セルフ調教

自分を動物と同じように調教しましょうというご提言。

これ参考になります。
    ↓


何かをやろうとするとき、

一番うまくいかないのは「ヤル気で苦難に耐え続けて突き進み、絶対に心も体も折れずに目標に到達する」やり方

です。

ひたすら根性論。気合いだ気合いだ!!……無理でしょ? 無理だったでしょ?

そうじゃなくて。

目標達成につながる行動を、快楽の虜にして、好きにさせて、率先してやりたくなっちゃうように自分自身を調教する

が楽チン。

イルカの調教師だったとき、お客さんに見せる芸を仕込むという意味での調教も大事でしたが、それ以上に

・肛門に体温計を挿しこんでの検温

・体重計に乗る(乗ったらじっとしている)

・健康診断のための採血

を仕込むのが大事でした。

で、普通に考えたらこれらは「嫌なこと」だったりします。

それを、「好きなこと、楽しいこと、やりたいこと」に調教するわけです。

たとえば採血。尾びれに注射針を刺して採血するのですが、そのためには

1.調教師(飼育員)に尾ひれを向けてじっとしている
2.採血の一連を尾ひれにされても暴れずじっとしている

という調教が必要になります。

しかもイルカには、恐怖や罰で嫌なことを強制するというやり方が通用しないので、上記のことを「楽しくて大好きだからする」というふうに持って行く必要があります。

ちょうど、人間の子供(というか赤ちゃん)に「いい顔してごらん、いい顔ー」といって、顔をしかめさせ、できたら「はい、いい子ねー」と拍手して褒めて、撫でてあげたりする、あのやり方。
厳密に考えると、顔をしかめる動作自体は、べつに楽しくないんですよね。
でもそこに、「言う通りにできたら褒めてもらえる。喜んでもらえる。(好意で)注目してもらえる。そうできた自分が誇らしい、嬉しい」というのが加わると、顔をしかめる動作そのものはべつに好きじゃなくても、それをした結果、得られるもののために、赤ちゃんは顔をしかめるのです。

基本的に、イルカもそれと同じ要領で躾けます。

採血に関していえば、尾ひれを触られるとか針を刺されるというのは、どちらかといえばマイナス。不快なわけです。
そこで、「脱感作(だつかんさ)」という調教をしていきます。

最初は、尾ひれを向けてじっとしているのを教える。合図があるまでじっとしていられたらご褒美(笛の音や褒める合図、魚の餌など)。
それができてきたら、指で尾ひれを触ります。触られても嫌がらずに合図があるまでじっとしていられたらご褒美。
次は、尾ひれを掴みます。
それもできたら、今度は指先の爪で、注射する位置をわざと押します。
最初はちょっとした力で始めて、徐々に力を強くしていきます。
最後は、全力で?爪を立てて尾ひれを押しても動かないでいるところまで持っていきます。
(何回も、何日も、何週間もかけてこれを徐々にやります。急にやりすぎると『怖い!痛い!嫌だ!』となり、それまでできてた動作も何もかも言うことをきかなくなります←調教師の腕が試されます)

うまくいけば、本当に採血のとき、針を刺して、血を十分な量、とれるまで、イルカはじっとしていてくれるというわけ。

余談ですが最近は、イルカ(哺乳類)だけでなく、サメなど大型の魚類にも調教が成功しており、体重を測るのが以前より大幅に楽になりつつあります。
(自分で体重計の上に乗って計測が終わるまでじっとしている、ということができない大型の魚や海獣の場合、麻酔注射で眠らせてクレーンで吊り上げて……という、大変な作業と危険、それに費用が伴います。調教技術やノウハウの発達により、安全と費用削減が実現できてきています)



冒頭に挙げた本が述べているやり方を応用し、自分が何か成功を目指すためにとるべき行動を、1つ1つ分解していき、どのくらいストレスを感じるかを洗い出します。

たとえば資格をとるため勉強しようという場合。

・テキストを見たとき
・テキストを手に取る行動を起こすとき、起こしたとき
・テキストを開いたとき
・テキストの内容を読み始めたとき
・テキストの問題を解くとき
・前に学習したはずのページを遡って開くとき
・前にやったはずの問題の答えがわからない、忘れていたとき
・そのテキスト1ページを読み終えたとき

など、こまかくこまかく分解し、どんなストレスをどのくらい感じるか。それはどんな思考ゆえかを洗い出すわけです。

テキストを見ただけで、そのあとしなきゃいけないことを思い出してはうんざりする、ということもありますね。
内容を読み始めたとき、学習の内容というよりは「子供の頃から学校でいつもこういう、嫌なことをさせられて、私はいまだに奴隷のような、つらいやらされ感を背負っている」という精神的な苦痛がこみあげたり。

ほとんどの人は、こういう苦痛・ストレス・嫌な気持ちをなにもかも我慢!我慢!我慢!して、進もうとします。
(出来の悪い人ほどその傾向が顕著です)

だから失敗する。挫折する。

そうではなくて、洗い出した嫌なことを、1つ1つ、調教していくんです。

たとえば私の場合、スポーツジムで筋トレをするのが嫌でした。

まず、トレーニングするのを思い浮かべると、バカみたいだし無意味に感じるし、つらそうで嫌。

このままジム通いなんかしたら、ほんとにトラウマになりますw

だから、イメトレで洗脳。

自分の場合は、ジムの内装が綺麗とか、トレーニングが終わったらジャグジーでくつろげるとかで、嫌なイメージを払拭していきました。
また、筋トレの効果について述べる記事や情報を収集し、アンチエンジング効果とか、デトックスになるとか、ほんとかどうかはひとまず置いておき、筋トレについてのイメージを良くするように持って行きました。

