究極のエゴイストである私が、「他人を尊重する私」にブランディングする

オリジナルヒーリングセッションの感想いただきました。

霊能力を開花させていきたいが、それを阻む要因があれば教えてほしいとの内容でした。

実は、霊視で何が要因かは見えたのですが、よりによってそれを私の口から伝えるのがベストではないという観え方をしたため、まるで連想ゲームでヒントを与える人のように、言いたいのに言えないもどかしさ満載のセッションになってしまいました。

セッション終了時にもこのお客様としては、答えがわからないままで、でも私側から伝えるべきヒントはすべて伝えたから大丈夫というふうにエネルギー状態が観えており、

「なにこの都合のいい人みたいな終わり方?」

と思っていました。
(頭ではそう思うのですが、どう霊視しても、『これでいい、大丈夫、よくできてる』というふうに観えるので、じゃあそうなんだろうと思ってあえて、頭でモヤモヤするのを吹っ切りました)

ら、後日、このご報告。

昨日はお世話になりました。

セッション内では「答」というか具体的にどうすればいいのか思いつかなかった私ですが、
あれから考えて答えがわかりました。

それは、究極のエゴイストである私が、「他人を尊重する私」にブランディングすること。
はじめは嘘でも仮面でもなんでもいい、コンセプトに沿った言動行動をする
「他人を尊重」すればブーメランのようにそれが返ってくる
他人との関わりをめんどくさくて避けていたゆえの今までとは真逆の豊かなWin-Winの社会を実現できる
それにより、私のエゴも満たされる

セッション中に散りばめられたいくつもの会話やキーワード、それに最近身近で感じていたこと
それら点と点が繋がりました。たくさんのヒントをもらっていたのですね。


人からもたらされた言葉ではなくて、自分からひらめいて湧き出た思いだからこそ、腑に落ちています。
usamimiさんは気がついていらして、言えなくて、もどかしかったのではないでしょうか。
かなり辛辣な言葉を言わせてしまいましたが、
不思議と、怒ったり必要以上に落ち込んだりはしませんでした。

本当の意味で「他人を尊重する」ということが具体的にどういうことか、わかっていませんが、手探りでもやってみます。
「できるかな?」じゃねえよ、やるんだよ。
そう自分に言い聞かせています。目指すは菩薩です。

第六感は、やはり、必要な時に準備が整った時に自然と開かれるのでしょうね。その時を待ちます。

今回のセッションは、スピリチュアルだけでなく、様々な社会経験をしてきたusamimiさんだからこそ
導かれたものだと感じています。
自分の人生の可能性が明るいものへと大きく開かれたようで、とても嬉しいです。ありがとうございました!

えがったー。

そうなんです。
まさに私に示されたとおりの答えを、この方自身が導き出したのです!!

この方は現状としては、超感覚を拓いて人を喜ばせたいという願望を持っておられるのですが、それは本当の意味での貢献や献身ではなく、

「自分が、そのほうがいいから」

というエゴイスティックな動機でした。
だから第六感とされるような、超感覚が拓いていかないんですね。

人を喜ばせるなら、実際に困っている人のところへ行って、その困難を手助けしたり肩代わりするなどの方法はあるはずなんです。

でもこの方は
「他人のネガティブな部分と接しても面白くない。嫌」
というのが本音。

「一緒に私もお客さんも、なんにもつらいことなくハッピー!になれるのがいい」
という、一見、ポジティブな考え。

でもこれって、
「嫌なことは全部、超感覚でパピューンと魔法みたいに都合よく消しちゃって、みんなでワイワイ楽しくやりたい」
という都合のいい現実逃避寄りの願望だったんです。

これじゃあ、人助けにもならないし、こんな動機で超感覚が拓いてしまったら、どんどん人としてダメになっていってしまう。
だから、頭でどんなに願っても、超感覚が拓かれていかない現状が続いていたんです。

そして、「じゃあどうすればいいか」の答えが、この方がくださった感想の内容。

エゴイストだからこそ、人のために尽くすなんてほんとは嫌だからこそ、でもみんな喜び溢れる人生を送ってほしい、その手伝いがしたいという気持ちも本音だからこそ。

ある意味、難易度の高い、こうした道のりを今後、クリアしていかれることが、
「それだったら超感覚を拓いてもいいよ」
と自分が自分に許可を出すサインとなる模様。

これ、セッションの最中から私には観えていたのですが、直接そう告げてはいけなかったこともあり、めっちゃ神経を消耗しました(笑)。

でも感想をいただいてあらためて、世の中って、人を導く霊的なサポートもしくはイニシエーションをしかるべく合格しないと通れないようにされる仕組みって、よくできてるなと感心しました。

