絶対服従(=自由ゼロ)という安堵

人類の歴史は、特に野蛮で非文明的な時代であればあるほど、動物的な強さがモノを言うヒエラルキーによる、支配する・されるの占める度合いが高くなる傾向にあります。

でもって、支配する側とされる側のどちらが多いかというと、される側のほうが多数派。そして人は自由意思を持っているため、それを抑制されるとストレスを感じることがあります。

一言でいうと、だいたいの人は、思い通りにならない人生の理不尽や苦労に耐え、嘆きや悲しみ、怒りを感じて生きてきています。先祖代々にまで遡って。

なので、当然ながら「支配される(=自由が抑制される)」ことに恐怖や怒り、拒絶反応を示します。嫌なことだと思っています。頭では。

が。

たとえばよくありませんか?こういう話。
会社が嫌で、辞めてしまった。いざ自由の身。なんでもできる!と思ったのもつかの間、丸1日、時間が使えるとなると、何をしていいのかわからない。何もしたくない。会社に勤めていれば、嫌々でもなんでもこなせていただけの作業量が、こなせない。とても大変に感じる。それが何ヶ月も続くと、もはや廃人。絵に描いたようなダメニートになり、このままじゃいけないと一念発起し……得ている自由を最大限に活かす人生基盤を作り始めるかと思いきや、なんとまた会社に就職してしまう。でもってそのことを持ってして「ダメ人間から立ち直った」と捉えて喜んでいる。また仕事に復帰すると、月曜日を憂鬱に感じるなど、やっぱり仕事が嫌で、こんな生き方どうなんだろうと思いつつ、よほどでないと辞めない。

「いいえ、ないです」

えーと、「ある」前提で話を進めますね。

どうして人間がこういう反応を、あるある的にしてしまうかというと、そもそも今回の人類は奴隷として設計され誕生していることが根本にあります。

奴隷として、隷属できる主人を探しているのです。
(奴隷や主人というとイメージが過度に悪くなるかもしれませんが、『信頼できる政治家を待望する民衆』『大スターの誕生を夢見て、これだ!と感じるスターが登場したらとにかくその人を熱狂的に支持するファン』など言葉を変えると、そこに実は人間生来の奴隷性が根本にあってその現象が成立してることをなんとなく納得してもらえたりしませんかね)

これをもっとわかりやすく体現している動物が、犬です。
そもそも動物は、この世にある美徳など、ある表象・象徴としてのエネルギー波形を具現化した生き物です。美徳や表象の数だけ、またその配合バランスのバリエーションの分だけ、鳥類とか爬虫類といった分類、さらに「◯◯科、◯◯目」といった分類で識別される種類の動物がいるわけです。

犬は、狼(『誇り』『主体性』『一貫性』『責任感』といった美徳を体現しています)を人間が改良(改悪?)して作った種類の動物で、改良の度合いが高くなればなるほど、狼寄りの美徳が失われ、歪み、「だらしなさ」「みっともなさ」「侮られるようなワキの甘さ」「優柔不断」「その場かぎりの衝動性」といった想念エネルギーを体現するようになっていっています。
なかでもここで注目したいのが「奴隷性」。
面白い?ことに、犬は、頭では?自由を求め、自分がヒエラルキーの頂点に立ちたいといって戦いを挑んだり、自分より下だと感じる生き物(人間の家庭で飼われてる犬が、その家の主人などには従順なのに、末っ子など人間間のヒエラルキーで下にいるとされる立場の人を侮って反抗的な態度をとるのはよくある話ですよね)を小馬鹿にして偉そうな態度をとります。
が、本当に自由を手にし、ヒエラルキーの頂点に立ってしまうと、犬は不安になります。自分が求めていたのが自由でも権力でもなかったので、それらが手に入っても、嬉しくないのです。むしろ、自分が本当に欲するものを失ってしまったため、落ち着かなくなり、問題行動を起こすようになったりします。
(人間に飼われている犬で、飼い主が躾に失敗して暴犬と化してしまった犬などがそうです)
なんと、自由と権力を頭で求めている犬がその実、本当に求めていたのは

安心できる「秩序」を自分に与えてくれる主人への絶対服従という隷属


だからです。

いわば

ちゃんと奴隷でいる。(立派な主人に完全に支配されているという)奴隷らしくいられることこそ、理想

となっているんです。

この性質は、部分的に人間にも組み込まれています。
(いや、犬の性質が人間に組み込まれたというよりは、犬に見られるこうした図式が、人間にも見られますよという意味)

人間は他の動物と霊的な成り立ちが決定的に違う(他の動物にはない、とある霊的エネルギーを持っている)こともあり、犬など人間以外の動物とまったく同じに論じることはできないのですが、似た性質があるのは確かです。

