霊的な成果を現世利益のモノサシで測ろうとしても無理

最近のトレンドゆえなんでしょうか。

「霊的にちゃんと精進していれば、すごい魂を持って輝いていさえすれば、良い人に見出されて有名になりお金持ちになれる」

的な短絡的な発想をしている人がいるようです。

考えが、学校のテスト的というんでしょうか、会社の評価制度的というんでしょうか。

「頑張ったので、ご褒美をあげますよ」

という因果関係をイメージして、それを霊的なものと現世利益をごっちゃにして適用しているんですね。

この考えでなによりまずいのが、霊的にちゃんと?(←何がちゃんとしてることになるのかはここではあえて言及せず、とにかくそうできているとします)精進して、魂を輝かせていても、有名になれずお金持ちになれないとすれば、やっていることは無駄だ・意味がないと判断してしまうこと。

霊的なものの本質的価値を、現世利益の有無・多少で測るって、どんだけ本末転倒なんじゃい、って話ですわ。
(そもそも人間がそうなったら、『霊的なものを否定し、無価値と断じ、現世の物理現実こそが全てと思い込み、人間のエゴイスティックで霊的に無知な愚かさでいう、格付け差別化のヒエラルキー的な価値観で上のほうにランクインしてご満悦になるのが勝ち組』という思想に人間を染め上げて堕落に導こうとするアーリマンの思うつぼです)

実際は、自分が波動を上げたことにより、肉体やその他のエネルギー体が強靭に美しく健康になり、自分が存在するエネルギー空間といったものが変わる、というだけなんです。

同じ場にいても人はそれぞれ、固有の世界に生きているもの。ある人が同じ場所でギスギスした波動で、周囲のギスギスとつりあい、浮遊霊なんかからも影響を受けたりマイナス面があるとしても、同じ場にいながらにして高い波動の在り方をしていれば、守護霊や天使、人徳の高い自分とつりあう人たちのポジティブなエネルギーと触れ合えます。

ある意味、「自分が到達した波動帯域とつりあう人や物事と接することができるようになる」だけ。
そこから先は、何かが欲しければ、自分で作っていかないと。行動しないと。アピールするなりして、振り向いてもらわないと。そこはもう、至極、常識的な、人間としての行動に依るんです。
もちろん、何もしていなくても、他の人から自分のことを素晴らしいと思ってお声がかかるといったラッキーもないわけではありませんが、それは波動のつりあう相手からの、とある働きかけの1つというだけであって、自分が求める現世利益をドンピシャ(死語)で与えてくれるものではないかもしれません。

お金など人間が勝手につくった仮想ルール(=創造主が直接は定義していないもの)で得をしたければ、人間のルールに合わせるしかないんです。

たとえば学校で理科のテストを受けるにあたって、社会の勉強をものすごく頑張ったよ!といっても答えはわからないでしょうし、また理科の勉強をしたといっても、テストに出る範囲を勉強していなければ点数はとれません。
もし正解がわかっていたとしても、それを答案用紙に記入しなければ0点ですし、記入したとしても解答欄がずれていたらやはり0点。
あらかじめルールが決められた物事で点数をとりたければ、その決められたルールに合わせないといけないんです。
これは有名になるとかお金持ちになるという点でも同じです。

いくら霊的に修練を積んだからといって、「それを評価して有名にしてあげますよ、それを評価してお金をたくさん支払いますよ」という相手がいないならば、現世では有名人化やお金持ち化はできないんです。霊的に真っ当であれば、自然とそうなるという話とは、若干、違います。
(ただ、何ひとつ役に立たないということではなくて、例えば真心や霊的なエネルギーも含めて、良いものを良いと評価する人たちをお客様として迎えてなにか商売をしているのであれば、霊的魂的な輝き・洗練といったものがお客様に評価され、売上が伸びるということは考えられます。ただその場合も、『お金を得る現実的な道筋が(商売をしているという物理的行為・在り方によって)整備済みである。その商いを継続的に行っている』という行動要件があって初めて、成立するものなんです。また、霊的に洗練されればされただけ必ず良いと評価されるかというとそうではなくて、人間の大半は、霊的に洗練されすぎたものを怖れて避けようとします。例えば大衆的な居酒屋や、ヨゴレネタなどで笑いをとるタレントをやろうという人が、そこに来るお客様や事務所側の人間、共演者などの求める波動帯域から大幅にズレている場合は、自分のほうがどれだけ洗練されて高い波動であっても、ドン引きされ、干されます)



21世紀型スピリチュアルというんでしょうか、

霊的な修練がお金や社会的地位、養ってくれる金持ち結婚相手など、ベタすぎる現世利益としての形で報われる(はず)

という思想。ちょっと、それ以前の(時代?)の人間からすると、違和感ありますね。

霊的な修練は、まさに霊的に修練がなされた状態になるのが目的で、そのためにやるもの。
ちょっと前までは、生きるために働いて商売してお金を得ないといけないという部分と、霊的に修練を積むという部分は、「相容れないけれどどちらも必要なこと」という位置付けで捉えていることが多かったような気がします。
だからこそ、日々のお金を得るために会社に勤めたり店をやったりはするけれど、霊的なほうもおざなりにしたくないから休暇をうまく取得して山籠りでの修行合宿や遠出して神社仏閣にお参りに行く……といったバランスの取り方をするのが一般的だったような印象があります。

