からだの声を聞きすぎない

ヒィ! リズ・ブルボー大先生ごめんなさい(本音0)。



具体的に体のどこのどんな声を聞くかによってニュアンス千変万化しますが、体の部位そのものの声を聞くならまだしも、脳の声を聞こうとすると、場合により

脳は騙そうとしてくる

ので、注意が必要です。

たとえば食欲。
もっと食べたいと思うということは、体がそれを欲しているということ……といってバクバク食べまくるとどうなるか。

たとえば睡眠欲。
もっと寝ていたいと思うということは、体はそれを欲しているということ……といってひたすら寝続ける日々を送るとどうなるか。


食欲についていうと、野生動物のように満腹中枢が完璧に機能している状態でなら、脳が命じるままに食べても問題ないかもしれません。
ですが人間の場合は、脳の中でもどの部分がどんな経緯で「食べたい」といったかにより、食べるべきかどうかが変わってきます。テレビでピザのCMを見たので食べたくなった、というような経緯で起きる食欲は、明らかに「(本来の)体の声」からは逸脱しています。
また、あらかじめ肥満である体型で何年も過ごした人というのは、「これが普通」と感じる食事量そのものが、その肥満体を基本とした分量になっています。それより少ない量だと不満を感じます。

睡眠については、体内時計と呼ばれるリズムが1日25時間という話があります。時計を見ない環境で過ごすと、1時間ずつズレていき、やがて昼夜逆転するほどになってしまうのです。なので毎日同じ時刻に起きるというのは、それ自体が一種のストレスとしてつきまといます。


ほか、運動の部活やトレーニングをしたことがある人はわかると思いますが、デッドエンドとセカンドウィンドという概念があります。

もうダメ!死んじゃう!……と思い、実際に体が苦しくなるのがデッドエンド。

でもこれ、嘘なんです。まだ余力があるんです。
でももし、本当にダメなところまで運動を続けていざダメになったとき、どうすることもできないと、死んでしまう。
なので、あらかじめ、まだ大丈夫なところでヤバくさせて、休息をとらせるよう仕向けるのです。

なので、デッドエンドを無視して、すんごくきつくても苦しくても運動を続けると、セカンドウィンドといって、急に楽になり、楽しくなる段階が訪れます。
これは脳が、いったんデッドエンドを出したものの、それでも運動をやめないとなると
「まだ運動し続けなきゃいけないプチ緊急事態なのか。じゃあ、苦しませててもしゃあねえな」
といって、楽に動けるように指令を変えるのです(もちろん、それにより分泌されるホルモンも変わり、そのホルモンがもたらす肉体の反応各種も変わります)。

で、セカンドウィンドに突入するような、ある時点での体力の限界を超える必要があるぞという運動経験を脳が学習すると、
「次からこのくらいの負荷の運動にもっとラクに耐えられるように」
と、筋力や心肺機能などを向上させるよう、指令を出すのです。
この、からだの組み替えバージョンアップが、運動後の休息数日間かけて行われます。
で、次にまた運動すると、前よりラクにできる、と。
そうやって、ある時点ごとの限界を打ち破っていくことで、スポーツ選手などは強くなっていくわけですね。

なので、からだの声を聞くときには、脳が余力を残した状態でサボらせるために出している声なのかどうかも見極める必要があります。

ありきたりで手垢にまみれまくった表現ですが

ラクなほうに逃げるとロクなことがない

のです。

ラクなほうを採れば採るほど、からだはなまっていき、弱っていきます。

「だって、それでいいんでしょ? つらいよ、と信号を出したら、実際に休んだもんねぇ? 休めたわけでしょう? 休める境遇なわけでしょう? なら、いいじゃない。あ、そうだ。こんなラクな生活ができる境遇なら、ここまでの筋力は要らないよね。ちょっと筋肉のタンパク質、分解して別のところに回すわ」

