自分で自分を肯定できず、また人とも仲良くできないから、優劣や勝ち負けを持ちだして見下して、自分だけいい気になっている

ヒーリングセッションの感想いただきました。
記事タイトルにさせていただいたフレーズ読んだとき、あまりに言い得て妙な文章表現だったので思わず吹き出してしまいました。

お世話になります。

先日はセッションありがとうございました。
長くなりますが、感想&セッション後に思ったことをお送りさせてください。

今回のセッションでは、コマンドの発行よりも掘り下げがメインでしたが、自分の思考の歪みっぷりを納得させられる素晴らしいセッションでした。
usamimiさんからの押し付けはなく、あくまで自分で主体的に考えることを大切にしていただいたので、否応なく納得させられました。
まさにセッションはクライアントも参加する共同創造の場ですね。

また、魂のブループリントを自分でリーディングしてみましょうということで、さらっとリーディング能力をダウンロードしていただきましたが、「これ、usamimiさんのオリジナルメニューでは?」と思って気前の良さに驚きでした。
これから大切に使っていきたいと思います。ありがとうございます。

今回のセッションでは、「『私はアーリマンだ』という信念がある」「いわゆる闇につい傾いてしまう」という内容で相談して、それが東京大学の呪いに由来することを指摘していただきました。
そして、呪いがまだ解ける段階にはなく、解けないなりにどうしていくのかを考えるセッションとなりました。

セッション後、自分の嫌な部分がどんどん見えてきて精神的にダウンしていましたが、セルフワークしたりなんだりでようやく立ち直りました。

そうやってワークしていく中で、様々なテーマが出てきました。

・選民思想(過去生で秘密結社にいた経験も関係あるようです)
・エリート主義(非エリートを見下し差別する)
・すべてを優劣や勝ち負けで捉える
・世界征服願望(自分の価値観で世界を染め上げようとする)
・自由意志の否定

といったものばかりで、あまりのコテコテさに自分で引くほどです。

こうやって見てきた後なので、ブログの「T京大学の呪い」で書かれている東京大学関係者の人間像には、「身の周りには確かにこういう人ばかりだなあ」と思わされると同時に、自分も当てはまるところが多く、思わず笑ってしまいました。

呪われた結果そうなるのか、それとも呪われる前からそうなる要因があったのかと言われれば、少なくとも自分の場合は呪われる前から要因があったように思えます。

ワークをしていくと、大抵は、

・両親に承認してもらえない
・地元のコミュニティと仲良くできない
・同級生たちと仲良くできない
・他人の素晴らしさを素直に認められない
・自分(の意見や境界線など)を尊重してもらえないと思っている

といったところが見えてきます。

自分で自分を肯定できず、また人とも仲良くできないから、優劣や勝ち負けを持ちだして見下して、自分だけいい気になっている、というような流れです。
これでは呪いにとってはいいカモですね。

現時点では、まだ呪いを解くだけの要件が満たされていないようです。
今は、関連するイシューをチクチクとワークしつつ、創造主とチャネリングしながら要件を満たすための整備をしています。
「比較や競争を持ち込まず、また僻みを持つこともなく、自分や他人の素晴らしさをそのまま認め、自分や他人とうまく付き合っていく」ということが大きなテーマとして見えています。

創造主からは「争わない在り方と親切心を身につけるのが現時点でのポイント」と言われています。
usamimiさんも仰っていたように、呪いの解除のためには、ビリーフワークだけではなく一定の美徳を身につけることが必要なようです。

また、感染者と非感染者の差分を取ってパターンの検出をしたり、法則やマスターたちと対話してアイディアを借りたりと、エネルギー的な対抗策を少しずつ探っています。
東京大学出身の自分にとっては「自分ごと」のテーマなので、ちょっとしたライフワークのようなものになりそうです。

いまは、こうやってひとつずつワークしていく過程自体が大きな恩恵だと思っています。
歪んだ部分を直視するのは気持ちよくないこともありますが、ひとつ修正するたびに自分がアップデートされる感じがあります。また、エリート特有のイシューもつかめてきましたし、呪いに対抗するためのあれこれを学びつつあります。
ある意味、呪いがすぐに解けないこともひとつの恩恵ですね(もちろん呪いからは解放されたいですが……)。

仮にさくっと呪いを解いてしまったら、こういった学びはなかったと思います。
学びの機会を奪わず、むしろそれをサポートしていただいたことに、とても感謝しています。
さくっと呪いを取るだけが癒しではないのだということを考えさせられました。

この度は本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

スピリチュアルな技というのは、それをかける人が一定の要件を満たしていないと効かないという原則があります。

その要件にはいろいろあり、たとえば瞑想状態が甘い(中途半端)というものもありますし、技をかける・受ける人のいずれかあるいは両方がその奇跡が起きることを信じていない場合もあります。他人の自由意思が創造している現実に手を加えようとしてもできないといった宇宙の摂理上のNGもあります。

が、かつては常識だったのに最近の「お手頃スピリチュアル!誰でも簡単に奇跡を起こせます♪」的な謳い文句のスピリチュアルビジネスが蔓延してしまったためか、

霊能力・超能力で奇跡とされる事象(=普通の法則に従って生きている人間からしたら起こり得ない、ありえないこと)を起こすには、その本人が特別な力を使うに価するだけの美徳が必要

