急激に霊的成長してはいけない

根拠を提示しない卑怯でぼや~んとした記事をあえて書きますよ。

漢文で中学か高校で、稲を早く育てようとして引っ張ったら枯れてしまって大失敗、という小話みたいのを読んだことありませんか。
早く植物を成長させようと引っ張ったり肥料や水をたくさんあげたところで、摂理にかなわないやり方だとうまくいきません。もちろん、「これなら大丈夫」と研究して編み出された方法で生長を促進させたりというのならOKでしょうけど。現に水耕栽培やわざと肥料をあげずに丈夫で栄養価の高い野菜を栽培する手法などが確立されてきていますし。

それと同じで、人間の霊的な部分も、やり方次第で成長を促進させられる&してもOKな部分と、そうでない部分があるんです。

まず肉体。
肉体は霊(的)ではない、と捉える人もいるかもしれませんが、霊的事象をみていくとあくまで肉体は霊的なエネルギーの1つの具現化形であることに気づくでしょう。
人間を含め、動物はしかるべき妊娠期間を経て生まれますが、これを早めることは基本的にはできません。このとき辿る肉体の変化(胎児が受精卵からだんだん育ってくる現象)は、それと同時に霊的な、とある欠かせないプロセスを体現しています(というか、常に物理的な現象と霊的なエネルギーの事象は表裏一体。関係ないとか乖離してるように見えるのは人間の愚かさゆえ)。

そして肉体は母親の胎内から出て「誕生」となっても、人間はその後、何年もかけて、順に、魂のパーツというかパートというかをこの世にもたらしていきます。
その意味でいうと、人間が自らの魂の成分すべてを生まれさせきるのは35歳といっても過言ではありません。それくらい、「肉体はすでに生まれたけど、まだ生まれきっていない部分」が、人間には、あるのです。
(このことは、子供が大人になるプロセス、そして大人のなかでも20代、30代、40代以降でキャラというか雰囲気というかニュアンス、イメージが異なることでなんとなく感覚的にも把握できるのではないでしょうか。一般常識的には『年齢が示すとおり、時間の経過を経て経験を積んだことが、人間的な成熟や衰退などの変化を起こし、それが年代別の人間のイメージを形作っているにすぎない』とされて終わりです。が、本当にそれで納得できますか?現在、中年とされる年代以降の方なら特に実感できるのではないでしょうか。単にトシをとったというだけの理由から、自分が10、20、30代となるにつれてキャラや在り方、ものの考え方が変わっていったのだと本気で思えますか。ただの老化だ劣化だと割り切れますか?その変化は本当に、若いうち元気だったものが衰えてそうなった、のでしょうか?ならば実際に若い年齢の人が元気をなくして一時的にでも衰えたとき中年以降の人間と同じ雰囲気というか有様というかにならないのはなぜでしょう?『何か見えないところで、自分の知らない何かが、変わってしまった(ことで、自分がこうも変わった)』と考えるほうが、なぜかしっくりきませんかね)

このことは、サイキックなスピリチュアル技を使っても、過度に促進させたりは、できません。
できるとしても、なるたけ最善の過ごし方や経過を辿れるようにサポートする程度(←それが大事だったりするわけですが)。
幼年期の子供には、セックスなど性にまつわることを見せたり経験させたりしない、刺激が強すぎるとして教えないようにしたりの配慮が教育学では論じられます。それはある意味、妥当なことです。第2次性徴期を迎えた後であれば向き合えたり良さがわかる可能性がある性にまつわることが、それ以前の子供には害悪でしかなかったりします。
お酒もそう。子供には害だけど大人になったら(ある程度は)大丈夫、的な。
いまわざと、情操教育や肉体の発達の例をごちゃまぜに提示しましたが、こうした「ある年齢になり、魂のあるパーツが生まれる前と生まれた後とでは、人間は、同じ体験でも、感じ方やそれによる作用が異なる」ことは、無数にあるのです。

