愛と恐怖、どちらが基軸の世界に生きるか

「そりゃ、愛ですよ」

誰もがそう言います。

でもね、頭で考えてそう言うのと、実際の行動が合ってるかは、ビミョーなところ。

たとえば「愛を基軸とした世界に生きる」と言ってる人がいるとして。

優しく愛情深く何かお願い事をするとする。ちょっと面倒なタスクを。

どうなるか。

後回しにしたり、手抜きをしたり、チンタラ時間をかけたり、仕上げて成果物を渡すときに「大変だったよぉ〜」とあてつけがましい恨み言を言ってきたり。

要はナメてんですね、愛情深く接してきた相手のことを。

で、そういう人に今度は、怒鳴って煽って追い詰めて、恐怖で全身が震えるほど震撼させて、面倒なタスクを命令する。

前回チンタラやってたのが嘘のようにテキパキ動いて短時間で完璧に仕上げて、おまけに媚びを売るようにペコペコして礼儀正しく成果物を渡してくる。

さて。

この例に挙げた人、愛と恐怖、どっちを基軸とした世界に生きてるといえるでしょうかね。

こういう人、いっぱいいます。

というか、世の中の大多数は、こんな感じ。

つまり、頭では、口では、「愛の世界に生きる」と言っておきながら、実際は、恐怖を基軸にした世界に生きており、そちらに適用するように心も体もしつけられてきてるんです。

「そりゃ、怖い思いをするように脅されたら、仕方ないよ。でもそれは別に、その人がどうしても恐怖を基軸とした世界に生きていたい証拠には、ならないでしょう?」

とか言いますぅ?
(言うのは自由ですよねぇ)

仕方なく受け入れた、というのも、究極的には、自分で選んだこと、という考え方もできたりして。
「それはさすがにシビア」
あぁ、なるほど。

「だから私たちは、愛の世界に生きている!」

と。

ほほぅ。

(銃をとりだして相手に突きつけながら)どっちの世界に生きてるって? 慎重に答えろよ。手が滑るかもしれないから。

「……恐怖を基軸にした世界です」

ほらぁ!!
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