ボールをストライクに。

先日、某有名デザイナーさんの講演を聞いたんですが、他の売れてない?仕事がない?デザイナーと自分のどこが違うかというと、この記事タイトルのとおりだとのこと。

どうゆうことかというと、たとえば正式な依頼かどうか、報酬もまだ決めてない段階で、ものすごくモワ〜ンとした漠然とした話を持ちかけられたり雑談などのときに出る(=ボール)のを、何をどうすればいいかイケるか自分側でリサーチして戦略を練って、成功に向けての正式な依頼案件にする(=ストライクに)、ということだそう。

だいたいのデザイナーは、曖昧な話を持ちかけられた時点で(おそらくめんどくさいから、あるいはボールをストライクにする力量がないから?)、断ってしまう。スッと身を引く。それはそれで賢く案件を選ぶことでもあるし、悪いことではないのでしょうけれど。

でも、現時点でまだそこまで売れっ子というわけでも引く手あまたというわけでもないときは、そういうボール的な話しか転がってこない。

それをいちいち断って、オイシイ話が舞い込んでくるのを待つかどうかだ、と。

そのデザイナーさん自身も、見も知らぬ人からいきなり

「うちの県もこの特産品をこう加工して高級品として高値で売ったら目玉商品になるんじゃないかと思って!パッケージデザインよろしく!」

と、そのアイデアが一度もこの世で実現したこともなければその人自身が実際にやってみたこともない、雲をつかむような話を持ちかけられたことがあるとか。

完全にボールですよね。

しかも依頼されたのは、商品自体のコンセプト云々もなし崩し的に頼ってきてるけど要はパッケージデザイン。
話がまとまったら来てくださいと断ったり、その商品がヒットするかどうかなんて関係ないからとにかくパッケージだけデザインしてお金をもらって終了、という手もあるかもしれず。

でも結局、商品自体のプロデューサー同然に、市場をリサーチし、類似商品がないか、それはどんなコンセプトで何が売りで、どんなパッケージ、価格でどんな流通チャネルでどのくらい販売実績があるのかをマーケティング担当者ばりに調査したとのこと。

そのうえで、商品を実際に生産・加工する設備をもった工場の存在を確認し、連絡し、この商品の生産を請け負ってくれるかを交渉し……、まるっきり営業じゃん!ということまで首を突っ込んで。

そしていよいよ商品が実現化できそうという段になって、デザイナーとして依頼されたパッケージデザインに着手、と。

結果、そのデザインが世界一のアワードを受賞し、かつ、版権を依頼者側に渡したためその地域のゆるキャラに勝手に無断で流用され(←そこは折り込み済みだったので良しとしたとか)、商品は爆発的ヒット、と。

おそらく金銭的対価だけを考えたら割にあわない仕事、もっといえば無謀ともいえる案件だったでしょう。
中途半端に関わったらこの結果には結びつかなかったかもしれない。

でも、やった。ら、できた。

このパッケージのデザインが世界的評価を受けたことで、デザイナーとしての格も以前とは比べものにならないものになったとか。



Kちゃんこと萩本K一さんも「最初は良い仕事なんて絶対に来ない。これだけは嫌だ、やりたくないという仕事しか来ない。でもそれをこなして、相手の予想を上回る結果を出すことを続けること以外にない」的なことをよく仰います。

よほどよほど例外的に最初の一発目からずっと素晴らしいお膳立て済みのオイシイ案件ばかり、という人は、どの職業をみても、まずないんじゃないでしょうか。
なにも有名人とか芸能人、デザイナーなどクリエイティブとされる特殊な?職業だけに限ったことではなく、会社員でもなんでも同じなのでは。

そして、パッとしないというか月並みというか、やることやってないのを「いや、ちゃんとやってるよ?」と自己評価して非を認めず自分が理想どおりの生き方をできてないことをすべて

