フェイク悪徳で「ウマが合う」人の幅を拡げる

タテマエとしては、みんな綺麗事を言う。

明るくて素直で優しい、礼儀正しい人が素晴らしい……と。

でも実際は。

そうでもない人、というかどちらかといえば、(いまだに)ワルい魅力みたいなものを持ってる人間のほうが人気があったり。

ただ真面目で品行方正なだけだと退屈に思われたり、面白くないといって嫌われたり。

それどころか、ダメダメなところがある人間のほうが多数派となる場では、正論を吐く人間のほうが少数派のよくない存在として糾弾され排除される流れが起きたりします。

で。

世の中の少なからぬ割合を占める、たいしてすごくも立派でもない人間たちとどう接するか。

自分が美徳を身につけ、この世のトラップ・トリックとしての幻想を見抜き、真実としての叡智を身につけつつ、俗世間からアウェーにならずにうまく隣人と付き合い、社会的居場所を確保するには。

「霊性の低いダメ人間とは一切、関わらない」

を決め込みますか。
まぁ、間違いではないだろうし、不可能でもないでしょうね。それをできるなら。

限られた、選ばれし人間だけと付き合う。
一理あると思います。
朱に交われば赤くなるという諺もありますしおすし。

一方。

美徳を獲得した人間というのは、その獲得の過程において、その美徳と対になる悪徳を克服していっています。
いわば、悪徳とは何かを知り、知識としても論理的にも倫理的にも、なによりエネルギー面でも、免疫を身につけ、乗り越えているんです。

というか、

悪徳を食べて消化した人間だけが、その悪徳と対になる美徳を身につけたことになる

とさえいえます。

ミサト「使徒を……食ってる……!」

ってやつですね。(←知らない人多そう)

で、悪徳から美徳を学ぶその学び方ですが、これも病気と予防接種のようなもので、実際に病気になって苦しむことで免疫を獲得する道のりを歩む人と、文学や演劇など虚構の力を借りることで悪徳に染まることなく悪徳とは何かを体得して、いわば予防接種的に悪徳への免疫を獲得すると共にそこからの学びで美徳を体得する人もいます。

その意味では、

「悪徳ってなぁに? 私は美徳しか身につけてないから、よくわかんない」

というのは、成り立たないとさえいえます。
(本人が過去生での悪徳経験を忘れているという場合もあります)

ならば。

かつての自分を思い出すというか、いま、自分の中に組み込まれている、(今は美徳に変容した)消化された悪徳としてのエネルギーをヴァーチャル的にリバースエンジニアリングして、

いま、あたかも悪徳に染まっているかのような仮想エネルギー状態をつくり、なる

ことができますよね、論理的には。

そうやって、まさに今、ほんとに悪徳に染まって苛まれつつも「しゃあねえじゃねえか」とやさぐれ、開き直り、劣等感と悔しさから、美徳を持った人間をdisる的な状態になっている人間から

「お、仲間だな」

と思わせ、ホッとさせ、意気投合して和気藹々を実現……という目論見。

いわば

エネルギー的諧謔(かいぎゃく)

をやるんですわ。

スケルツォ。

これ、コミュニケーション能力、コミュニティ(への適合)能力が高い人は、自然と本能的に発揮してますよね。

一方、優越感なのか、他人を蔑む差別意識なのか、かつての悪徳的な低い波動帯域への恐れや嫌悪感からか、

「私はあなたたちみたいな波動の低いダメ人間じゃないの!あっちいって!こっち来ないで!一緒にしないで!!」

とキレて聖人ぶるか。(←よく考えたらそんなチャチな聖人なんだよって話ですが)

余裕ぶちかまして、

「まだあなたたちには、わからないんでしょう?」

と、内心は心臓バクバクのくせに優越感を演出して、自分のほうが他の連中より上だと自己洗脳し続けるか。

自分の内面を安定させるための小細工はどうとでもすればいいけど、それをしたときの、周囲との関係は。

どんなに自分のほうがすごいと決め込んでいても、結局は、白い目で見られてたり、感じ悪くて好きになれないと静かに距離を置かれているとして。

それを「あの人たちにはわからないのよ!」とどうとでも「解釈」は、できたことになるとして。そうしてラベル付け、定義づけできたつもりになってやりすごすこともできるとはいえ。

結局、独りぼっちになる方向性を志向して、行動に移して、その夢を叶えているだけ

なんでしょ?という。

そこで便利な言い訳が

「そうかもしれない。だって私、人間嫌いだから」

そう、人が嫌いとか、孤独愛好家とか言っておけば、周りから好かれておらず、友達が少なく、ビジネスや近所づきあいなどでの評判がよろしくないとしても、どうとでも言い訳できたつもりになるんですね。

よくある、

自分は今、本気を出してないだけ(もし出せば、人に好かれる人間になるはず)

という思い込み。

当然、一度も本気になったことはなく、おそらく一生どんだけ長生きしても、一度も一瞬たりとも、その本気だかなんだかを発揮することもないんでしょうね。

ところで、生まれてこのかた、一度もしたことないことを初めてやって、完璧に誰よりもうまくこなせるのって、どういう常識なんでしたっけ?
それとも、「世界中すべての人間にそれがもしできないとしても、自分にだけは、できる!」と、これまた何の根拠もなくふんぞりかえる?
その盲信ってどこからくるんですかね?

まぁいいや。

大事なのは、本気を出してないといって余裕ぶることそのものじゃなく、

実際にどんな行動を起こして、どんな結果・実績を現実に現出させることができたか

だったりして。

「はぁ? 現実現実って、ほんと現実好きだよね。現実がなんだっつーの? スピなんだからべつにいいじゃん!楽しく明るく、精神世界でのびのびと!!」

はーい、それもいいですねー。
じゃあ聞きますけど、そんなに現実がどうでもいいなら、なんでこの世に生まれてきたんですかー?
え? 好きで生まれてきたわけじゃない?
あらそう。じゃあなんでまだここにいるの?
ここから脱出する方法あるでしょうに。
それは実行しないんだ?
え? はぁ、それも本気を出してないだけ、ですか。
わぁー、本気を出すときが楽しみだなぁ〜。
え、それを見るにはまだ霊性が低い?
あらぁ残念。ならあんたみたいなつまんないチンカスと一緒にいるメリットはこっちにはもうないからサヨナラ〜。

やだ、なんの話だったっけ?(←老人あるある)
関連記事
スポンサーサイト