また当然ながら、年齢と共に変化していく霊的部分があるといっても、単に年齢を経れば絶対に何もかもカンペキに成長するということでもありません。
子供をつくれるようになる機能は(どんな人間性サイアクのロクデナシだろうが)勝手に育っていくかもしれませんが、いい親として立派に子育てできる人間であるかどうかは別のことです。
自然に変わっていく部分と、その部分にどう向き合うか・どう扱うかを主体的に学ぶことは別の問題なのです。

年齢に伴う霊的変化の他に、たとえば大人が筋トレをするにも「ものすごくハードにトレーニングをしたのでたった1日でヒョロヒョロやブヨブヨの体がスーパーマッチョに!」は実現し得ないように、どんなに最短最高効率で行ってもこんだけかかりますよ、というのが、霊的成長にもあります。

また、ある部分だけを急激に変化させても、人間は肉体ひとつをとってもバランスが命。それは心と呼ばれる脳の動きから感覚を司る霊的エネルギー体、さらにもっとスピスピした霊的エネルギー部分といったものに至るまで共通です。
どこか一箇所だけを発達させたことの歪みは、他の部分に影響を与えます。

もしも、そうした「この時空間のなかで人間として生きるうえで実現する霊的成長」という枠さえもを超えて、それこそビデオゲームのキャラクターを、プログラムのほうをいじっていきなり最強レベルにしてしまうというようなやり方で霊的成長を実現させようという場合(つまり創造主を介して、まったくのゼロから肉体~霊体まで完全に造り変えてしまうやり方を採る場合)、人間1人の在り方というのは完璧にこの宇宙全体との調和のなかで、互いに影響しあって存在しているわけですから、ありとあらゆる方面に対する(悪)影響や不整合をなくして行う必要があります。
(銀行の統廃合が進んだ頃、銀行の合併などに伴ってATMのプログラムを書き換える作業が頻繁に行われましたが、プログラムを改変することによる関係各所への影響を完全にはシミュレーションしきれず、不具合が起きてATMが使えなくなったりといったことが多発しましたよね。霊的にサイキックな方法で手を加える場合、そこらへんの整合性をどうとるかが肝心なのです)

現代の人間は、恐ろしいほどエゴイスティックにシステマチックになっています。
便利さに慣れすぎて、ほんの少しの不都合も我慢できない。
PCやスマートフォンの反応が1~2秒、遅くなっただけで発狂寸前のストレスを抱き、「こんなことはありえない」と怒ります。
ネットショッピングでさえ、当日に届かないと「遅い」と不満を感じる時代です。
このことは残念ながら、そうした常識を霊的なものにまで持ち込んでしまう人にも顕著です。

「もし私が霊的に未熟だったり、問題があって現実がうまくいっていないのなら、今すぐ全部治して、なにもかもうまくいくようにしてください」

こういったことを、さも当然の要求であるかのように言います。思っています。
そして業者としてのヒーラーなどを相手にしていると、「だってお金を払ってるんだから」と、一般的な商業の常識をそのまま適用させてしまっていたりします。

霊的なものを、なんだと思ってるんでしょうか。
霊的な事象のほうが、人間様の都合に合わせてカスタマイズしろと?
自然環境を破壊して自分たちの都合のいいように短絡的に都市化させて「経済成長!豊かな社会実現で幸せな未来を!」とか言っちゃう頭の悪さ全開ないまの人類の思惑のほうに、よりによって霊的な仕組みのほうが合わせる、従うべき、ということなんでしょうか?それが可能だとでも!?

一見、崇高な理念を持ちストイックに霊的なものを信じたり霊的修練に精を出すかのような姿勢をとっている人が、その実は「すごい自分になりたい。他の人間よりも優れているということを霊的成長の面で差別化して、ドヤ顔したい。私はすごい人間だという自負を持てるようになることで悦に入りたい」という動機だったり、その動機をいまこの瞬間に全部、狙い通りに叶えないと気が済まない、など思い上がりすぎててびっくりすることがあります。

