これから良くなるのに遅すぎ、悪すぎは存在しない

雑な自己啓発本みたいw

さてワタクシは、左の太腿らへんを中心に脚全体がどうにもこうにも悪いままで、日常生活を問題なく送れる程度にはヒーリングで治ったものの、そこから先、それこそダンサーや俳優、アスリートといった高度な運動をできるほどではありませんでした。

ヒーリングをかけようとしても、
「この状態で脚が完璧に治りきらないのは、それを通じて学ぶことがあるから」
というメッセージが来ておしまい。

それで、ヨガのイメージが来るのですが&試しにヨガのレッスンに出てみたりしたのですが、梨の礫(つぶて)同然。

ヒーリングを習得してもなお、数年以上、放置するハメに。

そんな中、脚の怪我をして以来

「無理をするとロクなことがない」

と思って主体的にセーブしてた「自分の限界」が、物事を変えるに至らない範囲で終わっていることに気づき。

甘えたり甘やかすつもりはなくとも、何かを手にいれたり到達したりするのに十分なだけの労力を発揮することを控えてしまっていた。またああいった怪我をしないように、との配慮のつもりで。

それは違う、となり、まずカルドのホットヨガに出て、自分の体が多少は動くようになり体力も増進するという実感を得つつ、ちょっと物足りなくなったりもして、そのあとでビクラムヨガの存在を知り、入会。

死ぬほどキツい、という表現はこのためにあるのかというくらいきつくて、急激に痩せはしたけど柔軟性は変わらずで「バカみたい」と一時期、行かなくなり。

ひょんなことから見つけた整体院に行くと、年下の男が院長といってでてきてこちらの話を聞き、

「四半世紀(=25年)以上も前に怪我した部位が、まだその怪我のせいで痛いままだと思い込んでるんですか?w」

と。

非常に頭にきたけど、一理あるとも思えて。
実際、その整体院での施術(ちょっとした柔軟体操のようなもの)を受けると、昔の怪我がどうこうではなくて、「怪我をしたから動かないと思って、びっこを引くなどして実際に動かさなくなったため、その部位の体が硬くなったりしてうまく動かなくなった」要因が少し解消されて脚が動くようになるのを実感。

そこで目が覚めました。

本来なら、その整体院の院長を神のごとく絶賛して通い詰めるのが整体ファンあるあるでしょうが、私の場合、

「原理さえわかれば、あとは自分でやれる」

というヒーラー魂のようなものに火がつき。

過去の怪我がどうこう、という思い込みを抜いて、物理的に今、脚の筋肉などがどうなまっているかなどを霊視。
それを、あの整体院でやるような動きの要領でほぐせば、動くようになるはず!との算段。

それでなんだかんだいって、ビクラムヨガを含む、ヨガの手法に立ち返りました。

そして見つけた、この本。



冒頭の文章を読んだだけで、(あくまで上記の流れを経た私のマイブーム的な感性では、なのでしょうが)目からウロコ。

はっきりと「厳しい修行」と明言し、それを経ることで得られる喜びについて書いてありました。

ちょうどその頃、シンクロ的に、

「苦しみから学ぶことだけがすべてではないものの、苦しみから学ぶことも多い。というか、『これぞ、苦しみから学ぶことだ』というやり方で苦しみと接すると、そしてそれに打ち勝つと、こぉんな恩恵が得られる」

というのを学んだりもして。

今なら、子供のときのように被害者意識に苛まれながら嫌々、苦労して、酷い目に遭うこともなく苦行に向き合える!

との思いで、主体的にビクラムヨガのレッスンに参加。

レッスン中には入念にできないポーズのチェックや、あまりに不得意なポーズは家などで自主練。
(スタジオレッスンでは立ってやるポーズができない場合、ベッドで横になってやるとバランスをとらなくて済む分、柔軟性アップのほうに注力できて有益でした。で、柔軟性をアップさせておけばスタジオに行ったとき、ポーズをとりやすく、あとはバランスをとるほうに意識を集中できるので嘘のように以前はできなかったポーズができるようになったりして)

この本が役に立ちました。
    ↓


また、ビクラムヨガは特定の26のポーズだけを延々と繰り返すのですが、それ以外で自分の体の動きを取り戻すのに有用なストレッチは別途、取り入れて。

たとえばこういう本とかを参考に。
    ↓


そしたら、効果が出たし、腕や脚を伸ばしたり曲げたりが腰や内臓など、関係なさそうなところとも連携していることに気づき。

運動して脂肪が燃焼すると、そうした細胞に蓄積していたネガティブな想念が解放されるわけですが、その解放のとき脳裏をよぎるんですね。
つまり、昔の嫌な思い出が蘇る。

ただでさえ暴力的な私は、個人的にジムでトレーニングをするときその想念があまりに酷く、いつもやめてしまってましたが、スタジオレッスンだとそれができないのが幸いして、ひたすら
「殺してやる、殺してやる」
と呪詛の言葉を吐きながら、蘇ってくる嫌な思い出が抜けていく過程に耐えました。
で、1回90分のビクラムヨガのスタジオレッスンの間じゅう続くわけでもなく、ある程度抜けると、もう平常心に戻るものだということも学習しました。

スタジオレッスンのため途中で抜けられない、勝手にレッスン中は休めないといった点がプラスに働いたおかげで、
「もうだめだ!」
と自分の稚拙な判断で途中でやめてしまうことをせず、ちゃんと結果が出るところまでの運動を継続できた。

すると、去年の秋に週3〜4回もレッスンに通っていたわりに全然なにも良くならなかったのとは異なり、週1〜2回のレッスン参加でも、体は柔らかくなるし、過去のネガティブ想念もじゃんじゃかデトックスできるし、体力は増進するしで、とてもアラフォーとは思えないほどの回復というか体力の成長を実感しました。

面白いもので、霊視やヒーリングも併用していたのですが、肉体の試練を乗り越えて学ぶべきメッセージをちゃんと受け取ると、ヒーリングが効く。

ヒーリングが効かないのは、その困難や問題、病気etcから学ぶべきことがあるから(=その時点でヒーリングで問題を消してしまうと、せっかくの学びが得られないのがベストじゃないから)なんですね。

そして!

