姿形を持たない意識エネルギーであること

や、

この世の半分、ネガティブな側面を支配していること

が、まず示されます。

そのあと、悪魔は人間をどうやって堕落させるかについて、ヒル博士が気鋭のジャーナリストばりに悪魔から言葉たくみに情報を引き出します。

詳細はぜひ読んでご自身で確認していただきたいですが、

教育や宗教関係者などを本人も無自覚なままに自分の虜にし、「いいもの」を提供しているつもりでその実は子供から自発的に考える能力を奪い、大人から言われたことの言いなりになる奴隷として調教するというシステムを確立する

というのは、おそらく、お子さんを持つ人や、「社会常識」「マナー」「(道徳)教育」といったものに関心を持つ人にはショッキングかもしれません。

「これが正解。いいですか。こうしないとダメですよ。他の考え方をしてはいけません。空気を読んで。間違うと恥ずかしいよ。みんなに合わせて。逆らってもはむかってもいけません。言われたとおりに勉強し、言われたとおりにいい学校に行き、世間でいいとされる会社に入り……」

それはとてもいいこと、素晴らしいこと、これこそが子供を大切に育てることだ、と信じて疑わない大人たち。親。教師。

本当にそうだといいですね。

このほか、悪魔はたとえばお酒やタバコなど

「習慣」の力を利用し、自分が苦労せずとも、人間に堕落につながる悪い習慣を身につけさせることで、自分からせっせと堕落の方向に突き進むように仕向ける

などまさに悪魔ならではのテクニック各種がぶちまけられます。(単純に、読み物として面白い印象があります)

同時に。

ヒル博士が絶体絶命の窮地に陥ったとき、(恐怖などが極限に高まったことでそれと正反対の自分の中の神性とでもいうべきものが目覚め?)「もう一人の自分」と出会ったことが示されます。

それ以来、「もう一人の自分」の声を聞くために、祈り方が変わったとまで言及されています。

そして「もう一人の自分」の声は突拍子もないけれど常に必ず正しく、恐れや不安、偏見、弱気などの思考に影響されていない信念を持てという内容を語りかけてくるという記述も。

それで博士はどん底にいながらも、祈って「もう一人の自分」とつながり、その声の告げるとおりに信念を呼び覚まされ、その信念に沿って行動したところ、怒涛のV字回復&ぶっちぎり大成功、という流れ。

アクセスのしかたまで述べておきながら、博士は「もう一人の自分」が何かはわからないと書いています。

恐れを払拭して心を落ち着け、祈り、何かとつながり、それが発する、物理的事象として絶対に正しいことを告げる声を聞く。その声が推奨する信念を受け入れると腹をくくると、その信念のエネルギーが自分に浸透して満たされて力になる……。シータヒーリングやってる人はピンときませんか、なんて言ったら邪推でせうか。



この本で述べられる神と悪魔は、宗教的というより、スピリチュアルにいうそれについて論じている毛色が強いと感じました。

同時に、「思考は現実化する」がガチのビジネス自己啓発だったのに対し、この本はスピ本寄りです。

本のなかで、博士は自分が編み出して人にお金をとって教えている成功法則が、今の自分を立ち直らせるのに何の役にも立たないことに愕然としたという旨のことを綴っています。

それは、ヒル博士の編み出したビジネス自己啓発メソッドがインチキという意味ではないと私は解釈します。

私が「思考は現実化する」のブログ記事で書いたように、何か現実にトラブルがある場合は、自己啓発がモノをいう局面と、スピがモノをいう局面があります。

博士は、自己啓発メソッドではどうにもできない、自分の霊的な在り方、信念(精神というよりは霊的なエネルギーとしての、という印象を受けました)については、この本にある、特殊な「祈り」でもたらされる(絶対に当たる)啓示と、(結果的に自分を成功に導くことになる)信念を得ていくというメソッドを使っています。

このことはつまり、「思考は現実化する」に述べられた内容の実践が有効なケースとそうでないケースがあるということを、本人が明言してくれているという点でも、かえって安心すると感じました。



安直な感想かもしれませんが、願望実現には、ただ自己啓発メソッドで機械的?にバリバリやりゃあいいわけじゃない側面があります。
(もちろん、機械的にでもなんでもがむしゃらに一定期間やって結果を物理的な実績として出さないと話にならない側面もありますが)

あまりスピ色に走らない感想でまとめるなら、悪魔が本当の悪魔かどうかは置いておき、「いわゆる人間を誘惑するものの象徴」として捉える。
その上で自らの在り方を振り返り、この本に書かれる悪魔の誘惑に引っかかってるかどうかを内省する。
引っかかっているということは、引っかかっている分だけ、願望を実現するのが難しいということでもあるかもしれません。

自分のマインドがどれだけ悪魔にやられているか、それとも、うまいこと出し抜くことができているか。

単純にそういう読み方をしたほうが、まぁ、自己啓発という観点からすると、健全かつ有効なのかもしれません。

P.S

スピリチュアルな事象に詳しい人は、この本で述べられた悪魔がアーリマンであることに気づくと思います。

人類はだいたい18世紀以降、ちょうど産業革命の前後あたりから急速に、アーリマンの影響を強く受け、唯物論的になり、かつては霊的な側面も尊重していた自然科学の分野を汚染して機械的なデータや計算ずくの味気ないものに変えてしまいました。
今ではまさにアーリマン的な歪んだ唯物論的な考え方、ものの見方のほうをこそ「頭がよくて正しい」と信じて疑わない風潮すらあります。

これが正しい、それを知っててできてる奴は◯。でもそれ以外は×。×がついたら超はずかしい落ちこぼれ。

これからの人類の在り方にもよりますが、こうした誤謬があたかも賢明かつ高知能な有能さだと推奨されてしまうリスクはガバガバにあります。

アーリマンの家畜奴隷になり下がった度合いが高くなればなるほどリスクは高まります。

人類がアーリマンの手に完全に堕ちるかどうか。

ここしばらくが正念場でしょうね。

「え、べつにアーリマンだかに侵食されようと霊的に支配されていようと、それはそれでべつにいいよ。常識や価値観が変わるだけだろ。その時代の価値観に合わせた幸せが手に入るならそれで」

と思いますか。

そのときに人類がまだいればいいですけどね。

え、何言ってんの、って感じ?

大天使のラッパが「NG」で鳴ったら。

オレタチヒョウキンゾクミタイニ、イノッテルサイチュウニミズガカカルダケデスメバイイケドネ。

ネー。
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