「周りが悪い。運が悪い(=ストライクの案件が最初からすべて良い条件で整って持ちかけられないのが原因)」

と人のせいにする人も、どの職業にもいるw



私個人のヒーラーとしての駆け出し時点を振り返ってみても、ボールと断言するのは憚られますが、いろんな依頼を受けてそれに応じてきたからこそ路線というかが確立できたのかなぁ、と思います。

・都合よくチャチャッと楽になりたい(だけ)

・自業自得で苦しんでるのを他人の手で苦しみを取り払ってもらいたい(その苦しみがメッセージだということも認めず、嫌なもの邪魔なものとして排除することで快適さを取り戻したい)

・霊的成長や魂のステージ?といったレベル分けの概念を差別化のために用いて、他人を見下し自分が優越感に浸る材料と捉えて高慢&傲慢の極み

・困っている自分自身のほうに結局アイデンティティを感じており、その状態から脱却したいという体裁で相談にきているが「今の自分の状態を肯定し、それに賛同する仲間が欲しい」勧誘で「俺たち一緒に世の中の底辺で苦しみ続けようぜ。うまくいかなくても仕方ないじゃん。あんたもそうだろ?結局はショボい自分が世の中でうまくいかないからこんな霊感商法の詐欺まがいのことをしてるんだろ?だったら同じだよ、俺らは仲間だ。仲良くしようぜ」と友達になりませんか打診されたり。

・金を払っている客である自分は神様だ、という決めつけで、こちらを「下請け業者」ばりに顎で使い、「さっさと私を幸せにする企画書と見積書を提出しなさい!」と高圧的な指示(命令に近い)をしてくる。
 (『誰に食わせてもらってると思ってんの!?』と某社長夫人から怒鳴られたことがあります。笑顔で『少なくともあなたに食わせてもらってるつもりはありませんよ?食わせてもらいたいとも思いませんし』と返したところ、二度と依頼をいただけませんでしたw)

・こちらのことを「成長株。将来、大物として業界の重鎮になるかもしれないから、今のうちに取り入っておけば、将来なにかおこぼれにあずかれるかも」と媚びてくる。
 (こういう人、必ず『お互いに助け合いましょう』とか『愛』とか『奉仕』とか、言葉としてはとても綺麗な表現を使いますが、小狡く懐に忍び込んで、おこぼれどころか母屋を乗っ取るくらいの勢いでこちらを搾取しきって下剋上で上下関係逆転!くらいの思惑でいる野心家だったりします)

これ書き始めると延々と終わらないからこのへんで(笑)。

それでたどり着いたシンプルな結論が、

言い訳せず引き受けて取り組むか、断るか

の2択のみに自分の行動パターンを集約させたこと。

「これはとても今の自分ではストライクにできないボールだな」

と思ったら見送ることも重要だと思います。

あとは、

乗りかかった船であっても、自分がすでにサンクコスト(取り戻せない労務や金銭的経費)を払っていても、自分のすべきことから逸れた「これは当初の話と違う」という相手方の約束破り的な動きがあれば、迷わず切る

こと。(これはお客様からのヒーリングセッションの依頼というよりは、何かグループを組織しようとか共同でセミナーを教えようとか、同業者と組んでなにかする場合に多い)

サンクコスト切れないとやばい、というのは世界的通説らしいっすね。
(そこで『いいや!私は!あくまで!サンクコストを!捨てずに!見事!成功した!』という人でないかな)

「でもォ、私はァ、どうやったらボールをストライクにできるのかがわからないからぁ、どうすればいいんだろう?って感じです。受け取ってどうにかできるボールなのか、無理だから見送るべきなのかを確実に見分ける方法も知らないし……(←まるで、できてる人は生まれつきそういうことが苦もなくチャチャッとできた前提+自分がそういうノウハウを与えられていないのは不当であり、悪いのはこれまで私にそういうことを教えなかった他人・社会・世界・神だ的なクレーム同然の開きなおり)」