そして、ジムでトレーニングするのを思い浮かべて、ワクワクするようになったら次のステップに進みます。

ジムに行く、という行為。
勤め先までの定期券で行ける最寄駅かどうかや、営業時間など諸々の条件を考慮します。
ジムに行くこと自体がまだ好きになれないときは、その最寄駅の喫茶店でお茶するなど別のプラス要素を思い浮かべることで、行く気にさせました。

で、行ってみて、ジムに到達できたら、大仰に万歳をする。
世界一すごいことをした人みたいに、喜ぶ。
(こういうとき、演劇的というか、メソードというか、自分の感情を意図的に、持って行きたいほうへ持って行くというスキルを習得していると、やりやすいです)

「すげー、俺。ジムに来ちゃった!」

といって有頂天になる。で、その近くにあるお気に入りの喫茶店でドーナツセットとか食べるw

こうやって、

ジムに行ったら更衣室で着替えてジャグジーに行き、風呂を満喫して帰る
    ↓
遊んでるくらい軽い負荷のマシンをキコキコやりながら、ジム内のモニターでやっているテレビ番組を見る

など、徐々に慣らしていきます。

嫌なことがなくなる、というのが第一ですが、できれば「やるのが好き」なところまで持って行きたいところ。

で、いよいよちゃんとトレーニングをするようになったら、イルカの採血をご褒美にするみたいに、トレーニングのつらさを脱感作していきます。

また同時に、トレーニングでつらい気持ちになったときは「いい感じだ。この状態を経験すれば、脳が勝手にあとは自分を強くしてくれる」などと、責任を別の誰かに丸投げできたような気にわざとなることで、「このつらい状態になるのは、いいことだ」というふうに洗脳していきます。

それで、(私の場合はもともと運動をしていたためか、体質的なものなのか)何回か軽いトレーニングを経験すると、早くも物足りなくなってきます。

でも、カリキュラムを組んでいて、最初の2週間はこれ、そのあとは……というふうになっているため、

「もっとガシガシやりたいのに!」

と、やりたいのにやれないストレスを感じます。

このストレスは「ご褒美お預け」のため、わざーと、放置します。

ストレスが溜まり、

「もう嫌だ!もっと本格的にトレーニングしたい!」

と爆発しそうなところまで持って行き、高負荷トレーニング解禁。

すると、それまで「やれ」と言われても絶対に嫌だったはずの高負荷トレーニングが、本当にご褒美に感じられるわけです。
めちゃめちゃ息が苦しかろうがなんだろうが、「これがやりたかった!これを望んでた!!」という気持ちのほうが強いので、苦痛自体が、ある意味では、やりがいというか、夢が叶った喜びの一部になります。
(これはドM化するのとは微妙に異なります。苦痛自体を、つらいから好きというふうに調教するのは別のことです←ここが難しい。ドM化すると、つらい作業が快楽になりガシガシやれる反面、本来の目的だった成功のほうに興味がなくなってしまうので、つらい作業自体を目的として満足してしまうようになりかねない)

そこで今度は、できたトレーニングを、ログ(実績を記録する手帳)に、書き込みます。
そりゃあもう、ドヤ顔の極致で。成功体験として。

そうなると、スタンプラリーを制覇したくなる気持ちみたいなものがムクムク湧いて、手帳を「◯kgのバーベルで〜〜運動を◯回、達成」といった記録で埋め尽くしたくなります。

ここまできてようやく、慣性の法則が切り替わります。
(電車が止まっているときは止まり続けようとしますが、動かそうとする力のほうが強くなったとき『ガッタン!』となりますね。あれが心理的に起きます)

そのあとは、せっかく走り出して回り始めた流れを止めないこと。
(これは、最初にしかるべく慣性の法則を、気合いでなく楽しさで乗り越えたら、けっこう簡単です。油断は禁物ですが)

ジムに行かない日に体がなまってウズウズするようになれば、しめたもの。

……こういうことを、達成しようとするすべてのことに応用していくわけです。

「嫌だけど仕方ないから我慢する。そしてその我慢は本当に苦痛として感じられる」

という要素を放置して、体や心の奥底に毒をしまいこむようにすると、それは必ず、歪みになります。時間差でどこかに変調を来たします。
(大学受験(まで)で難関校を志望し(させられ?)た人は、本人は普通のつもりでも、いわゆるフツーの人から見たら動作やしゃべり方、考え方などが微妙におかしかったり、底知れぬ欲望を抱くようになったりと、つらいことに我慢したツケが必ずどこかに出ているのが残念というかでした。30代前半など若いころはまだ平気だった人が中年になってから発症したり、精神というよりは肉体のほうに出てしまったり、いろいろ大変ぽい模様)

自分の周囲を見渡すかぎり、で恐縮ですが、

一流の人……本当に好きなことをしているようにセルフ調教できている

1.5流以下の人……やむなく、嫌だと感じることをどこかに溜め込んで耐えて努力している

何流かわからないくらい下流のグダグダな人……おおっぴらに不平不満をぶちまけて嘆く


の傾向があります。

「うっせーな。何がセルフ調教だよ。嫌でもなんでも、いいから、やれ!」

で無理くりゴリ押しするほうが、安直でラクだし即効性?はあるのかもしれませんが、長い目で見たらそういうサボりは、よろしくないようですね。

「べつに一流になんかならなくていいんだよ、フツーのとこまで行けば。でも普通にしててフツーになれない人間は、どんなにつらくても耐えるしかねえんだよ。つらいことを楽しく好きになる作業なんか、やってるうちに周りから差をつけられて人生が終わっちまうよ!w」

そうですか、ではそのようにどうぞどうぞ。(笑顔)

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