小6で脚を怪我して以来、一度もできなかった体勢やポーズを、無理なくできるようになった!!

この取り組みを始めて数日〜2週間程度で、信じられないくらい、ちゃんと体が動くようになりました。

そこで見た、ビクラムヨガのスタジオの張り紙。

それがこの記事のタイトルにある言葉です。
(実際はもうちょっと長い)

本当だなぁ、と思いました。

そして、いったん不自由になった体の動きを取り戻すとともに、

「何かを成し遂げるとなれば、このくらいの大変さはフツー」

という感覚を、ちゃんと物事を動かせるかどうかのポイントで正確に見極められるようになったので、ビジネスや勉強、芸事の上達など他の分野にも無限に応用が利く。

「頑張ってはいるんですけどぉ〜、大変な思いをしましたよ? さんざんやりました。でもぉ〜、何も変わらなかったですw」

みたいな、ブロックありまくりのモンスターあるあるからは、いよいよ卒業の予感。

ちゃんと物事を変えるまでやるとはどういうことか

を、運動という目に見える行為を通じて、そして肉体の変化という目に見える形を通して学習できたのは、本当に救いでした。

ある意味、これまでヒーリングだけかけても効かなかったことに感謝です。

この学びをすっ飛ばして、形だけ健康を手に入れても、何も変わらない、「不満がないのが普通」みたいな、なんにもできない根性なしの甘えたモヤシっ子で終わってたままでした。

そして何より、

「物事を変えるには、このくらいの苦労が伴う」という感覚が正しく芽生えたことにより、無駄な過剰な苦しみを背負わないという判断がしっかりできるようになった

のが最大の恩恵かと。

「あ、結果につながらない無駄な努力してる」

と、(思い込みでなく、適切な判断力で)思ったら、やめる。

「もっといい方法があるんじゃね?」

と思ったら調べ、探り、見つけたら、あっさり乗り換え。

そうやって要領よく効率よく、必要最小限の苦労で努力して行動して成果を出す、という行動サイクルがどんどん確立していってます。

しかもそれが、

意識の高さで無理してるのではなく「これが普通」と思えている。
「これ以下なら嫌」という、いい意味での嫌悪感が成立しているので、意地でもサボりたくない


という思考の成立にも役立ちました。

スピリチュアルにありがちな

「苦労することなく、ラクに豊かで幸せ〜」

というアレ。

あの概念は、ニュアンス次第でただの現実逃避の言い訳にも、上手に世の中を渡っていく武器にもなりますが、そのちょうどいい解釈ポイントが見つかった実感。

長かったなー。

ほんとはもっと若いうちに回復して学べたらよかったけど、思い出してみてもあの頃の自分には無理だっただろうと思う。
今がちょうどいいってこと。

せめて、

40歳になる前に気付けただけマシ

と思うことにします。

人生まだまだ長いらしいから、まぁ、はじめのうちにこれに気付けてよかった、ってことすね。


P.S

怪我の経緯w

幼少の頃から親にむりやり「お前、やりたいだろ?」と脅迫されて入らされたアイスホッケー部で毎日7〜8時間もスパルタ式に運動漬けの生活を送らされ、しかもその親を尊敬できていたわけでもないので、反抗心も手伝って、

「よくも俺をこんな目に遭わせたな!」

と、被害者意識を原動力にした怨みを抱いていました。

そして、小6のときの怪我。

なんてことはないおふざけの体裁で、バカすぎる(と私には感じられる)同級生が「麻酔」といって太腿を蹴ってきたんですね。
(ちょうど学校でそれが流行っていた)

べつに強く蹴られたわけではないのに、それが思いの外、へんなツボみたいのに入ってしまったようで、肉離れのような痛みがずっととれない。
夜、眠れないほど痛くなるようになり、私は勝手に「これで病院に行ったら切開手術されてしまう!」と思い込んで(←このへんからして、自分の深い潜在意識的な思考でその後の現実を第一希望で選んでる感満載ですが)、放置してました。

放置どころか、そのままアイスホッケーの練習を(どこも悪くないという演技をして!)続けたりして。

そしてどんどん悪化して、まともに歩くのもできない激痛に。

覚悟を決めて病院に行くと、拍子抜けなくらい雑に触診され、湿布を出されて終わり。

切開はされなかったものの、湿布を貼っても日数を経過しても一向に良くならず。

慢性化〜座骨神経痛ぽさに移行し、天気次第で泣いてしまうほど痛くなるようになりました。

大学進学で親元を離れた後は(『お金がかかるから病院になんか連れていけないよ。死にゃあしないんだから』と親に煙たがられることもなくなったため、バイト代をつぎ込んで)藁にもすがる思いで、いろんな病院を巡ったものの、一向に良くならず。

調子のいい日には多少びっこを引く程度で痛みもそこまで意識せず生活できるようならへんで慢性化がおさまり、ナァナァにして、(30kg近い増量(肥満化)を経て)社会人生活に突入。

でも椅子に座ったまま足を水平に上げるといった、健康な体ならなんともない動作がいろいろ、できないままでした。

という流れで、本文に書いたことのほうに戻るわけです。
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