自分さえよければそれでいい、なんてことも、 気高い人には思いつけないのでしょう。

以前、「本来の目的とは違うところで! 効果が出ているようです」で紹介した、グレイスの波動浴についての感想をくださった方からの後日談です。

研究者のヒヨコとしての自分に、大物とされる芸術家が共同プロジェクトを持ちかけてきた。
私なんかがそんな大物と組んで仕事をするなんて、アリなの?……という相談でした。

アリ!と思えたからこそ、相手の方にOKの返事をしたそうです。その後の流れを綴ってくださいました。

先日のセッションでお世話になりました、
ディバインタイミングの方に、お目にかかってきました。
そしたら、あちらはあちらで、大物にもかかわらず、
私にビビッていらっしゃった、とのことで、
ディバインタイミングって誰にとっても怖いものなんだな~と思いました。

ただ、ディバインタイミングの共同創造自体については、
その方はとても嬉しそうで楽しそうで、ウキウキされていて
やはりキャリアを積んで結果を出してきた人はちがうな~と思いました。
自分がやろうと決めてることがうまくいかない、
なんて思いつけないんでしょう(笑)

あちらが不安に思われる要因は、この共同創造が、
ご自身にとっては嬉しいことだけど、
それに関わる相手である私にとって楽しいものなのかどうなのか、
よけいな負担がかかるんじゃないか、みたいな気遣いでした。
あちらなりに「ほんとに自分に関わってくれていいの?」みたいな感じで、
こちらは恐縮してしまいました。
それもまた、いろいろな人と関わりながら地道に仕事をして
結果を出してきた人ならではだと思いました。
自分さえよければそれでいい、なんてことも、
気高い人には思いつけないのでしょう。

またその場には、かつて大手レコード会社の名プロデューサーで
今は半リタイアなさっている方もいらっしゃっていました。
長時間この方と、ほかに数名、大物ミュージシャンも一緒に飲んでいたのですが
このプロデューサーの方のからっとした気持ちのよい明るさというか、
ミュージシャンへの励まし方のうまさや度量の大きさなどに惚れ惚れしました。
しかも、孫がいる年齢の方なのに見た目も心も若々しい。
端的に、霊性の高さがぜんぜんちがう方でした。
芸術家をささえる役割の人は表には出ませんけど、
そういう役割の人に出会って、一緒に組めるかどうかも、
芸術家の運命を左右するんでしょうね。

グレイスの波動浴をしていただいていたのも効いていたのか、
このプロデューサーの方とたくさんお話したわけではないのですが、
なんだかこの方に、信用していただけた感じがありました。

そのような次第で、先月のセッション、
お世話になって本当によかったです。
いつもありがとうございます。

あざーす。

シンクロなのかなんなのか、私のほうでもプライベートというか芸事のほうで、それまで遅々として何も進まず変わらず生まれず、だった流れが、

最初からわかっていたのにそれが嫌で否定しようとしていた自分のリアルな姿を(ついに観念して)認めた途端に、何もかも好転した

んです。

これ、言葉で書くと「あら、よかったじゃない」と思えるかもしれませんが、自分の半生を賭けて挑んできたことなんですよ。
たしかに初めから勝ち目のない戦いではあったけど、それが自分のたった1つの願いだったんだと思えるような「本当の自分とは別の、頭でつくりあげた理想の自分になる」プロジェクト。
それが、何もかもダメになり、無条件降伏ばりに白旗を挙げて、自分は完全に敗北したのだと認めるのは、正直、まだ生きているのが不可能で無意味に思えるほど、つらかったです。

その、自分のプライドから能力への自信から希望から自尊心から、これまで生きてきた自分の在り方まですべて木っ端微塵に破壊され尽くしての末に、残っていたのが、本当の自分だったという次第。

私は本当の自分を見つけられていなかったわけではありません。
いわゆる「自分探し」なんか、一度も一瞬たりとも、した覚えはありません。

本当の自分は常に自分とともにあったし、というか自分が本当の自分そのものだったし、その姿を、在り方を、どんなものが本当の自分なのかも、常に常に、見えていました。
そう、鏡を見れば自分の顔がどんなものかがわかるように。

その、鏡に映る本当の自分が嫌で、物心ついたときから
「そんなはずはない!こんなの自分じゃない!こんなのが自分だなんて、嫌だ!!!!!!!!」
と、反抗し続けてきました。
その戦いは所詮、無駄に終わることも承知の上で。
だって、そうでもしないと居ても立っても居られない心地だったんです。
私が実際、幼稚園児の頃から常に自殺を考えていたのは、自分が自分であるというただそれだけの当たり前のはずのことが、死ぬよりもつらいことに思えていたからでした。

若い頃は、絶対にあきらめなかった。
どこまでも戦いぬいてやる、と思っていた。

でも、私も老いました。
頑張って戦って、もし仮に勝ったとして、なんになる?と考えたとき、もう老いて、世間だか社会だかに対してもいまさら、どう出て行ける可能性があるというのだ……と考えると絶望的で、戦地でせっかく生き残った兵士たちが拳銃や手榴弾で集団自決する気持ちがわかるような境地になりました。