人間の場合は、本当に、ありとあらゆる面で自由意思を制限されてしまうと、それは本当には望んでいないことなので、発狂したりします。
適度に、自由意思の発露(人権など)が許され、実際に発揮できている状態にいるのが望ましいです。
でもここで曲者なのが「適度に」という点。

あまりスピリチュアルな分野でも論じられることがないですが、例えば肉体に対しては、理性というか顕在?意識というかが完全に支配しているのが望ましく、肉体の自由意思を一切、許さないのが望ましい在り方とされます。

「え、肉体がかわいそう」

と思いますか。

じゃあ肉体に自由意思を許して、いつでもどこでもガン細胞になったり、血圧を好き勝手に上下させたり、それよりもっと、ありとあらゆる細胞がそれぞれ好き勝手に動き始めたとして、本当にいいんですね?という話w

人間の意識人格というかだけに絞って話をしても、最初に挙げた会社員の例のように、自由的な状況を手にいれたのにかえって何もできなくなってしまう人というのは一定数、存在します。
というか、

自分自身が、奴隷である自分にとっての理想的な主人である要件を備えるところまで到達する


ところまで行けてない人は全員、そうなります。

いうまでもなく、上の太字にした要件を満たすのは、至難の業。

でも、主人として自由意思のとおりに伸び伸び生きていたい部分と、奴隷として頼れる主人に隷属していたい部分(という、一見矛盾するかに見える特性)を両方、誰しもが、そもそも人類の設計時点で組み込まれて持っている以上は、そこを目指すしかありませんね。

さらに言うと、自分1人のなかだけでこのバランスを完結させるのは実は難しく、最低でも2人以上の関係性の間で、奴隷性と主人性のバランスをとるというのを、人間は本質的に欲しています。頭でどう考えるかに関係なく、誰もが必ず、この性質を持っています。

この性質に翻弄される、ダメ側のあるあるパターンを端的に列挙すると

・なんでも他人任せにして、他人に押し付け、他人を支配しようとし、他人のせいにする
 (先に挙げた犬の例と同じで、それがうまくいっても、本人が気づかないところで不満が溜まります。人間の場合は、本当に他人を支配できて喜ぶ主人としての性質もあるので、本人がそっちの性質由来から来る喜びやプライドのほうしか見ていないと、虫歯のようにいつの間にか内側から、満たされない奴隷性がその人に不満をもたらし、ボロボロに蝕んでいきます)

・100%、自分1人で何もかもをどうにかしようとしすぎて、周囲と壁をつくってしまう(か、壁をつくる気はなくとも結果的に孤立している)
 (一見、立派な人にみえますが、自己完結してるだけだと本当には満足できないので徐々につらくなります)

・自分がダメ人間だと開き直り、奴隷だと表明し、完全に支配してくれる主人を求める(だけ)
 (人間には奴隷性と同時に、主人性というかも備わっているため、これはこれで満たされません)

とかかなぁ。

いやぁ、人間って、そもそも複雑につくられてるだけあって、そんな複雑な人間がうまいこと生きるって、複雑で面倒ぽいことがいろいろつきまといますねぇ。

こんなショボいブログ記事にはとてもとても書ききれないほど、「じゃあどうすればいいか」は存在します。そりゃもう、延々と。実際、そこをいろんなビジネス自己啓発本があれこれ書いてるともいえますね。

とりあえずこの記事の要点でいうなら、

自分のなかの奴隷性も主人性も認めよう

奴隷性が満足する在り方として、信頼できる秩序(を体現する主人)に支配され絶対服従するという安堵もある


ってことですかね。

いや、スピ系の人の間ではさ、なんでもかんでも自由意思万歳、みたいな風潮、あるじゃないですか。

社会学やら道徳やらのトレンド?でいっても、かつて人間社会が今より不自由だった(黒人が本当に奴隷として売買されていたとか)ことからの反省や改善として、奴隷制的なものを撤廃してより自由を、的なほうが優勢だし。

べつに私は奴隷制を復活させろとか、自由意思をあまりにも抑制されて生きている人間がまだまだいるこの社会情勢を全肯定するとかのつもりは、ありません。
まだ国とか地域、民族?文化?によっては、信じられないくらい人間扱いされていない人がいて、その人たちが苦しんでいる側面があるのも確かだと思うので。

そういう点を改善していくのは大事だけど、奴隷性というものを全否定しちゃうのも、ちょっとねぇ、というせめてものおせっかいで口を出してみた次第。

個人的に、いわゆるエリート側で成功できてる人たちが、かなりの確率?というかでSM好き的な傾向を持っていて、しかもM側の欲求を持ち、実際にプレイなどに興じることで、日頃の満たされない気持ちを満たしているぽいのを見聞きして、つくづく「奴隷的な部分が満たされないと、それはそれで人はやっぱり、不幸なんだな」と思います。

