「ジョブに囚われずに、キャリアとして」、今の仕事もヒーリングも有用に役立ててもらえそうな時は存分に使っていこう

ヒーリングセッションの感想いただきました。

創作関連の分野で身を立てよう……としていたものの、速攻で売れっ子ブレイク!となるわけではなく、自分の気持ちもだんだんわからなくなり?、惰性で活動を続けているようなところがあるけれど、どうなんだろうという相談でした。

ヒーリングの仕事にも興味ややりがいを感じるけど、それまで選んだ道はどうなるの?どうしよう?というような。。。

先月中ごろ、オリジナルセッションをしていただいた者です。

感想、というかお礼のメールになります。
もっと早く書きたかったのですが、熱の入りすぎるメールになりそうでなかなかお送りできませんでした。

あの時、私に「(霊的に)作家性もなければその仕組みの中にもいない」とはっきりおっしゃってくださいましたがそれが私にとってとても良かったようです。
「良かった!!あの時やめると決めたのは間違ってなかった!!」とものすごい安堵感に包まれて、一人でワーワー泣いていました。
在宅仕事で良かったです(汗

それと同時に「やめることにしたのを、周囲にも自分にも正しかったと証明しなければならない」と無意識ながら自分をがんじがらめにしていた事に気づきました
投稿をやめて実に8年経っていましたがなんつー長い間そんなことで・・・と我ながら愕然としました。

どうも「やめる」と意思表示したとき、家族からは「今更?なんで?」という反応だったり同業者からは「諦めたらそこで試合終了ですよ」とスラダンの安西先生のセリフをドヤ顔で言われるなど、私を買ってくれて言ってるわけでもない社交辞令の引きとめが(当時は全くスピリチュアルヒーリングをしていませんでしたがはっきりと分かります)ものすごく腑に落ちなかったみたいで、全くの違う仕事を見つけて今の仕事から完全に離れるか、同じボリュームの何かの道を見つけ出さなければならないと変に意地になったようです。
(私が無自覚に勝手に課してたらしい「不安定の中でしたいことを自覚する」というイニシエーションと関係あるかもしれませんが)

ジャンルが全然違いますが、編集者として働いていた人にズバッと言ってもらった、というのもポイントなのかなと思っています。

「ジョブに囚われずに、キャリアとして」、今の仕事もヒーリングも有用に役立ててもらえそうな時は存分に使っていこう、という気持ちになり今の仕事もセッション前に感じていたようなむやみやたらな辛さを感じなくなりました。

手帳を有効に使うなど、行動面でのアドバイスも有り難かったです。

残りの人生の時間、いかに有意義に、悔いなく生きるかやってみます。

本当にありがとうございました。

人は輪廻転生を通じて、霊的成長を実現していきます。が、人はこの世に生まれるとき、霊界での記憶などをすべて忘れるようにできているので、この世にいる間は、霊感や超感覚を通じてしか、自分の今回のテーマ、取り組むべき課題については意識することがありません。
(それでも漠然と、興味を持つものだったり、やってみて楽しいと思えるなど感覚的な反応を自覚することで、自分がやるのがふさわしいことについて考えたりは、誰でもするものです)

また、ある人がこの世に生まれるとき、その人が取り組むべきテーマと、その国や時代に成功しやすいトレンドが合致しているとも限りません。
具体的にどういうことかというと、たとえば20世紀後半の先進国では(日本も含めて)、勉強して偏差値の高い大学を出て一流企業と呼ばれる会社に就職して出世する、というのが、一般的な成功トレンドとされますよね。しかし、そういう時代に、ひたすら粘土をこねて土を知り、それを焼いてできる陶器について体感で学ぶ、陶芸の道を極めるというのがテーマになって生まれてくる人もいる、ということです。

みんなが現世的な知識で「お得、有利」と判断する進路と異なる道を進むというのは、勇気が要ります。また、自殺行為にも見えるわけです。失敗すれば、本当に、人生を棒にふることになるかもしれないリスクもあります。

たいてい、そこで怖気付いて、「夢を追うなんてバカバカしい。ガキじゃあるまいし、大人として〜」とかなんとか自分で自分を洗脳して、自分が今回、取り組むべきテーマと向き合うことから堂々と逃げる人がわりといますw

また逆に、スピリチュアルに理解ある人などだと「やっぱり自分の本音と向き合おう」といった姿勢を即座に却下しないため、世間的な成功トレンドから離れることを半ば「正しいのだろうな」と思いつつも、現世的な自分が「でも……」と躊躇う、という葛藤が起こりやすいようです。



やりたいこと、やるべきことについて考えるうえで、「人は生まれながらにして、取り組むのがふさわしいテーマを持っている」ということ自体は認めたとしても(スピリチュアルを学ぶ人はわりとそこは認めやすいですよね)、