ということが、忘れ去られすぎですよね。

昔はまさにこの点をみんなが知っていたからこそ、必死こいて修行に励んでいたわけですね。
また、教祖(グル)と呼ばれる指導者などが適切に、弟子など個々人それぞれの霊的成長度合いや獲得した美徳、あるいは悪徳や煩悩とされる概念(のエネルギーを持ち、生み出したり、影響を受ける状態)を払拭できたかどうかを見極める目を持っていました。

霊能力の中には、適切な状態に到達していない術者がかけると、(その術をかけてる途中で正攻法が通用しない瞬間瞬間にズルをするなどして技が歪んだ状態で成立して思わぬ悪影響が出るなどして)危険だということもあり、霊能力を使った高度な技というのは秘伝とされたりしていたわけです。

なおこれは、◯◯ヒーリングと名前のついた特定の技法に特有というような限定的なルールではなく、普遍的な真理です。
(最近、シータヒーリングで、かける人の美徳の有無により同じコマンドでも、しかるべき瞑想状態に入ってコマンドしても、効く人と効かない人が出てくるということが明らかにされましたが、それはべつにシータヒーリングに限ったことではありません)

現代のスピリチュアルでは、そのことがあまりにも忘れ去られています。

まだ、アチューンメントで継承されるエネルギープログラムを起動するといった、術者本人の自力でないやり方であれば、美徳がなくても、伝授されたエネルギープログラムとしてのアチューンメントエネルギー(放射システム)によって、ヒーリングエネルギーを流すなどはできるでしょう。
(レイキをはじめ、いわゆる高次元エネルギーアチューンメントとされるものはだいたいこのカテゴリ)

霊体にお願いしたり召喚したりして、その霊体に超能力を使ってもらう・使わせるという場合も、術者本人が技を使うわけではないので、関係ありません(召喚という作業に必要な美徳さえ揃っていれば、呼び出した霊体が使う技を実現するのに必要な美徳を術者がすべて備えている必要はありません)。

でも、自力でやる(ただしナチュラルサイキックでやるなら除外。そうではなくて、大いなる源(ソース)と呼ばれるこの世の根源に働きかけるプロセスを経て実現するやり方)となると、美徳は必須です。

(ただ同時に、いわゆる自力で直接、霊能力や超能力を使うというのは、少なくなった印象がありますが。
いろいろな情報が氾濫して、唯物論的な科学がものをいい、金勘定をはじめとする損得で物事を天秤にかけるようになるといった時代の変化が、多くの人々から「純粋な意図」という、大いなる源を介して奇跡を実現するのに必須となる美徳を失わせてしまったため、そもそも自力での超能力が使える人というのが以前より少なくなっているのかもしれません)

この感想をくださった方の文面にもありますが、たとえば呪いを解除するといった技にしても、術者に、呪い(しかも種類は無数にあります)を解く技を使う人が備えているべき美徳がすべてそろっていることが必須要件となります。

ただ単に、瞑想を通じて大いなる源とされるエネルギーにアクセスする方法を習得できたというだけでは、(仮に瞑想状態がバッチリで、アクセス自体は完璧だったとしても)その先でコケてしまうのです。呪いを解くように意図したところで、美徳が揃っていないために奇跡は起こりません。

ヒーラーが、単にサイキッカー(超能力者)として優秀でありさえすればいいわけではない最たる理由が、ここにあります。

かける技が高度というか、奇跡とされる度合いが高くなればなるほど、術者にはさまざまな美徳が、高い水準のクオリティ(←美徳のクオリティは何で測られるのか、そもそも美徳にクオリティがあるとはどういうことなのかはここでは割愛します)で求められます。

単にヒーリング講座に出て、奇跡の起こし方を習って、お作法どおり形式的にそのやり方をできるようになっただけでは、奇跡は起こせない

のです。
(さぁ、ここで上記の太字部分を認めたくない(なぜなら美徳を持ってないと思えて後ろめたいし、美徳を持っている人より自分が霊的に劣っているのかということを認めたくない)人が『嘘だ!そんなことない!べつに美徳がなくても奇跡は起こせるよ?知らないんだ?w たいして霊界の仕組みに詳しくないくせに、デカい口叩いてんじゃねーよ(with追い詰められた必死の形相)』的になんとしてでも反論したくなったりするんでしょうか。いや、しねえか)

美徳を兼ね備えた、人徳的に優れた人間でないと、効かないんですよね。。。


でも、今どき美徳なんて磨きますぅ?本気(マジ)でェ?バカらしくね?ていうかもっと上手に金を稼いでやりたいこと実現するビジネス能力を磨いて、欲しいものを手に入れたほうが全然いいんじゃないスか?
だいたい美徳の習得なんて、どうやるの?何年かかるの?費用対効果は?奇跡なんか起こせるようになったところで、人生を棒に振ったんじゃ意味なくね?
そもそも奇跡なんか起こさなくても済むように、リスクヘッジして保険かけて防災マニュアル暗記して、うまいこと安全に立ち回ればいいんじゃないの?
なんでそんな奇跡なんか起こしたいの?

とかとか?それがナウいヤングの思考パターン?


あ、話が脱線しましたが東京大学の呪い解きがむばつてくださーい!(withテレビのお天気お姉さん的な様式美ふうの笑顔+手振り)
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