観たり感じたことを自分なりに咀嚼して言語化して腑に落とす、ということに慣れているかどうかも重要なのかな

マルチプルアバンダンス初級講座を受講いただいた方からの感想いただきました。

マルチプルアバンダンス初級講座、ありがとうございました。

講座の中でusamimiさんが「この講座にものすごく期待して目を輝かせて受けに来たものの、実際受けてみて『よくわからない……』とポカーンとしたりふてくされる人がいる」というようなことを仰っていましたが、実際受けてみて、あぁ、たしかにこれはこの講座を受けさえすればテキストに書いてある通りの恩恵や怒涛の気付きがやってくるはず!みたいな期待をしすぎてあまりに受け身的な態度で受講するとそうなるのかもなぁ……と思いました。

エネルギーヒーリングやエネルギーアチューメントを受けてみて、観たり感じたことを自分なりに咀嚼して言語化して腑に落とす、ということに慣れているかどうかも重要なのかな、と思いました。

私も昨日受けてみて、いろんなものが観えたりいろんな思考が浮かんだりしましたが、いざ瞑想が終わったあとに「どうでした?」と聞かれるとうまく言葉にまとめるのにちょっとあたふたして、変なことを言ってしまったかなぁという気もしますが、私は受けてみてとてもよかったです。

瞑想後の皆さんの感想やusamimiさんの雑談などからも得るところが多く、豊かさについての思索や気付きが深まりました。

とても賑やかに楽しく歓談しながら講座が進んでいって、あぁ、こんなに楽しくお喋りしながらいろんな学びや解放が進む講座っていうのもアリなんだな、と思いました。

私の信念で、「この世界や他者や自分自身にどれだけ愛や美を見出せるか、というのも豊かさのひとつ」という思いがあるのですが、昨日の講座で得た気付きも、新たな角度からこの世界や他者や自分自身に愛や美を見出すことに繋がっていく…という感じがしています。

本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

太ピンク字にしたところ、ほんっと、そうなんですよ、この講座は。

受講要件としては「どなたでも」だけど、それをどのくらい受け取れるか、受け取ったうえで理解できるか、理解したうえでどう感じるか……は、人それぞれ。

映画でも本でも音楽でも、なんでもそうですよね。
世界的名作と呼ばれる有名な作品を、ボロクソに貶して嫌いだという人が地球全体でいったらそこそこの人数いるというのと同じ理屈です。

ましてや、世界的名作と呼ばれてもいない、超感覚ヒーリングのセミナーとなれば、ねぇ?

ファシリテーターとしてこの講座を開催するにあたって、あるいはこの講座に限らずヒーリングセミナーを開催するにあたって、注意するのはここです。

受け手がどんな印象を持つかについて、強要しない。


以前、アナウンサーの方に師事して「放送とは」みたいなことを学んでいたことがあるのですが、

「どんなアナウンサーになりたいですか?」
「(ディレクターとして)どんな番組をつくりたいですか?」

といった質問をされることがあります。

そこでわりとみんな答えるのが、

「人々に感動を与えるアナウンサーになりたい」
「人々を感動させる番組を作りたい」

的な内容。

そこで講師だったアナウンサーが首を傾げて

「それ、メディアが絶対にやっちゃいけないことだってわかってる?」


と。

それでみんなポカンとした反応。

感動するかどうかは受け手の自由意思であって、与える側が強要したり支配的に操ってそう反応させることではないんですね。

それで、小賢しい奴なんかだと

「人々に感動を与えるようなアナウンサーになりたい」
「人々を感動させるような番組を作りたい」

と小手先の表現を変えて、「これでいいですか?(いいですよね私って優秀ですよね)」的なドヤ顔。
(そのときの講師アナウンサーの『ダメだこりゃ』を薄く薄く、しかし明確に匂わせる微細な苦笑ときたら)