また、もし仮に急速な成長ができるとして、それがいいこととは限りません。
はいはいの時期を経ることなくいきなり立って歩いた赤ちゃんは、すごいかもしれませんが、はいはいを経験するなかで培う骨格や筋力、平衡感覚や運動による刺激などがたりないため、あとで転んで骨折しやすいという結果が出ていたりします。
勉強もそう。ひたすら詰め込みで成績を上げて立派な学歴は手に入れたけれども、人としての感性を育て損なっていたり、勉強以外のことがまるでわかっていなかったり、勉強を強いられたことで無自覚ながら溜まっていったストレスや肉体的負担の弊害が中年以降に出たりします。
短期的に見て、狭い視野や価値観で「良い」と思えたことは、必ずしも長期的に見て、あるいは霊的な真理から見て、良いこととは限らないのです。

そもそもこの一生は、輪廻転生の無限の道のりのなかでは、たった1コマにすぎません。
今回の人生で、前世のカルマから障害を背負って生まれてきた人は、その障害は今回の人生では治る見込みがないこともあります。今回の人生で積んだ善行(←この言葉、ほんとは使いたくないなぁ。まるで道徳教育みたいに『善いことをしなさい』至上主義みたく見える。べつにそうじゃなくて、実質的に、プラスのカルマにつながるようなエネルギーを生む動き方、という意味なんだけど。そして積みたくなければ善行なんて積まなくてもいいっちゃいいんだけど。自分がそのカルマをあとで必ず引き受けることになるってだけで)が活きるのは、来世(以降)の肉体。

ということで、人には分相応というものがあるのです、というなんだか希望のないお話。
もちろん、可能な限りの急速な成長を果たすことで、見違えるようになるというのは、ありえますけどね。
本気でトレーニングすれば、数ヶ月あればどんなデブでもガリでも立派な体格になれるように。
(逆に、惰性でただジム通いをしているだけの人が何十年経っても……ということもあるわけです)
学校の勉強の成績でもスポーツでも楽器の演奏力でも美術デッサンでも、本気モードで数ヶ月~数年やると、プロへの道が拓ける可能性って、あるわけですよね、少なくとも実力的には(1万時間の法則、的な)。
それと同じように、可能な範囲内ではあるけどそれはすごいことだよレベルの霊的成長の加速というものは、ありえます。

で。

まず、「霊的成長?なんだそれ」的な人や、「成長できるんなら、したい!スーパーマンになりたい!!」(←要は、それが何かわかってないという意味)みたいな人というのは、霊的成長についてそもそも考えないほうがマシだったりします。

事実、貴族やいまの時代でいうエリート(政治家、マスコミ、官僚、一流の金融や商社などのサラリーマンなど物理的現実社会の中で活躍する境遇を選んでいる人)は、実は霊的にはどちらかというと若造で、霊的なことをそのまま学べなんていっても無理だからこそ、「出世できるのはいいことだ」というミーハーなガキっぽい思考と現世のカッコいいものになれたらすげえぜベイベー的幻惑にひっかかるなどの仕組みを利用して、ガシガシ働くわけです。本人は鼻高々で感じ悪いけど、その分、たくさん働かされて少しでも霊的な気づきを得るようサポートする運命の流れが護っています。金や地位、名声といったものにこいつらが弱いのも、霊的に未熟だからこそガシガシ行動しないといけないが故のいい意味でのトリック。がむばつてください。すごいねー、えらいねー、わぁお金持ちだぁ、才能あるんだねー、デキる選ばれし特別な人って感じー。(←家畜を肥育する飼育係が餌やりのとき家畜に声をかけるが如くに)。

俗世間でスピリチュアルなことが胡散臭く思われていたりするのにも、必然というか、メリットというか、そうあるほうが望ましい理由があるのです。

そして。

霊的なものについて学ぶ素養が整い、インチキじゃなく良質な情報やエネルギー、それらを持った人や場と縁ができた人というのは、スピ的な人として自覚的に霊的成長を実現していくわけですが、それでも知識などが断片的だったり、偏ったり霊的誤謬のあるスピリチュアリストの本や言説のほうを信じて「今すぐ瞬時に何もかも完璧MAXに霊的成長、実現!」みたいな(ありえない)ことを信じてしまったりします。
だから、頭でっかちに目標を据えて「なんとしてもそこに行かなきゃ」と思うよりは、目の前に現れる課題を1つ1つ、粛々と取り組んでこなしていくほうが実は、ウサギとカメのカメ式に良かったりします。

