シュタイナーの「カルマ論」集成

ご存知ですか。


カルマについては、スピリチュアルに相当、造詣が深い人でもかなり知識というかが曖昧で、

「他人に悪いことをしたらそれと同じだけ悪いことが自分の身に降りかかる」と思い込んで恐怖を感じてる人がほとんど

の印象。

でもこれ、

・悪いこと、って何? どういう基準で決まる?

・ある人にとっては「されたら嫌なこと」だとしても、それと同じことを「されて嬉しい」と思う人もいるので、他人にしたことと同じ出来事が自分に起こるのは本当にカルマとやらが成された?ことになるのか

・なんのために他人にした悪いことが自分に返ってくるという仕組みがあるのか

などなど、考えていくとわりとすぐ論理破綻というか、想像破綻(ちゃんとイメージしきれてなかったことが浮き彫りになる)するんですよね。

で、カルマを上記のように捉えてる人の価値観を紐解いていくと、

神様という絶対の偉い人がいて、
神様は理不尽上司的に気まぐれでワガママで好き嫌いが激しいので、
神様が「気に食わない」と感じた人間のことを罰する


という図式がほとんど。

……本当に、スピリチュアルを深淵から学びきった人ならではの価値観ですね、皆さんすごいすごい(with笑顔)。

一言でいえば、

すべては恐怖

の世界観、宇宙観。

なるほどねー。この世はひどい理不尽がたくさんある、つらい世界ですもんね。「すべては愛」なんて幻想に過ぎない、っつって?っつって?



カルマを理解するうえでのポイントをあえて挙げるならば、

システムである(法則的に万人に共通のルールで運用されている)

っていうことでしょうか。

もう一つとても重要だけどみんながいつの間にか勘違いしやすいポイントを挙げるとすると、

誰かが人を罰して懲らしめる仕組みではない

ってことね。

そしてこれがおそらく、カルマの本質としてブレさせないでおきたいのが(いろんな理由でわざーと偏見的に悪いイメージを持っていたくてたまらない人は特に頑固に認めたがらないけど)

カルマは人間を霊的に成長させる機会を公正に与えてくれる恩恵

だということ。

で。

上記3つは、スピリチュアルを特に学んでない人でカルマに悪いイメージを持っている人に喚起したい内容ですが、逆に今度は、スピリチュアルに傾倒していたり、さんざん学んで詳しいですよというつもり(←なんて言い草)の人に念のためお伝えしておきたいのが、

負のカルマは、本人が苦悩・苦痛を通して清算する

という点。

カルマを罰則のように捉えて、「罪を償う」という意味合いで、「他人を傷つけた分、私も傷ついて苦しまなければこの罪は赦されない」という考え方。
あれ、実は部分的には正しいんです。

「えっ?そんな!この世は愛。だから苦しまなくとも人間は霊的に成長できる、でしょう?もし、苦しまなければいけないと感じてるとしたら、それはあなたの考え方が真実とズレて、歪んで無知だからじゃないの?」

という反論をしたくてたまらない人もいるんでしょうね、近年のお気楽スピリチュアルに染まってる人などは。

たださきほど「部分的には正しい」と書きましたが、じゃあどこが訂正ポイントかというと、

・負のカルマを背負うのは「罪」ではない
・負のカルマを苦悩・苦痛を通じて清算するのは「罰」ではない

ということ。

カルマを、刑事裁判の法廷(での裁判官)のようにイメージしてはいけません。
「お前はこれこれこういう悪いことをしたので、懲役◯年!」
などと判決を言い渡すイメージをしたら、間違いです。
そういう、人間的な「判断」は、カルマにはありません。

あくまで、システム。

風呂で浴槽に浸かり、お湯を手で前方にバシャッと押し出したら、浴槽のへりにぶつかったお湯が自分のほうへ戻って来る。
そういう、物理法則のような働き方をするシステムなのです。

かといって、
「誰かを叩いたので、誰かから叩かれる。これがカルマだ」
となってしまうと、早計。それだと全然カルマを理解したことになりません。

ポイントは、「エネルギー的にカウントされる」ということなんです。
誰かを叩いた回数を、検査官などの存在がチェックしていて
「はい、あなたは人を◯回、叩いたので◯回、叩かれる運命です」
と違反切符を渡してくるといったことではないんです。

誰かを叩いたことで、そこにどんなエネルギーの変化が生じたのか、ということなんです。

そこには倫理や道徳での「人に暴力を振るうべきではない。のに、ふるったらダメだ」というような価値判断基準も介在しません。

「じゃあ、どうやってカウントするわけ?」

そう、そこを正確に読み解ける人間は、ほとんどいないのです。いたとしても、読み解く作業に膨大な時間がかかることでしょう。

現実は、人間が頭で意識している部分だけで成り立っているほどシンプルではないからです。
「えっ、そんなエネルギーの介入が、この現実の成立に絡んでたの?」
と、予想だにもしてないような複雑な仕組みが合わさって、物理現実というのは成立しているものなので。