中途半端に良い人で献身的でそのことを当たり前だと思う、いわゆる「いい人」だと、人と人は助け合って当然と思うあまり、今これまでの世界が勝ち組が搾取するルール中心で動いている実態にも気づかない。
もし気がついても、自分が得したいというエゴイスティックな気持ちがないと、「ふーん」で終わってしまうんです。
え、いいんじゃないの? 他人が得するのを見ても怒らないのは、できた人の証拠じゃないの……とも思えるし事実そういう側面もあるとは思いますが、このお客様の場合は、そういうルールで動き続ける時代の流れに
「ちょっと待った!」
をかけたい動機を、真の使命として決めてきているんですね。
一部の人たちだけが、他の人たちから搾取して得をする流れに終止符を打ち、少しでも「そうじゃなくて、こういう方法があるよ」ということを示す。
だからわざと、エゴイスティックな性格を遺伝なども含め持って生まれてくることで、そういう仕組みに気付きやすく設定していたわけです。

エゴイスト的な気質をあえて搭載するからこそ、
「なんで自分が生きていくのに大変な中で他人なんかに貢献すんの? それじゃあバカを見るだけでは?」
などと考え、どうしてWin-Winがいいのか、それはなぜこれまでの拙い人類では難しかったのか、じゃあこれからは少しずつでも、どうすればそうなれるのか。
そのために自分は何ができるか。
何がしたいか。
……を、突き詰めやすいという意味では必然でもあり、また有利なようでした。

人間、好きだったり得意だったりすることは、苦じゃないからこそ、人よりうまくできて当たり前だからこそ、自分がしていることがどういうことなのか、わかりにくいという皮肉めいた原理があるようです。

でも、苦手だったり、不得意だったり、嫌いだったりすると、その嫌悪感や拒絶意識ゆえに、取り組んでいることを過敏なまでに意識してしまう。
たしかに苦痛だけれど、こんな嫌なことをしなきゃいけない事態を怨めしく思うからこそ、細部まで逐一、覚えているわけです。

いろんな心理学の研究データなんかでも、人間は、してもらったことはすぐ忘れ、というかそもそも「今、ありがたいことをしてもらえた」と認識することすら少ないそうですね。
データなんか持ち出すまでもなく、

・いじめた方は忘れるけど、いじめられた方は一生、忘れない
・金を借りた方(=得した方)は忘れるけど、貸した方(=損した方)は一生、忘れない

ってありますよね。

そのくらい人間って、被害者意識が強い生き物なんです。

これは、原始時代とされるような、まだ道具や薬、科学や医学など各方面の知識・技術がなかった時代の人間や、その祖先としての動物の生活を考えれば必然でしょう。

そういう在り方での「損」とはつまり、「死」にほぼ等しいです。

過剰であっても、ほんとは自分に原因がある自業自得な因果関係だったとしても、何か自分が被害を被る可能性があるとき、そこに過剰に反応して、相手側を敵とみなし、自分が生き延びるためにどんな手でも使うというのが第一だったわけですね。
(これは人間の大半が、よほど意識などが高くないとネガティブ思考寄りになる性質を持っていることの要因だとも言われています)

つまり、被害者意識は、うまく利用すれば、窮地に陥ったときどうすれば自分がそこから脱することができるかを発明する原動力として使えるんです。

そして「ピンチはチャンス」と単語だけ一人歩きしている感は世の中でありますが(『ピンチはピンチだろw』という見方をするほうが現実的で賢いと思われやすい風潮?)、切羽詰まったときだからこそ人間は、新たなノウハウや技術、普段ならやろうとも思わない離れ業に取り組んで(失敗の可能性も高いけど)成功する可能性を手にするわけです。

この方の場合、生来の気質がエゴイストで、他人への貢献などしたくないからこそ、強くその取り組みについて意識するし考えるから、

「そもそも他人へ貢献するなんて賢い在り方なんだろうか。なんのために?」

というところから始まり、うまいこと道のりを辿れば(←これが言うは易しで実行するのは難しいんだけどね)、

「あぁ、そういうことか」

というところに到達できるかもしれないわけです。

嫌なことだからこそ、その道のエキスパートになれる。

なんとなくこれまでどおり人が当たり前にやっていた程度の協調性を自然と発揮してそれを嫌だと思わない人間たちには、一生わからないことがわかる。そういう人には一生、見出せないものを見いだせる。

この方が今後、うまいこと道を辿られることをお祈りしておりマース。
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