古典文学なんかでも、普段はどこぞの貴族に仕えて働くとか商売をしていて、休暇の折にお伊勢参りに……などをする登場人物というのは、いくらでも出てきます。

で、神社仏閣へのお参りで「商売繁盛」といった現世利益を祈願するというのも、いちおう昔からありはしたけど、神仏を敬っての、「下々の存在である人間の、切なる願いとしてお聞き届けください。願いを聞き届けてくださるに値するだけの人間になるよう、私も真っ当に精進しますんで」的な謙虚さがそこにはあった気がします。
がめつくせこく自分の願い事だけ叶えてほしくて参拝する人も、古今東西そりゃ、いましたけど、そういう人たちの中にも「まぁどうせ、自分みたいなちゃらんぽらんな人間の願いなんざ、後回しでいいかもしんないッスよ」的なものが根底にはあったりして。
それが今や、商売繁盛を祈願するからには、いきなり世界トップレベルの超億万長者になることをあたかも当然であるかのように期待して当たり前。この風潮、スピリチュアルに疎い常識的とされる人のほうがあまりなくて、かえってスピに傾聴する人のほうがあからさまだったりします。
「私はねぇ、他の連中がうさんくさがって信じてないスピリチュアルを、ちゃんと信じてんだかんね?その分、ほかの人より報われて当然でしょうよ!!なんたって霊性の格が違うのよ?」
的な。

信心深さって、どこいっちゃった

んでしょうか。

もちろん、昔が良くて今はダメという懐古主義に陥っているつもりはありません。

20世紀後半~21世紀初頭にかけてのスピリチュアルな分野での文化的発達の最たる例は

ビジネスが同時に霊的修練として機能する。
スピリチュアルな洗練を目指し、実現しながら同時に(良い、真心ある)商売としても機能し、その結果として会社が儲かり、発展するという在り方(のせめて原型というか)を確立した


ことだと私は捉えています。

もちろんいまだにアコギな商売はありますし、ビジネスすべてがスピリチュアル的にイケてる在り方をしているとは到底、言えません。
また、スピリチュアルなビジネスというのは、なにも霊感商法を指すわけでもないです。
やっている業種は至極、一般的とされるものであっても、お客様である人は神の一部であり、すべての物事には意味があり、人は(本人が忘れていてそう思っていなくても本質的には全員)霊的に洗練されることを望んでおり、その修行のためにこの世に生まれてきている……ということを念頭に置いて、人と人が触れ合うこと、商品やサービスを通じてお客様としての人間たちの物質的精神的霊的成長に寄与することなどをビジネスモデルや働く姿勢に取り込めていれば、それこそが立派なスピリチュアルビジネスと言えるのではないでしょうか。

例を挙げるなら、斎藤一人さんとか、山田昭男さんとか、柴田秋雄さんとか、スピリチュアルなビジネスを提唱している人というのは、いるわけですよね。そして山田昭男さんや柴田秋雄さんのように、いわゆる霊的な話を一切していないけどそれはもう本来の意味でのスピリチュアルだよね、というビジネスパーソンも大勢います。有名無名に限らず。
(有名な人はすごくて無名な人はすごくないという考え方があるとすればそれは偏見だと私は感じます。まさにこのブログで述べたように、有名になるかどうかというのは、すごければ自然とそうなるものではなくて、あくまでそういう形の現実を本人が選んで創るかどうかなんです。知名度の高低をそのまま人間の素晴らしさの高低にあてはめるほど愚かなことはありません。裏返せば、有名になるための工作だけうまくて、すごい有名だけど人間としては『……』な人の場合もあるわけです)

21世紀も中盤に向けて進んできてますが、ここから先は、いよいよ、これまでの先人たちが原型やプロトタイプ(試作品)として整備した、「スピリチュアルでありながらビジネスとしてもちゃんとする」という在り方を、もっともっと洗練させ発達させ、また普及させ根付かせていく段階。

これはなにも、会社で雇用した人間を何か特定の宗教や哲学的思想、神秘主義的な考え方に染めるよう洗脳するという意味ではありません。

もっともっと、それがスピリチュアルであるかどうかも意識しないほど自然な形で、人間本来の、「霊的に高まっていきたい・そのためにこの世に生まれてきた」ということを実現する(ことにせめて、近付けていく)動き方・働き方・ビジネスの在り方というものを、あくまで社会的常識といったものからも逸脱することなく追究・探求していく。
裏を返せば、ここを完璧に外した会社や商売といったものは、たぶん儲からないですし、やっててもひたすら徒労感で疲弊するだけというか、経営者自身が自ら生み出したブラック企業っぷりにがんじがらめになって消耗してしまうでしょう。