一生に1つ、とは限らない

のが難しいところ。

小学校では小学校の勉強、中学校では中学校の勉強をするように、人にもステージに応じて取り組むことが複数あり、しかも順序があったりします。
同時並行でメインとサブといったように複数同時進行することになる場合もあります(子育てしながら働くとか、そうですよね)。
取り組むべきテーマがいつどう変わったか、それとも勘違いなのかの見極めがこれまた難しいw

しかも現代は、

職業(=プロ)か、そうでない(=アマチュア)か

という区分がわりとメジャーにあります。

いいトシした大人がプロとして食えてるわけでもないのにいつまでそんなことをやってんだ(=それは人生の無駄だ、怠慢だ、愚かなことだ)という考え方もあります。

でも霊的成長という観点から見た場合は、プロとしてやったかアマチュアとして趣味でやっていたかは、本質的には問題ではありません。
何をやり、何を感じ、何を学び、何を成し遂げたかが重要です。

それにプロとアマチュアという区分も非常に曖昧なもので、多くの会社員は給料をもらっているからプロではあるのだろうけれどもその仕事に対する姿勢から実力から、到底プロとは言えない人も大勢います。
一方、趣味ですよという体裁でありながらそのへんのプロとされる人よりすごい実力や本気度で取り組んでる人もいるし、そもそもプロという商業的基盤が成立していない分野となると、どこまで凄腕でもプロがいないということもありえます。

一時期、売れっ子スターで超一流のプロだった俳優やミュージシャンが落ちぶれて、もはやプロとはいえないといったライフスタイルになる場合もあります。

現世的なプロかアマチュアかに囚われすぎると、やりたいこともやれず、かといってカネに困らないかというとそうでもない、虻蜂取らずな人生になり、死ぬとき「なんだったんだ」となる可能性も。。。



このように、「この人生で何がしたいか、何をすべきか、何をしたいと自分は設定してきているのか、何をするのが望ましいのか」ということを、現世利益的な観点だけでなく、霊的な観点からもアドバイスできる超感覚ヒーラーというか、スピリチュアリストは、今後ますますニーズが高まっていくだろうなと個人的には思ってますし、そういうニーズを満たせるようでありたいと個人的には思っています。

感想ありがとうございました。

P.S

で、今後、おすすめのライフスタイルというものを1つ挙げろというなら

生きていくために必要なお金は不労所得ででもなんでも(自分の時間や労力をあまり割くことなく)チャチャッと手に入れて(=その仕組みを整備しておいて)、お金のことなど気にせず、本気で、これだと思うものをやる


というもの。ぶっ飛んで聞こえるかもしれませんが。

近年、企業で従業員の待遇が酷いといった話題が以前より増えている印象があります。
統計をとっていないので正確とはいえないかもしれないし、もっと昔のほうが女工哀史的に酷い環境だったよという反論もあるでしょう。
ただ私が言いたいのは「経営者側が、従業員を人として扱わなくなった、そもそも人として扱うなどということをしたいと思わなくなりつつある」ということ。要はロボットがやってくれさえすれば人なんて雇わないよ、ということです。
そういう世相で、そういう経営者のもとで、従業員として働き、待遇の酷さに嘆くなんて、そもそもその選択が愚かしいといえなくもない。

労働はロボットやコンピュータが担うというのは、ある意味ではとても合理的なやり方です。

人の一生は、本来なら望まない労働により時間も労力も幸せも豊かさも搾取されるためにあるわけではありません。

人間は、霊性を持った、魂を本質とする神の一部です。

その霊性を育み、神の一部として輝くのが、もともとつくられた目的。

労働は、その体験が霊的成長に結びつきうるという意味で、これまでの時期は、望ましかった・メジャーだったというだけ。
幼稚園児が砂場やジャングルジムで遊ぶことで体を鍛えたり頭脳を発達させたり他人とのコミュニケーションを学ぶように、効果や意義はあるかもしれないけれど、それをずっとずっと大人になってもやり続けるのはどうよ、という類のものだったりします。

これからの時代に生まれてくる魂は、良くも悪くも難易度が高い時代を選んでいるともいえ、単に労働に明け暮れるだけ明け暮れて「真面目に働いて立派だった」と言われて死んでいけばそれでOKという霊的成長段階でもありません。

それは今もなお生きて時代の移り変わりを迎える人間も同じこと。
(ここ数年、古き良きある時代を代表するような有名人がバタバタ死んでますが、それは寿命という形をとりつつ、その人たちが『この変わっていく時代にこの体のまま今回、続投するのはいいや』と深いところで同意して起きていることです)

中高年、特に老年とされる人には、大変な発想の転換が要求されていますね。

平和が大事と教わったかと思えば戦争。人殺しで勝つのが良いことだとされて、戦争が終わったら今度は復興だ経済成長だと言われてカネカネカネ。仕事で出世するのが何よりも良いことだといわれて。そうかと思えば出世したからなんだという風潮になり、ネットの普及で個人の活動の充実のほうが楽しく見え出した。どうなってんの?という。。。