これ、テレビだけでなく演劇だろうと小説だろうと、何にでも言えるんじゃないでしょうかね。

鑑賞した側の反応を規定する媒体って、それ自体が洗脳の道具ってことになるじゃないですか。

よくヒーリングの世界でも、

「たとえそれが洗脳でも、苦しんでる人が苦しまないように洗脳しちゃえば、それは癒えたことになるし、みんな笑顔になるからいいじゃないの」

と言う人がいます。

うーん、この世に苦しみが存在する意味ってなんなんでしょう。
100%害悪で、有益な意味など何一つないことだから、なんでもいいから消しちゃえばいい、ってことなんでしょうか。
この世ってそんな雑にできてるんですかね?

ヒーラーって、この世から人々の苦悩を自分側の(単に自分がそうしたいからという)勝手な都合で、虐殺して絶滅させる侵略者ってことなんですかね。

私はそうじゃないと思ってます。

「それってあなたの思考パターンじゃない?」

うん、だから「思ってます」って言ってんじゃん。

マルチプルアバンダンスは、極端なまでに受け手の自由意思に、何をどうするか、今の実習で何を得たいのかに、委ねる働き方をします。

「え、これを受ければ良くなるんじゃないの?」

という人は、さぞやがっかりするでしょうなぁ。
(実際、そういう感想を持ったっぽい受講者も過去にいますしおすし)

私は創始者として、申し訳ありませんが(←嘘。全然、申し訳ないと思ってない)、そう感じる人がいたとして、謝る気、ありません。

映画館だって、映画を観たあとで客がつまらないと思ったからといって、返金したりしないでしょう?それと同じ。

騙された、期待はずれだった、金と時間をドブに捨てたようなものだ、と思う人がいても、しゃあないわな。

そういう、はずれくじをひいたような心地がする可能性もあるよ、ということまでコミコミで、受講するかどうか、自己責任で決めていただきたいです。

いいトシした大人なんでしょうし。
もし仮にガキだとして(←まだ未成年の受講者は実例がありませんが)、世の中そういうものよー?若いからって特別扱いしてもらえると思わないでねー?ってことです。

今回、紹介したような感想をいただけるのは、創始者冥利に尽きるのですが、それすら、あえて、

「あぁ、この方はそう感じたのね」

というふうに受け止めるだけにします。

もちろん、今後もこの講座を開催する励みにはなるし、嬉しいけれど、かといって、それによって次以降の講座の内容やクオリティ、方向性を変えてしまうことはない。

演劇の公演のように、厳密な意味でいえば毎回まったく同じではありえないものの、どの回を観ていただいても、どの回を観ていただいたお客様とも不合理な差というかがないように、「上演」していく所存です。

スピリチュアルなセミナーは、舞台演劇とは異なる部分もけっこうあるけれど、似ている部分もけっこうあるよなぁと感じます。
その場の参加者のメンツによって、同じカリキュラム内容でも、雑談的に話す内容やペース、その場の雰囲気、力を置くのが望ましいポイントが変わる。
それに、規定の台本がありつつも、柔軟に、パフォーマンスを微細にあるいは大胆に変えて、司会進行という役を演じる。
どんなにアドリブを挟んでも、本来のセミナー内容(≒台本)から逸れすぎないように注意しながら。
そして毎度、同じくらいの時間の中できっちり収まるように展開していく、という。。。

うーん、そういう意味では、子供の頃から俳優や劇作家、演出家として身を立てたいと思ってた私の願いは、ものすご〜く変化球ふうに、叶ってはいるということなんでしょうかねぇ。

せめて、それが独りよがりにならず、他の人たちそれぞれにとっても、何かしら意味・意義を見出しうる体験になるといいなぁ、と思って、今後も公演を続けマウス。

いいですか、意味・意義なんてのは、最初からあるもんじゃない。
個々人がそれぞれに「見出す」ものなんですよ(←うっせえよいきなり説教かよ)。

感想あざした!!!!!
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