人が本来持っている、役に立ちたい、人のために尽くしたい、困っている人を救ってあげたいという純粋な気持ちと、過渡期としての貨幣経済依存過多な物理的現実をどうにか両立させる。そこに本音と建前の裏表や、こじつけで綺麗事に化けさせただけの汚いエゴといったものを介在させない。
そこに取り組んでいけるかどうか、なんじゃないでしょうか。
そして、それが実現していけば、さきほど「過渡期としての貨幣経済依存過多」と表現した社会の在り方も、変わっていけるんじゃないでしょうかね。
もういい加減、カネなんてものがそんな何もかも、世の中すべてのモノサシとしてちゃんと機能するわけないと気づいてるでしょうに。
なぜなら今のお金の金額というのは、現物としての金(きん)など資産と「=」になるよう定められたものではなく、完全に幻想として「言い値」がつけ放題の、バーチャルな概念と化しているからです(←ここ、何言ってるかわからない人は、スピ本じゃなくて金持ち本を読みましょう。ベタですがロバート・キヨサキの『金持ち父さんのファイナンシャルIQ』を読むと、現在のお金が幻想としての在り方に変貌した歴史的経緯が学べます)。

かつては食糧自給率100%に向けて人類は頑張ってきましたが、今は供給過多で、地球上で生産される農作物や畜産物などの1/3は廃棄されていることが明らかになっています。食うために頑張ってきたのに、有り余るほど生産して捨てている。変じゃないですか?本末転倒ですよね?なんのためでしょう?……と考えると、答えはすぐわかるかもしれませんが「お金を得るため、儲けるため」です。お金が、ただのバーチャルとしての単位になってしまったため、また食糧の価値を計測する精密さに欠けまくっている性質ゆえ、こんな馬鹿げたことが起きているんです。農作物という物理的豊かさを大量に廃棄してまで求めて得たお金って、どんな豊かさを保証してくれるというんでしょうか?
ムヒカ大統領の演説じゃないですが、べつに道徳的に品行方正になろうとかそういう意味じゃなくて、「意味不明で不要なカネ」のために人類全体がおかしくなりつつあります。お金という麻薬に洗脳されているようなところがあります。
(ここで『やっぱりお金は悪者なんだ!?清貧の思想を貫こう。貧しさに耐えよう』となっては元も子もありません。芸なさすぎ。ここから先は、あまりにもこれまでの2~300年で過剰に万能と捉えられすぎたお金の本当の価値というか、得意分野不得意分野を明らかにするというかで、『お金が役に立つところにだけうまく機能するようにする。お金があっても意味をなさない分野でお金が幅を利かせることなく物事がうまく回るような新たな仕組みを編み出す』という部分に注力していくのが人類のよろしき発展の在り方かと)

自らが編み出した、お金という概念のほうに支配されつつある人間(社会)が、どれだけ主従関係を本来あるべきものに回復させられるかどうか。
それとも荒廃して金と権力だけをエゴ的に求める知的弱肉強食のサイコパス前提の冷たい社会になるか。
今後の人類社会がいい感じに存続するかどうかは、そこにかかっているといえますね。
(それはアーリマンの影響が30世紀に向けてどんどん強くなる時代の流れとリンクします。今の常識では考えられないようなドライな社会の成立を、アーリマンは促します。それこそ人間をランク分けして、命としての価値にまでヒエラルキーの概念を持ち込み、序列をつくり、支配するされるの関係がもっともっと明確になり、しかもそれは『愛と知性あふれる合理的かつ自然な本来の理想の在り方』みたいな触れ込みでなされます。家畜と分類された人間が畜舎で飼育され、献血や臓器提供用に産業利用されたり、遺伝子操作技術の発達により、不老不死が実現されます。そして不老不死の遺伝子操作を受けられるかどうかも、家柄や本人の社会貢献実績、地位や権力などで『査定』され、落選したら延命手術は受けられず老衰死するしかないというきまりが『当然のこと』として受け入れられていきます。いま死刑という刑罰が日本を含め多くの国で正当化されているように、『えっ、そんな!』と思えることが、『いや、これは妥当なことだ。仕方ないことだ。社会のためには必要だ』といって、容認されてしまうのです。すべては金とステータス。その社会を支える根底にあるのは、『ダサい無能のコネなし貧乏』という烙印を社会から押されたくないという恐怖。いえいえこれこそ、愛と光~♪ってか?)

がむばつていきまつしょい。

(ただ、今回、ディセンションの流れを選択した人類にとって、(ディセンション前の目標だった)こういったことを実現していくというのは、かなり『ビリギャル』的なチャレンジが求められそうですが……)

アーリマンの理想社会も、それはそれで面白そうねぇ?

ちなみに現世でそういうことを正当化して生きたカルマは、そこに関わるすべての輪廻転生に影響を与えるのは、いうまでもありません。

すべての人間の輪廻転生をひっくるめて、この地球といった物理空間だけでなく霊界などまるまるコミコミで、

いったいどんな世界が成立する

んでしょうねぇ~。(with笑顔)
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