政府といった行政側の視点からすれば、個々人がバラバラになりまとまりがなくなったり、自分たちの言うことに従わなくなるのはやばいよね、ということでハラハラするかもしれません。
そして事実、個々人が好き勝手なことをやらかしすぎてアナーキー状態になるのもいまどき、ださっ!!w

選挙とか納税とか法律の遵守、市民としての義務は問題なく果たしつつ(=国家秩序といった、日本国の基盤といったところはやばくないようにして)、個々人がそれぞれの活動をする。

もちろん、「どこまで容認する?」「もし〜〜なことにでもなったらどうするんだ」など、懸念はあるでしょう。
だからこそ、その難題にみんなで立ち向かっていくわけですw

そのなかでいろんな議論が起きて、すったもんだもあって、「これもあるよ」「いいやそれじゃだめだ」でわちゃわちゃして。
そうやって、生き残ったスタイルというか、流行ったものというかで、時代が造られていく。以前の時代にはなかったものを、生み出していく。

そういうものなんじゃないでしょうかね。

あと、好き勝手なことをするというととてもわがままなように見えますが、ある人がどこかの工場だかオフィスだかで真面目に働いている場合と、そうでない生き方をしている場合とを比べたとき、よほどの人材でなければ、大勢には影響ないのが実状ですw

だったら。

納得がいく時間の使い方をできて、お金にも困らず、反社会的勢力に染まることもなく、だらしない生き方をした人特有の堕落をするでもなく、まっとうに人として成長していける。

そういうライフスタイル、構築すればいいじゃん、と思いません?
(べつに『いいや!そうは思わない!』という人がいてもいいですけど)

あとね、人は

本当にお金の心配から解放されて豊かに幸せに自由になれば、(何もせずダラダラするのではなく)かえって勤勉に、人の役に立つと感じるような仕事に取り組む

のが大半だと思ってます。

切羽詰まった人のほうが、ケチケチするし、サボろうとするし、成長意欲もなく、学習を嫌がる。

私自身について言うと、もともと頭でやりたいと思った仕事ではなかったということもあり、また会社からやらされているという意識もあり(←自分から『雇ってください』といって入れてもらったくせになw)、会社員時代は単純に、パフォーマンス悪かったです。プロ失格w
ヒーラーとして独立するとき、不安材料は山ほどありましたが、そのなかで「そもそも自分は、会社員時代もスキがあれば手を抜いてサボってうやむやに流そうとしてたくせに、独立なんかしたら、ちゃんと仕事すんのか」というのが地味に大きかったです。
でもフタを開けてみれば、ガキがドラクエに熱中するみたいに全力で楽しんで仕事ができました。

この感覚は、会社員生活しか知らない人は、どんなに「きっと、こういう感じ?」とイメージしても、たぶん違うのでは。

(ただどうやら、独立はしても『そこまで好きでもないけど、稼げるらしいから』『他に方法もないし、仕方なく』という理由で独立した人だと代わり映えしないようです)

会社で働くのが絶対にダメかというとそうではなくて、

会社が世界一、楽しくて充実できる場所だから行く

という気持ちで社員がワクワクして働ける場所ならもちろん、とは思います。

もし(実状は別として)この本で書かれてるような会社であれば。
   ↓

(こういうふうに例を挙げると、『本は美化しすぎ!w 信じてるんですか? ここの従業員の知り合いが、実態はこんなによくないっていってましたよ?w』などといって全否定できた気になる人いるんですよね。『ような』とか『もし』をつけてるみたいに、本当にこういう場なら、ってことなわけですわ)

ここから先は、そもそも会社という存在の定義自体を、志ある経営者や従業員たちで変えていく時代といえそうです。
誰も喜んでないのに、慣習だか「だってそうしないとおまんま食えないから」だかのために要らぬ作業をするタイプの、義務と強制で人を苦しめてまで働かせるのがカイシャだ、というのは、古いトレンドになりそう。

モンスターズインクで述べられていることは、本当です。


人は恐怖を原動力にするよりも、喜びを原動力にするほうが、ずっと力を出せます。
ただし、喜びを原動力にさせるのは、大変難しい。恐怖で支配するほうが簡単です。


要はこれまでの施政者や経営者といった支配者的な立ち位置の人というのは、往々にして、ラクなほうに逃げてただけなんです。というか、全力を出したところで、人(=従業員、国民)に喜びを原動力に働いてもらうような仕組みづくりを成し遂げるだけの腕も力量も器もなかったというのが実際のところ。弱い者いじめはしないで!w

レッツごートゥざ難易度高い時代!!

なんちって。

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