作家としての中村紘子

まさかこの方まで亡くなるとは……。

この方はピアニストとしてだけでなく、作家としての顔もお持ちですが、個人的には作家としてのこの方を非常に尊敬し、その作品群の完成度というかクオリティというかには感服しています。

思えば自分は中学生のとき、



を読んで、不遜にも「なんとしても音大に行ってプロのピアニストにならなければ!!」と本格的に焚き付けられる思いがしたものでした。幼稚でウブな救済願望。とんだ救世主気取り。さすがリアル中二病w

これは(これまた失礼を承知でいえば)鴻上尚史さんが小2のとき鶴の恩返しの劇をみて「このままでは演劇がダメになる!」と危機感を抱いて舞台関係者を志望したのと似ています。
(フタを開ければ、鴻上尚史さんは志望したとおりの道を辿られ、たいへんな貢献をなさっているのでしょうが、私はといえば音大にすら受からない(←受けてもいないんですけどね)才能なしで、なんともお話にならない体たらく)

上記の本は、コンクールという、「音楽に点数をつけて順位を決める」という音楽に対する根本的矛盾を抱えた場の滑稽さ、可笑しさ、それでもそこから商業面も含めて「業界」が作られていかざるを得ない(から続けなきゃいけない)理不尽さ、その理不尽に立ち向かう出場者や運営者といった(なかなかスポットが当たりにくい)側面に、当事者ならではの鋭い観察眼と分析で切り込んだルポルタージュの体裁をとっています。
(しかも、それを感じさせない、軽いエッセイ的な文体で綴られるので、読むほうは抵抗が少なく楽しく読める)

ある意味では、社会問題について切り込んでいくともいえる内容のため、クラシック音楽自体には興味がないという人でも、業界ものというか、人々がうごめく場で何が行われ、どんな問題が起き、そこにどう取り組んでいるものなのかといったテーマには興味があれば、面白いと感じるはず。

この本を読んでしまうと、まるで芸能界デビューを夢見る、世間知らずな少女が「あたし、アイドルになる!」といけしゃあしゃあと言ってのけるような感覚ではもう、

「あたし、ピアニストになる!」

とは、怖くて言えなくなる勢いw

続く著作群も、どれもこれもよくネタが尽きないものだ駄作が生まれないものだ(=文芸作品としてのクオリティを下げずに執筆し続けられるものだ)、と、感嘆しきり。
(とりわけ、文藝春秋読者賞受賞作である『ピアニストという蛮族がいる 』は文庫本が絶版で中古品にプレミア価格がつく勢い←Kindle版で定価で買うのが確実かと)





それにしても、時代は変わりました。

もはやショパンコンクールもチャイコフスキーコンクールも、その受賞者たちにも、以前ほどの権威的イメージはないといってさしつかえないでしょう。

運営面での資金難や、世間から問われる存在意義(がないのではないかという目線)も、ひと昔前には考えられなかったことです。

コンクール自体が量産され、それらコンクールの受賞者が掃いて捨てるほど量産される。

かたや、クラシック音楽業界はポップスと比べて儲からない。したがって、コンクール優勝者であってもピアノ1本で食っていけない人まで量産w

さらに昨今の、CD不況。

もっといえば、CDにとどまらず、ポップスも含め、「みんながこれを聴く」といったものはなくなりつつあります。

有名一流とされる大きなレコード会社からデビューしたからといって人気が保証されるわけでもない。

YouTubeなどネット配信を通じて人気が出る、音楽業界的には「誰それ?」的な「素人」とされる人が、自分でネットの経路を通じて音楽を届けて収益を得たり、人気が出て活躍の場が増えたり(それによって儲かるようになったり)する。

もともと音楽家・演奏家になるべくしてなる人というのは、べつに儲かるから・有名になれるからではないわけですが、今後はより一層、

「稼げないし有名になっていい思いができるわけでもない。ましてや東洋人で、クラシック音楽で主流とされるヨーロッパの作曲家たちとは縁もゆかりもない。なのに、なぜわざわざ日本に生まれて、西洋クラシック音楽のプロになんてなろうとしてるの?」

という点が問われることになるでしょうね。

ある意味では、中村紘子女史がこれらの著作を通じて、前世紀から警告していたことがまさに現実になったとさえ、いえるかもしれません。

それにしても。

戦後、日本人初のショパンコンクール入賞者(なんと本選では振袖の着物を着て演奏!)という輝かしい経歴をはじめ、これだけ日本のクラシック音楽界を世界につなぎ、レベルを引き上げることに尽力した功績は、おそらく世間が知るよりも、そして私ごときが知るよりも、はるかにはるかに大きいに違いありません。

そしてこうした著作を通じて、世間に「ただの有名ピアニスト」と認知されるだけではなく、クラシック音楽業界について、またそこでの日本の位置付けについてetcの問題点を投げかけ、一般には知れ渡ることのない情報を発信するといった動き方をしてくれたことが、本当にありがたいです。

もちろん今後も、日本人でクラシック音楽をやる人がまさかゼロになるということもないでしょう。
いつの時代も、流行り廃りに関係なく、(それこそ霊的な諸々の要因も絡んで)なぜかしらどこかしら西洋クラシック音楽に携わるハメになった……的な人生を送る人は絶えないものと思われます。

ただ。

ここから先は、かつてのような時代に音楽家を目指すのとはまったく別の動機そして境遇で、音楽家は生きていくことになると思います。

今さら、スターになりたいといって有名ピアニストを目指すなんてお気楽かつ時代錯誤な人は、(ある意味、貴重でしょうが)まずいない。いたところで、その人の思惑どおりの現実が成立するかというと、かなり疑わしいと個人的には思います。

正直、以前よりもはるかに、食えない職業になっていくことでしょう。

そんな中で、それでも、

東洋人が、なぜ西洋の、しかも何百年も前に生きた人がつくった曲を演奏するのか
それはなんのためか
それは誰のためか


という問いから、日本人で西洋クラシック音楽を(ちゃんと)演る以上は、逃れられないものでしょう。

その意味で、その問いに対するヒントを得る意味でも、これら著作は、ある意味では、聖典ともいえる位置付けになっていくのではないでしょうか。
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