鞍馬寺 in 2016 夏

2008年に京都の鞍馬寺を詣でた話を「鞍馬寺参拝回想録」に書きましたが、この夏、ふたたび訪れました。ひえー、8年も経ってやんの。

目的は、鞍馬寺の地下。

一度行ったことだし、もう慣れてるからたぶん平気だろう、と思って階段を下りたわけですが……。

やっぱりめちゃくちゃ怖かった。

普通に無理だろ、と、大人ぶった平静さで言い訳して立ち去ろうとしたけど、勇気を出して奥へ。

三尊天の像のところへ辿り着くと、それまでの不気味なお化け屋敷感はパーっと消えて、いかにも霊界的な、というかレイキ的なあの温かいエネルギーが周囲に広がる。

自分でも意外なことに、ほんとに口をついて音声にして、こう言ってた。

「いろいろあったけど、この道でよかった」

8年前に来たときは、まだチャネリングなんて夢のまた夢というか、そんなことをできる人はこの世に本当に実在するの? みんなテキトーに嘘ついてるインチキじゃね? とかなんとか思ってたほうなのに。
自分なんかに本当にエネルギーを使ったり、霊視をしたり、何かを癒すなんてことが、できるようになるのだろうか? と、まるで東大現役合格を思いついたバカ高校の生徒、くらいの気持ちで途方もない心地でいた。

けど、今は。

何かを望んだつもりもないけど、千手観音からエネルギーアチューンメント!的にブワァ〜〜〜〜っと降り注ぎ、次元のレイヤーというかエネルギーの帯域というかのヒダヒダが微細に無限に感じ取れ、自分も合わせられるようになる感じに。

自分で創始したメソッドに、マルチプルアバンダンスというのがあるけど、その波動パフォーミングをもっともっと、変幻自在にできる感じ。

無数の泡のように並行して存在する現実のどこを生きるかを毎瞬時、私たちは無意識に選んでるわけだけど、そのどの泡(とされる波動の世界)にも、フリーパスで無限に行き来可能!的な。

実は、(こう書くとえらそーだろうけど)、自分がいろいろワークをして波動が上がってきて、豊かで幸せ(というと陳腐だが)な現実を当たり前に生きられるようになってみて、

現実のうち、波動の低いレイヤーにいる人に合わせるのが難儀に思えてきていた

という悩みがあって。

もし私が霊的差別主義者で、

「私は波動が高くなった!同じ現実世界を生きているように見えても、他の波動の低い人が生きてるような帯域には実は存在してない! もっともっと波動の高い、素晴らしい現実の1レイヤー側に属することができている! それは素晴らしいこと! 喜ばしく誇らしい! そして、そこまで到達できてない低い波動の人間は、もっと精進なさい!? 私はあなたたちとは住む世界が違うんだから!低い波動よりも高い波動、万歳!!」

という視野の狭い路線で浮かれていられる人間だったら、もっと楽だったんでしょうけどw

自分はなんと欲張り?にも、高い波動一辺倒だからいいじゃない側ではなく、ありとあらゆる波動帯域にできれば適応したいと願っている側なのです。まぁ、なんてあつかましい。

その願いを叶えてくれた的な感じ?(←雑)

うん、と思って鞍馬寺の地下を後にして、老体に鞭打って(←被害者意識)魔王殿まで歩いて貴船に降り。

おきゃんでミーハーな貴船神社にお参りしてスタイリッシュガーリーふう(←意味不明)。

それから名古屋に移動して俗っぽさ全開の場や人たちと接したけど、合わせるのが格段に楽!!!!

なんていうか、それまでは、会う人ごとに自分の波動をどのへんにするか、いちいち変えて、合わせてたようなめんどくささがありました。

が、鞍馬寺の地下での体験の後、どの波動でも同時に瞬時に複数に対応可能、みたいな感じで、自分側が頑張って相手個々人の波動に合わせる必要性すらなく、自然と適応できる感じに。

波動帯域がそれぞれ違う人が複数いる場で、その全員と調和がとれた在り方や発言もできるようになった。
ある1つの言葉に複数のニュアンスというか言霊のレイヤーがあるというかで、相手がどの帯域にいても、その帯域に届く言霊がそれぞれにある、的な。

これわ便利だわ、という感想。

それからは、コンビニの店員や新幹線で隣の席に座った人など、いろいろな人と浅くも深く(?)もなにかしらの交流がありましたが、どれもまぁなんとスムーズなこと……。

ほんとに千手観音になったみたい。どこにも対応可能!みたいな。

はい、都合のいい妄想です。暑いとこういう人が出るから困るよね。テヘペロ♪
関連記事
スポンサーサイト