私はヒーラーとして活動していて、そして私自身が(自分でいうのはおこがましいかもしれないけど)腕をあげるにつれ、お客様の要望を1回のセッションで完璧に解消するのが無理というか、しないのが妥当だというのが観えてきてしまい、困惑した時期がありました。

同じようなテーマを何回セッションしても、(こちらが提示したヒントから、お客様ご自身で答えや気づきを得ることなく次のセッションに臨まれた場合などに顕著ですが)前に進まない。

今すぐすべての問題を完全解決、とは、至らないほうがベストだという合理性が霊的に観えてしまう。
(お客様は、『今すぐ、これ1回で、なにもかもスッキリさせたいです!』と、厄介払いは早いうちに済ませたいという気持ちで言っている。そして、厄介払いをするというような姿勢では、せっかく訪れた、トラブルという形態をとって訪れた霊的成長へのきっかけとなる恩恵を味わえない。その意味を理解できない)

どうしよう、こんな中途半端なら、ヒーラーなんて意味ないんじゃないか。。。と思ったりしました。

でも。

人の歩みは輪廻転生も含めれば無限にあります。そのなかで無限の気づきがあります。
そうなれば、何かを完璧に解消というほうが、どうかしている。

そう割り切って。

その時々のお客様の霊的成長度合いと、適切な成長具合というかを鑑みて、都度、できることをしていく。それでいいのだという境地にいつしか至りました。

そのほうがかえってお客様のほうでも安心というか、

「悩みは永遠に尽きないもの。そして悩みとは、霊的成長のための気づきをもたらしてくれる恩恵。ちゃんとクリアすれば、まったく同じ悩みというのは訪れない。し、悩むとしても、ただ被害者的に苛まれて苦しむ悩み方ではなく、自分で何かを選択したり、信念を選び取るといった、ある意味高度で、かつ、贅沢ともいえるものになっていく。そういう悩みを抱えられるようになったこと自体が誇らしく思えるような課題が、ちゃんと来る。以前の自分よりも強く賢く美しい心身霊魂を持った人間になっていける。折々に訪れる課題に取り組んで解消して成長して次へ行けるそのプロセス全体が、生きている充実感に繋がる」

というような境地で、(不)定期的に何年もご贔屓にしてくださる方々もいらっしゃいます。

それでいいと思っています。

裏を返せば、そうした点を納得できないお客様は、お断りするということです。

スピリチュアルヒーラーを、まるで水道が水漏れしたから呼ぶ修理屋・便利屋みたいに捉えている人がいます。

また、霊的事象を、自分の思惑どおりに従えられる・支配できうるものだと無意識に思い込む人もいます。そうしたい、そうなってないと気が済まないという気持ちに発展している人もいます。
(神に成り代わってこの世界を支配しようと目論む悪魔としてのモチベーションがここにあります)
(神はこの世を『支配』してはいないんですけどね)

ヒーラーは、スピリチュアルヒーリングは、サイキックな奇跡というものは、そういう人のエゴイスティックな欲を満たすものではありません。(と、私は個人的信条として持っています)

「でもぉ!やっぱりぃ!急激に!成長したい!何もかも!カンペキにしたい!思い通りにしたい!私こそが最高最強のあり方をできててスゲー!ってことになってないと、気が済まない!私のプライドが許さない!!」

なら、そんな有様でいるというポンコツな今の自分をどうにかするほうに取り組めばいいじゃない。
簡単なことでしょ?
我慢できないのは、赤ちゃんと同じ。自分が誰よりも優れていてなんでもできてると実績ゼロのうちから思い込むのは、幼稚なガキの特権。
幼稚園に入る前の段階から霊的成長やりなおして、カンペキを目指しまちょうね~。
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