じゃあカルマを学びきることなんて不可能だから、一切学ばないほうがいいのではないか……という考え方もあるでしょう。
それも自由ですが、学んだなりにわかってくることはたくさんあります。冒頭に挙げた本の最初の1冊目「いかにして前世を認識するか」のしかも前半1/3くらいだけでも、目からウロコ放題のはず。

カルマについてこんなブログ記事では書ききれないし、私自身、カルマを詳細にありとあらゆる事象で、この人間の脳で読み解いて書くなり喋るなりして顕せと言われたらいろんな意味で不可能なので、このへんにします。

が、最後に1つだけどうしても書いておきたいのは、そもそもなぜカルマがあるのかということ。カルマのシステムが何を基準にして運行しているかということ。

その源泉は、

この宇宙は「因果関係」ではなく、「照応関係」で成り立っているから

で説明できます。(っつっても、ほんとに詳細に説明しようと思うと何十年かかっても終わるか終わらないか、みたいな道のりでしょうが)

この世とされるバーチャル空間には、あたかも同じ時空間を真実の「場」として共有しているかに見える有様で、現在でいうと60~70億人とされる人間たちが生きています。

が、ポイントは、「バーチャル」ということ。

ある人は、実はその人1人しか住んでいない宇宙(←ここでいう宇宙は、地球の外側に物理的に広がっている空間のことではありません。エネルギーが事象として現出している場のことを指します)にいる。その人が、創造主(源)と呼ばれるエネルギーとつながっており、意図に応じて現実が具現化していく……というのが真実です。

それを、法則各種がバーチャル空間を創ることで、あたかも同じ空間に一緒に複数人の人がいるかのような仕組みになっているのです。

そして、AさんとBさんが会う、といったとき、Aさんの宇宙には、Bさんというエンティティが放つエネルギーをAさんが認識したことでイメージしたBさん(であるかのような模像)をAさんが創っています。厳密には、「私はBさんをこう認識する」というAさんの意図が創造主を介してマネキン的に?現実化されます。
AさんがBさんを殴ると、それは厳密には、「Aさんの宇宙のなかに成立している、Aさんのエネルギーで構成されるBさんという模像を殴ったことになる」といえます。

つまりAさんは、自分という宇宙の一部を傷つけたわけです。
やけどをした後は、冷水(しかも流水)で、やけどをしたときと同じくらい痛くても冷やし続けることで傷口が熱をもたず治るように、自分で傷つけた宇宙の一部の回復には、そのプロセスとしての苦悩・苦痛が発生するという次第。

要は、
「おい、A!お前は悪いことをしたな。Bを傷つけた罰だ!Cさんから殴られろ!」
と判決を下して刑罰を執行する人がいるということではないのです。

わかるかなァ、わっかんねぇだろうなァ(←この元ネタ自体、もうわかる人いないだろうなぁ)。

クソリプ「違うとおもいます。それはあなたの意見に過ぎない。真実はそうじゃない。え?教えろ?……ふふっ、あなたはまだ真実を明かされるにふさわしいところまで霊的に到達していない。もっと努力なさい。いつかしかるべき段階まで成長できたら、そのときに教えてあげるわ」

P.S

カルマの仕組みがわかると、例えば人を殴る行為自体がカルマなのではなくて、人を殴ったときに生じるエネルギーの変化とそれによる反作用(浴槽内でお湯を押し出すと返ってくるようなアレ)がカルマなのだとすれば、

エネルギーの動きと揺り戻しというカルマの動きを生じさせないで行為だけ行うやり方がある

ということがわかると思います。少なくとも理論上は。

それをインドなどヨガの思想では

クリヤ

と呼びます。

カルマを生じさせることなく、人をぶん殴れたら素敵だと思いませんか(←そっちかよw)。

いや、殴るとはいかなくても、何事もクリヤで行えたら、どうでしょう。

これ、天界のマスターの魂を持った人がこの世で生きるうえでは特に重要です。

なぜかというと、いちいちこの世で人間の姿で行動したことがカルマになっていくと、そのツケを払うことになり、面倒というかな場合があるからです。

カルマを生じさせないということは一見良さそうですが、エネルギーを動かさないため、相手からするとエネルギー的刺激がありません。なので他人に与える印象がなく、仮に何時間がっつり話し込もうと殴り合いの喧嘩をしようと、相手は自分のことを覚えていてはくれないのです。

人からの評価が欲しい人は、クリヤで動くと、どんなに大きな成果を上げたところで、人間の感覚で把握できるインパクトは0。
全然褒められることはないでしょう。名前が残ることもありません。

人間として立身出世したければ、カルマで動かないと、ですね。

マスターとして貢献したいのか、人間として現世利益を得たいのか。

カルマとクリヤの使い分けにあたっては、まずこの点を自分が決めないと。

そもそもクリヤで動けるようになる、ってすごい難易度かもですけどw
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