私個人でいうと、自分のなかの美徳的部分が指し示す生き方の指針というかを信頼しきるという点で、奴隷性というかを満たせているほうなのかなぁと思います。奴隷としての自分が主人を探して、他の人や宗教、哲学などわかりやすく世間に流布してる教えなどをいろいろ見てみて、どれもしっくりこなくて、結局、自分が、一個人としての自分を超えて霊界からリンクで引いてきている美徳やらのエネルギー各種を信頼するのが、一番しっくりくるなぁ、という流れ。

あと個人的に奴隷性と主人性を満たす一人SMプレイ的に活用しているのは、

時間(の使い方)

です。

スケジューラー(スケジュールを決める人)としての自分が主人的に予定を決め、奴隷としての自分がそれをこなす。
スケジューラーは、奴隷が思わずこなしたくなってしまう、意義や価値があると思える魅力的な予定を入れる。
奴隷としての自分は、スケジューラーとしての自分が決めた予定を、信じ切ってこなす。やっている最中に、予定を消化できていること、決められた予定どおり絶対服従してこなせていることに、奴隷としての誇りを見出すわけです。
でもって双方、Win-Winで満足、的な。
(なので、くだらない予定を詰め込んだり、入れなさすぎて空白が続いたり、決めた予定を無視してこなさなかったりすると、このWin-Win関係が崩れて不満が出始めます)

他人との関係でいうと、どちらかが主人でどちらかが奴隷というスタイルはさすがに私の場合は合わないので、

尊敬できるパートナーに、見損なわれないように、落胆されないように、誠実に全力を尽くす

というやり方で、自分のなかの主人性と奴隷性の両方を満たすことにしています。

そう考えると、人類が国を問わずわりとどこでも、男女で結婚してとりあえずペア、カップルを1単位として過ごすというカタチで延々と続いてきている理由も、(頭だけで結婚の是非を論じるのとは別のニュアンスで)わかってくるような、こないようなw

(話が飛ぶようですが)ほんと現代人って、(頭が良いか悪いかに関係なくみんな)頭でっかちだなぁと思います。

頭で考える理屈だけじゃ成立しないことがこの世には無数にあって、人間は、頭では理解できなくても体なり霊的エネルギーなりがそれらを欲していたりして。

個人的に一番、避けたいのが、

たいして頭良くもないくせに、頭でだけ考えて出したベストな結論どおりに過ごして、あんまり人生がうまくいってない、幸せじゃない

在り方。

今、そしてこれからは急速に、そうした「頭で理屈で考えてもわからないが、人間にとって大事なこと」は、失われていく傾向にあります。
何もかもが、頭でっかちの部分だけで考えて人間が決めた「科学」などの枠組みのモノサシ(価値判断基準)で測られ、そのモノサシで「不要・無意味」とされるものは、バッサバッサ、切られていく。それが、人類の進化、社会の成熟、文化的発展だと信じている人や集合意識が増えます。大きくなります。

最悪の例が、遺伝子操作など命に関わることを何もかも科学テクノロジーで実現して、「できるからいいじゃん♪」と肯定し、倫理道徳哲学の類も「それは愛なのです」一辺倒で正当化し、清く正しい美しいこととされ、未熟なエゴの好き嫌いで血縁さえもをいじってカスタマイズして、選り好み。その選り好みがまかり通ることをもってして「願いが叶わず悲惨な思いをした、かつての人類の不幸を、人類の進化により、科学の発展により、克服した」と捉えて思考停止。悪びれもせず、子供の肌や髪の色、体質、その他なにもかも、親が頭で望むとおりに仕立て上げて、ペット的に可愛がる。それらを手にいれるために、カネを求める。カネさえ手に入れば、商売として真っ当かどうかなんか気にする価値観、とっくに社会から失われているw
標準とされるある基準に到達していない人々はそういう時代にも必ずいるはずだけど、それらは「努力を怠った劣等な人間が迎える、自業自得。自己責任。恥ずべき落ちこぼれ」として、情けをかけてもらえるなんてまさかまさかで事実上の奴隷として安くこき使われる。法改正でもなんでもして、人間をDNA配列や所有資産などドライな点数項目で等級分けして、家畜として扱うことが社会全般で肯定され、それは酷いことでもなんでもない、その人たちのためになることでもあるのだ的な屁理屈が教育され、浸透する。

……あ、じゃあやっぱり、どんどん頭でっかちになっていき、頭で理屈で考えてるだけじゃわからないことなんてのは積極的に切り捨てていったほうが、ナウいヤングって感じィ?イケてるトレンディなシャレオツイケメンってことォ〜!?
目に見えない霊的なものを学ぶとか気にするとか尊ぶなんて、チョベリバ〜!!

アーリマン様、万歳!!!!!!!
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なんちって。
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