絶望と無力感。

私は、自分の理想として思い浮かべる姿こそが本当の自分なのだと主張する戦争に、負けました。

いま、本当の自分を認めて、それを受け入れて生きるのは、敗戦国に課せられた賠償金の支払い、捕虜の強制労働のような、いわば「罰」だと感じています。

でも、何が罰で何が褒美なのかの区別もつかないほど、私の頭も心も老いて、耄碌しました。

情けないけれど、自分が衰えて、何もわからない、何かまともな考えを組み立てることもできない、痴呆老人そのものになり、赤ちゃんとなんら変わらない無力で愚かな無感覚の存在に成り下がったことで、苦しみも消えてしまう旨味を知りました。

そして、自分では何の価値も見出していない、本当の自分に、まるでそっちのほうが罰ゲームの屈辱的なコスプレのように感じている「素の自分としての在り方」に、周囲の人々が温かい眼差しを送り、好意を寄せ、応援し、肯定する反応を見せ始めました。

これ、どんだけ手の込んだ嫌がらせに見えてるか、わかりますか?

私は、認めてもらいたいと死に物狂いであがいてきた頃には、世界の誰1人にも認めてもらうこともできず、何もかもを失った挙句、命に代えてでも肯定されたくないことを、自分が本当の自分であることを、世界じゅうから認められようとしているんです。

人間は、本当の自分にしか、なれない。
はてしない物語のバスチアンは、本当の自分であることを喜びとして受け入れましたが、私の場合はそれは地獄の業火に永遠に焼かれるような苦悶と激痛です。

でも、人間が大人になる道のりは壮大な喪失の旅路だとして、それは限界を超える苦痛を味わうものだとして。
私は、大人になる旅路を、しかるべきところまで歩いてきたということなのかもしれません。

これって誰もが通る道なんでしょうか。
そうであってほしい。
この世に生きるすべての人が、「(単に年齢を重ねたので大人として見なされるのではなく)ちゃんと大人になる」うえでは、ここまでみんなが苦しんでほしい。
自分だけが、他の人たちより多く苦しむはめになったとしたら、その不公平さを許せない。
この世に生きる他の人が誰か、自分よりも楽をして大人になったことがあるなんて聞いたら、そいつを、最低でも自分が苦しんだのと同じだけ、痛めつけてやらなきゃ気が済まない。

そのくらい、つらかったです。

まあでも。

予防接種が嫌でどんだけギャーギャー泣きわめくガキでも、どうにでも押さえつけられて結局は針を刺されるように。

軍隊のM検が嫌で拒否しまくろうとも(某旧帝大にいるフランス人教授のようにw)、最後はチンポ丸出しで大勢の前を行進させられ、敬礼させられるという生き恥をかかされるように。
(これ、女性は知ってるんでしょうか。軍隊に入るとき、素っ裸でわざと、軍に服従させるために男は信じられないほど屈辱的なことをされるってことを←男って気楽でいいわね、とのたまう女性には是非、経験してほしい。そのうえで同じことが言えるかどうか、見てみたい)

私は人生を賭けた戦いに、完膚なきまでに、叩きのめされて負けました。
百円の恋以下です。一発もパンチ当たりませんでした。

敗北を認めたら褒めてもらえる。よくやったそれでいいと美味しい思いをさせてもらえる。

そういうふうに神様は人間をおつくりになったんですかね。どうでもいいや。

大人になるイニシエーションを経てしまった以上、これまで苦しんできた恨みみたいなものたるや。樽屋。モモタルー in 魔界島

これまで酷い目に遭った分、死に物狂いで得してやる。良い思いをしてやる。
ざまあみろ。

そういう境地で。

この感想をくださった方がおっしゃるように、素晴らしい方々の素晴らしい在り方など、それまでの自分に縁のない諸々の体験や感動、学びや気づきが山のように押し寄せる日々になりましたとさ。

ざまあみろ!!!!!!!!

こういう体験は、ちゃあんと大人になる、あの苦しみを経た人間にしか開かれないんだよ!!ざまあ!!!!!!!!

はぁ。(←気が済んだらしい)

正直なところ、自分はもう戦いが終わったとき死んで、今は天国に召されたからいろいろ良い思いができているのだ、その証拠に、どんな良い思いに遭っても、ガキの頃みたいに、有頂天になることさえできやしない。

ありがたみなんて感じてやがる。感謝の念なんぞが湧いてくる。
堕ちたもんだなぁ、俺も。

もう、この人生は、とっくに終わったんだ。ノータイムっつーの?サッカーとかで。
あんな感じ。

はは、できればガキの感性のまま、大人だからこそ味わえる喜び、開かれる可能性、味わいたかったなぁ。

なあんだ、それって不可能なのか。

この世は生きても死んでも、しょせんは牢獄。なのかねぇ。

……って、至極ポジティブな感想の紹介にかこつけて、何いってんの、って感じィ~。

ちゃおー!イタリア語できんだぞすげーだろー。(←せめてガキぶってる)
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