あー、じゃあ一生ダメっすねー。しゃあない。あなたに生まれつきそういう才能を与えなかった神様が、親が、地域や国の制度が、悪いんでしょうね。
今ボールをストライクにできる人ってのは、生まれつきそういうことができてしまう才能を授かっていて、なんのストレスもプレッシャーもなく、ホイホイ余裕でラクして成功街道まっしぐら!ってことなんでしょうね。間違いないっすよきっと。そういう奴はズルい。神様は不公平だ!もう、そういって世の中や自分の人生を全部、他人のせいにして恨んで、成功者を悪者扱いして、こうやって真理にたどり着いた私は世界一正しく、また酷い理不尽に耐えていて立派なのだということを唯一の誇りに、今のまま苦しくパッとしない生活をこの世のどこかでコソコソ続けていく!それが何よりも尊い生き方のはずですよね?
悪いのは、自分以外のすべて。

「私は、悪くない」

えぇ、間違いなくあなたは不当な犠牲者であり被害者でしょう。なんの非もないでしょうね。
……こう言われると気分的にラクになれましたか?自分を肯定してもらえてよかったと思えますか?あぁ、この人は私の言い分をわかってくれる、と思って嬉しいですか?
よかったですね。物理的事実としての現実は何一つ変わってないし、今後も変わっていかないでしょうけど、だからこそせめて、心理的には慰められたいですよね。こんな自分は惨めじゃない、可哀想、という同情が欲しいところですよね。
いいと思います。好きなだけ、同情してくれる人を見つけてぬくぬくとその「優しさ(←ほんとに?)」に包まれて、受け取るだけ受け取り何も与えない一生を送りましょうよ。
そりゃ与える側に回りたいとも思うけど、それができないから奪う……じゃなかった、受け取るばかりなのは仕方ないことですもんね?もし世界が、親が、他人が、社会が、もっとちゃんとしてくれていたら、今ごろ私も他人になにかを与えらえる側になれたであろうに……(そうじゃないから、私が受け取るしかない人間になってしまった。この世界の落ち度のせいで。この世界のすべては、私をそういう不幸で無能な状態にしてしまった加害者。だから責任をとって、一生、私への償いをありとあらゆる手段でとるべき。私がなにかを欲したら100%満たす義務がある。それがこの世界という加害者が、私という被害者のために行うべき贖罪。私はありがたく、世界からの贖罪のための奉仕を受け取ってあげているのだ。それは善行であり、犯した罪を償う者たちを許し、罪から解放された感覚を与える偉大な行為なのだ)。
受け取るばかりで何も与えない人生を送るとしたら、この世界はあなたが生まれなかった場合よりよくなってるんでしょうか、悪くなってるんでしょうか。そんなの知らねーよ、って感じ?悪くしたところでなんだよ、って話?
ねー、そうですよねー。そんなこと気にする時点で頭おかしいですよねー。

愛とは惜しみなく奪うもの!
乞食のエキスパートとして、自分の弱さや不幸、恵まれない境遇etcを武器に、生まれつき幸せで有能で苦もなくチャチャッと成功して幸せで金を自由自在に稼いでる連中に、正々堂々と
「お恵みを!(with脅迫的目つき)」
で、世界の富の偏在を少しでも解消して、世の中みんなが平等になれば、いいんですよね?
たくさん持ってる奴は、それがどれだけ自力で頑張って築き上げたものであろうと関係ないから「それをできるだけの才能を授かった」というズルい分、才能を授からずにつらい思いをしている人たちに何もかも差し出して尽くすべきですよねぇ?
自分だけ得しやがって、なぁ?ズルいよなぁ?ありえねえよなぁ?っつって?っつって?
なにかをしてもしなくても、とにかくこの世に生まれたら、同じものを同じだけ与えられて全員が平等に幸せになるべきだ、ってことっすか。ビバ社会主義っつーの?(←政治疎い)

ほんと、才能あって意思が強くて行動力もあって見境なくガンガン夢を叶えていくような卑怯で非常識な人間がいるから、この世は不幸なんですよね。だから私がこんなにつらい。んでしょう?

わかるー。(←棒読み)

いや、ホントホント。全部本音。うん(←自販機でジュース買うため小銭を取り出しながら投げやりに)。