モラトリアム賞味期限

「もっとポジティブになりたいって、わかってはいるんですけどォ、でもォ、でもォ……」

スピリチュアルに傾倒する人に顕著ですが、そうではない人たちの間でも、煮え切らない態度で「わかっちゃいるけど」何かに取り組んだり覚悟を決めて決断したり努力を継続して向上させていったり、理想とする在り方に近づくべく行動を起こしていくことから逃げ回る人がいます。

ほんとに弱くて怯えて、失敗や、他人からの非難を恐れて思い切ったアクションを起こせずにいる人もいます。

でもそれ以上に、ある程度、若い年齢の人だと、実はこのウダウダこそが、自分の持ちネタというか、アピール材料になっている場合があります。というか、「私はこのテの人間。類友カモン!友達同士、一緒にウダウダしましょう」となっている人がけっこういます。

それを何年も、人によっては十何年も続けていたりします。

なぜそんなにウダウダするかというと、どんなに「私はダメだから」系の後ろ向き発言を連発しようと、心の奥底には

「私は特別なので、そんじょそこらの奴らとは違う、ワンランク上の特別な成功を約束されている。どんなにウダウダしていようとも、いつか必ず何もかもがうまくいく恵まれた、幸運な運命を与えられている」

「他のくだらない連中がこぼす愚痴と異なり、私が言う愚痴や悩みは、価値がある内容である。ありがたいお話である。私の話を聞くことは、相手にとって重要だ」

「私は魅力的なので、愚痴のような後ろ向きなことを話してもなお、他の人間は私を大切にしてくれて、私のために尽くしてくれる。私はそういう待遇をされるにふさわしい特別な存在だ」


という優越感と不遜な傲慢さに満ちた思い込みがあるからです。

要は、余裕ぶっこいてふざけて、贅沢に時間を潰せていることで高慢な愉悦に浸ってるんです。

内心、自分がキレイだと思ってる人間ほど「私ってブスだから」といじけてみせるのと同じです。ほんとにブスだと思っていたら、そんなブスでもいかに異性をゲットして子孫を残すか、迷っている場合ではないはずです。

会社の仕事などでもそう。
「贅沢を言える立場でもないのだし、とにかくどうにか得られた境遇で多少以上の不満があっても、文句を言ってる場合じゃない。ましてや会社なんて、頑張れば必ず報われるというものでもないのだし、とにかくやれるだけのことは、やっておかないと」
くらいにネガティブというか、自分を過信しない人のほうが、実績を積み、真面目な素行を周囲から評価され、なんだかんだいって出世コースに順当に乗ったりします。

そして。

時間は流れていきます。

やがて、自分自身が
「いつまでウダウダしてんだ。そんなこと何年も続けて、こんなトシになって何も手に入ってない」
と気づくこともありますし、

本人が若いつもりでも、周りはもう、そういうふうには見てくれず、扱いが変わってくることで自覚せざるを得ないこともあります。

延々と気付かずにウダウダを続ける人もいます。

いずれにせよ、最終的には、どんなに悲惨な境遇になろうとも

「はいはい可哀想。でもあとは死ぬだけだからね。うんうん、しゃあない。来世頑張りな?」

で流されておしまい。誰も自分に期待なんてしてくれないし、チャンスを与えてくれるはずもない。

「もう死にたい、死ぬしかない」

なんていう悲しみも絶望も悔しさも、もはや理不尽のうちに入らない。だってほんとに死んじゃうわけだし。

お疲れ様でした。

せっかくの若い年代の時間を、よりによってネガティブうだうだモラトリアムに費やしたんだもの。それは、あなたがしたくて選択した、第一希望だもの。

夢が叶って本望ですよね?

そういうふうに生きてると最期はこうなるって、わかっててやったわけでしょう?
わかってなかったと釈明しようとも、誰も耳を貸しませんよ。自己責任。しゃあない。



私が10代の頃から知っている、年上の知人たちにも、そういう人は何人もいました。

で、40代なり50代なり、人によっては60代になり、どうなるかというと、だいたい以下の3パターンに分かれます。

・一切、夢も愚痴も言わない、現実に生きる人間になる
 (かつてのウダウダしてた自分を『若くてバカだった』と断じて終了)
 (ただし納得してそうなったならまだしも、そうでないと機械のようで痛々しい)
 (自分が夢や愚痴といった心の動きを封印した分、他人にも冷たい傾向)

・さんざん努力したのにうまくいかなかったことを心底悲しむ、底辺孤独貧乏に甘んじる
 (以前のような、内心は余裕あって贅沢に自虐おふざけしてる愚痴ではなくなる)
 (ほんとにうまくいってない境遇やそれに凹んでる心境を恥じて、隠すようになる)
 (誰も聞いてないし興味もないのに、『私がこんなパッとしない人生を歩まざるを
  得なかったのは、〜〜が悪かったから。私のせいじゃない!』と釈明し続ける人もいる)
 (若い人に『いまそうやって余裕ぶってると、あとで痛い目を見るよ!』と忠告したり
  うまくいっている人に『いまのうちだけだぞ!?いつ破滅するか』とイヤミを言う
  嫌われ者まっしぐら。しかも今度は、嫌われ者になってでもそういう耳が痛い忠告を
  他人にしてあげることに使命感を感じるようになったりもする)

・神頼み的に、宗教的に、前向きな考え方にしがみつき、すがりつく無力な信者化
 (かつてのような『本気でやればどうにかなるかも』という思いがコミの愚痴ではなく
  『どうせ本気でやってもできないのはわかってるけど、諦めるのはつらすぎるから』
  という切実な理由で、絶望を認めたらほんとに自殺しかねないからこそ、形式的に
  力のない笑顔で、お題目のように、『夢は叶う、幸せになれる』みたいな思想を
  唱えて、かろうじて生きる気力にしている)

勉強になります。

ちなみに、どのパターンに落ち着くかはそれぞれですが、ウダウダと余裕ぶっこいてネガティブまみれ遊びをする人には共通点があります。

それは

ちょい美貌

(本人は、自分自身の外見を『すごい美人(orイケメン)』でモテると思っている)


ということです。

そして同時に、

美貌の人間は、他の人間より優越する

という思い込みを持っています。

だからふざけて、甘えてられるわけです。

それが真実ならいいんでしょうけどね。

「これでも私は昔、綺麗だったのよ?」

と、見るも無残に劣化したババァがほざいたところで、誰が本気で信じるか、尊敬するか。

いや、みんなみんな、してくれると思いますよ?

美人は得する!!
どうか身をもって証明してみてくださいな。
美人でありさえすれば、どんなにふざけたネガティブまみれでも、こぉ〜んなに他の連中より優遇されてウハウハなのよ〜ん、ということを。

意見や主張、心の中では満たされてるとかそういうのじゃなくて、現実的境遇というかで、説得力ばっちりの物理的要素満載で、ぜひオネガイシマース♪
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