などと、脳によっていいように予算削減されていってしまうのです。

まさに、脳との交渉

いわゆる身体感覚で感じるつらさや苦労というのは、厳密にいうと、脳の声の割合が高く、本当の意味で、からだの声を聞いたうちには、入りません。

もし、からだの声を聞くというなら、脳の介入のない、肉体の部位ごとの意識やエネルギー状態に超感覚的にアクセスして聞くのが有効ではないでしょうか。

また、仮に、脳の介入のないからだの声そのものを聞けたとしても、部位ごとにからだは好き勝手なことを言います。

すべての部位の言うことを同時に満たす生き方をしようとすると、破綻しますw

結局は、からだの声というのは、意識人格として顕在意識として指揮官の役割をとっている、起きているときの人格で考えて、意思決定して、行動するしないをしていくしか、ないんですね。

会社や、国の政治と同じです。
いくら、みんなの声を聞くといっても、最終的には、経営者が苦渋の決断をするしかない場合もあるのです。


スピリチュアルに傾倒する人には、あらかじめそれまでの生活で疲れて傷ついている人が多いものですが(苦笑)、だからといって今度は、気力体力が常に満タンで、ほんのわずかな傷も疲労もない状態を維持しないといけない……といった方向に舵取りを切りすぎてしまう傾向があります。
それこそ、サプリヲタクになったり、ほんの些細なストレスを大事(おおごと)のように捉えてすぐに「癒さなきゃ」と慌てたり、ほんの少しでも疲労や傷ついたら「もうこのままでは癒えるまで何もできない」と決め込んだり。

なんのために生きてるの? と聞きたくなる勢い。

完全に癒えた状態をひたすらキープすることだけが、人生の目的であり重要なテーマなら、そうしてもいいのかもしれませんが。。。

どうなんでしょうね。


開腹手術をした次の日から、患者を病院内でグルグル何時間も歩かせるリハビリをする病院や医師がいます。
激痛に耐えて顔を歪ませながら、お腹を開いた次の日に歩かせるなんて、と非常識にも感じます。
ただ、そういうリハビリをした患者のほうが、安静にしていた患者よりも回復が早いという症例があります。

骨折もそう。
腕の骨が折れてギプスをはめたとして、まだ骨が完全には回復していない状態から、手の指を動かす運動をすると、安静にしている人より早く回復したりします。

デッドエンドとセカンドウィンドにも通じる不思議現象ですが、この世は基本的に弱肉強食で、特に肉体は動物由来の「食う・食われる」が基本となっています。
傷ついた生き物は、同情や憐みの対象ではなく、その生き物を食いたい生き物たちからすれば「ラッキー♪」なんです。
弱って傷ついてる場合じゃないんです。というか、どんなに弱って傷ついていようが、それでも襲ってくる脅威にもし、負けたらオシマイ。食われるなどして、死にます。
からだというのは、そういう仕組みの中でいかに生き延びるかをベースに設計されています。
なので、傷ついたら安静にするというやり方が功を奏する局面もある一方で、弱っているからこそあえてつらい思いをする、傷ついて弱っているにもかかわらず運動をするなどして「もっと強くならないと、早く回復しないと」と脳に伝え、そうさせる……といった動きもあるのです。

ドラクエなどゲームをしている人はわかると思うのですが、常に常に体力(HP)が満タンでなければいけないということはありません。

死なない程度に健康で、毒やマヒなどの異常ステータスがなければ、次にモンスターに遭遇しても、そのまま戦闘に突入できます。
回復するとしたら、いよいよヤバいよというところまで体力を削られた後だったりして。
(回復魔法に使うMPや、薬草など持ち物の在庫数のこともありますからね。バカスカ回復しまくるというのは、賢明な戦闘戦略ではありません)

もちろん、「ここは本当に休まないとまずい」という場合もあるので、そこが大変なんですが。
(だからこそ、医師などそれを診断できるとされる立場の人たちがおり、そういう人に協力を仰ぐのが大切なのですね)


と、「じゃあどうすればいいの?」という一言での安直な回答が出ないような文章で読み手を無駄に混乱させたところで。



ちょっと追い討ちかけてみたw

ナハナハw (←ナハナハじゃねーよ←沖縄に那覇って都市が(ry))

P.S

ていうかこの本のアマゾン上の内容紹介の文面すごい
   ↓
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