女はしっかりしなきゃいけない!?

スピリチュアル関連の知人から

「usamimiさんからしたら、現代の『男に養ってもらいたい、働きたくない、責任を負いたくない』という、男に甘えて依存して何もかもから逃げようとする女なんて、けしからん!って感じですか?」

と聞かれました。

うーん。。。

そういう、意識の高い低いの話じゃないんですよね。正直なところ。

どういうことかというと、過去生のいくつもの記憶が断片的にでもある(と少なくとも本人は思っている)私としては、当然、自分が女性として生きた記憶も無数にあります。

それぞれの時代で、国で、とりまく常識や社会通念、技術的な発展の度合いなどが異なることにより、女性の扱われ方、位置付けはさまざまです。

しかしここ数千年を過去から振り返るという範囲内でいうなら、

女性が今ほど権利を認められ、行動することが許容され、教育やビジネスなどに携われるなど恩恵の大きな時代は珍しい

という印象。

第一、

女に人権がある

女で字が読める、計算ができる
 (≒教育を受けることができる)

女に選挙権がある
(参政権まである!)

女が職業に就いて賃金を稼ぐことが許される


なんて、はっきりいって信じられない奇跡です。

何百年、「どうせ無理でしょ」と諦めかけつつも古今東西の女性が夢見てきたことか。

女って、国や地域、時代によっては、馬や牛などの家畜と同じように、本人の意思も承諾も何も、村の男たちの話し合いで誰と結婚するかなどがほんとに「物」みたいに勝手に決められていたんです。

一度も会ったことのない男と結婚し、その相手がどんなに酷い人間であろうが絶対服従。
しかも夫が死んだら、妻である女がどれだけまだ健康だろうとなんだろうと夫と一緒に生き埋め。
それか、「夫が死んだら自殺するのが妻の美徳」とされ、村人たちから自殺を迫られる。
それでも抵抗すると、縛り上げて火あぶりとか、無理やり村じゅうの人々から「酷い女だ」といって殺される。
悪いのは、男に追従して死ななかった女のほう。

これはさすがに昔すぎ、極端すぎ、と思いますか?

夏目漱石の『こころ』はどうでしょう。娘と結婚したいと男(先生)から打ち明けられた母親がOKを出すんですよね。本人の承諾も必要ない、とまではっきり宣言して。男じゃなく女が、女を、そう扱うんです。これは近代の日本の話です。フィクションとはいえ、それが不自然に感じない世相だったことが窺える、と言ったらそんなにおかしくはないのでは。

映画『駆込み女と駆出し男』はどうでしょう?
江戸時代、女のほうから離婚を申し出るのは基本的に許されず、唯一残された手段が、駆け込み寺へ入ること。
「女のほうから縁を切られるような不名誉レッテルを貼られる男が自分のいる村から出るなんて」という男(連中)の沽券のために、寺に駆け込もうとする女を村じゅうの男で無理やりにでも阻止しようとします。

名探偵ポワロでも、ケンブリッジで学問を修めた女性が正式には学位を授けられず、女たちだけで集まって私的に形式的に学位の授与式に相当する式典を開催するシーンが出てきます。

ナニー・マクフィーの魔法のステッキ』は19世紀イギリスの話ですが、メイドとして働くエヴァンジェリーンは教育を受けることができておらず、文字が読めないことに劣等感を持ち、休憩時間に童話をたどたどしく独学で勉強しつつ「文字も読めないような女、相手にされないわ」と嘆きます。

挙げた例は確かにフィクションかもしれないけど、これがそれぞれの時代の女性あるあるだったんです。

私が師事した大学時代の恩師(女性)も、高校のときの教師が男尊女卑で、女子生徒が指されて質問に答えられないと

「まっこと、女子の学力とは無に等しい」

とおおっぴらにのたまい、男子生徒が爆笑……という光景が当たり前だったそうです。

進学に際しても、父親から「女のくせに!」と反対されたとか。
(ちなみに父親から『そんなに大学に行きたいなら、東京大学に現役で受かってみろ!そしたら行かせてやるw』と意地悪的に言われたそうです。それなら、と、ほんとに受かってみせて今に至るという流れだとか)

今回の人生に限っての私自身の体験も、10~20代の頃は、しかも地方になると

「女なのに大学なんて行ったって意味ない」

が常識でした。大学進学なんてしたら、親不孝。嫁の貰い手がなくなる、とマイナス評価だったりして。

それで進学を諦めさせられた同級生、社会人になったあとでバイト先で知り合った同年代の人など、どれだけいたと思いますか。

話しているととても利発で、まだ「大卒」が今よりものを言った時代。彼女たちの知能が他の大卒の女性や、ましてや男子に比べて劣っていたとも思えません。
でも「女だから」という理由で大学進学を断念し、安い時給の、誰でもできる扱いの仕事に甘んじている。
(究極的には本人の意向というのがスピリチュアルな真実なんですけどね)

これ以外にも、いくらでもあります。
女性だから昇進させてもらえない。
女性だから◯◯は許されない。

今もすべてが解消されたとは全然思ってません。

が、少なくとも法律では認められるようになってきているのは確かです。

またフィクションの話で恐縮ですが、オールコットの『第三若草物語』(Little Men)を原作とした『若草物語 ナンとジョー先生』というアニメがあります。

主人公はおてんばな少女なのですが、将来、医者になりたいという夢を持ちます。
が、19世紀のアメリカ(後進国ではなく先進国中の先進国!)では、女性は医者になることが許されませんでした。
絶望して夢を諦めそうになる主人公は、ジョー先生が自転車に乗る姿(←これも当時は、男性だけが乗るものとされていた)を見て、希望を持ちます(そして最終回では、大人になり医者になった主人公の姿で終わる!)。

中世の日本でも、日本初の女医と言われる人が
「女が医者になるなど前例がない」
といって認められなかったのを、古文書を紐解き、奈良時代に医者に相当するとおぼしい働き方をする女性がいる記述を発見し
「前例ならあります!」
といって医業に携わるのを許されたというエピソードが。

相撲の土俵に女性は上がってはいけないというのもありましたね。最近、破られましたがw

これ、私がこういう作品を見たから影響されたというのではなくて、いろんな時代や国の過去生を女として生きた記憶がある人間からすると、そのどれもが、多かれ少なかれ当たっているというか、少なくとも

「うんうん、そうだったそうだった」

という感慨を思い起こさせるものなんです。

べつに、意識の高さなんて話じゃないんです。

女がどれだけ、何かをしたいと思っても、させてもらえなかった。

そういう時代を、国を、そこで「絶対」とされていた「常識」という名のプレッシャーと共に、思い出すんです。

「そんなこと言われてもォ〜、たしかにそうかもしんないけどォ〜、でもォ〜、私は今の現実で十分つらいから仕方ないじゃんw」

というのもわかる。
だから、究極的には、ほかの人に向かって

「せっかく今の時代という恵まれた境遇に生まれたんだから、その恩恵に感謝して最大限、努力しろ!」

なんて言うつもりもありません。

どの時代にうまれようが、そのあり方がほかの誰かからみてどれだけ恵まれたものに映ろうが、問題は自分がそれをどう思うかだから。

どこかの誰かからみて羨ましいものを授けられたから、嫌々しぶしぶ頑張るなんて、アホらしいと思いますし。

ただね。

これだけ女性にいろんな権利が認められて、活動が許容されている時代に生まれておいて、それをありがたいことだとも思わず不満点ばかりをあげつらってブーブー文句いってる女性を見ると、

なんともいえない気持ちになる

だけなんです。それだけ。
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