脳が認める勉強法――「学習の科学」が明かす驚きの真実!

読みました。
  ↓


勉強、というものにまつわるこれまでの「神話」の嘘を、これでもか!と突きつけてくれますw

もってまわったような言い回しが多いので「要するに、何?」と章ごとに自分なりに「まとめ」ていかないと、漠然とした読後感になりそうですが。

要は、「静かなところで集中して、他のことは何もせず、とにかく長時間机に向かってひたすら暗記。一度覚えたことは絶対に忘れないように記憶を定着させる」みたいな、これまでずっと理想的だと思われていた学習の方法というかが、実はとても効率も能率も悪いものだったというもの。
(これ、わざわざ科学的論文みたいに提示されなくても、いわゆる進学校上がりで勉強が多少以上できてた人たちは体感・経験として知ってると思うんですけどね)

遊びもせず真面目にコツコツやるガリ勉くんが実はあんまり優秀な成績をとらないのも、うなずけます。だって学習の方法が悪いんだもの。

コマ切れで間隔をあけて勉強したほうがよいことを、かの有名なエビングハウスの忘却曲線理論と、レミニセンスの概念を交えて考察してるところは、すごく腑に落ちます。

おそらく多くの人にとって驚きであろうことは

適切な忘却こそが、かえって学習効果を上げる
(実は忘れたことは、顕在意識が認識できないところまで沈みこんだだけで、データとしては保持されている。そして海に落ちた瓶やペットボトルのように、底に沈んだり、浮いてきたりを繰り返す←この流れが、かえって記憶を定着させる)

というものでは。

忘れるのは学習の大敵、みたいに捉えてる人って、いると思うんですよね。
でもね、違うの。

一度覚えたことをずっと覚え続けて忘れずにいると、新たな情報を覚える記憶力が低下し、かえって学習能力は低下する

さらに

丸暗記したことを覚えているだけだと、思考力が働かず、応用問題に手も足も出ない

んです。(これはわりとみんな経験あるかも)

これもね、学生時代に成績が良かった人は自然とわかる話なんですよね。

鎌倉幕府の成立は?→1192年

を覚えたら、今度は

1192年といえば?→鎌倉幕府の成立

というふうに、逆の方向でも覚える。そしてどちらの質問からでも矢印が連想されるように(ミニテストや友達同士のクイズ、自分が自分に出すクイズなどで)訓練する。

それを、単に逆にするだけでなく、「鎌倉幕府をつくったのは誰?」「源頼朝が開いた幕府は?」と、上下左右ナナメに至るまで、有機的に学習内容の連想をつくっていくんです。そして、どこを突っつかれても、そこからWebのリンクのように網目状に、周辺の情報が自在に引き出せるようにする。
さらにそれを「頑張って丸暗記状態を維持しようとする」のではなくて、何度もやって、忘れては覚え、を繰り返して、「さすがにもう忘れへんやろ。もうわかったっちゅうねん、しつこいなぁw」というところまで持って行き、

覚え続けていようという努力も、忘れたことを思い出そうとする努力も0で記憶が全部、自由自在に引き出せる


ようにしておくわけです。(これ、学校の成績が優秀な人はみんなやってます。裏を返すと、学校の成績が悪い人たちは、このことを知らないんです)

そうすると、暗記した知識を前提とした、記述や論述の形式で答える応用問題(12世紀初頭に貴族が没落し武士が台頭した理由を、政治的背景を踏まえて◯字で述べよ、的なやつ)が出ても、ちゃんと「思考」して答えを出せるんです。
(こういう問題が解けない人というのは、前提となる知識があやふやで、そちらを思い出したりするほうに脳の力を割いてしまうので、問題の解答について『考える』ことに脳を割けないんですね。なにより考えるもなにも、そのための材料となる知識がないんだもの、正答できるはずがない)

ほかにも。

学習というのは、その学習しているときの様子(どんな部屋で、時間帯は何時で、どんな気候で、周りに誰がいて、どんな音楽が流れていてetc)とトータルで、セットでなされるもの


というのは、(これまた成績のいい人はだいたい知ってますが)ストイックな学習至上主義の人からしたら、ショックかも。

この本の中では、いわゆる「静かな環境で集中して」勉強したチームと、それ以外のいろんな状態(うるさい部屋で、とか)で勉強したチームとで同じテストをした結果が述べられたりします。静かな環境で集中して勉強したチームの成績が、一番悪い、というw

人の記憶というのは連想なので、周りにノイズ(テレビやラジオ、かけている音楽など)があったり、暑い寒い心地よいといった触覚的刺激、コーヒーや料理の匂いなど嗅覚的刺激、そういったものがあればあるほど、覚えやすいんです。
(昔、流行った音楽を聴くと、その頃の自分(が考えていたこと)を鮮明に思い出すというのは、大人ならわかるでしょ)

W田秀樹氏の受験本などでも、もう20年以上も前から、学習の一番いい方法は、自分が先生になったつもりで、架空の生徒に向かって授業を教えることとあります。しかも、座ったままより、立って、というか部屋を歩き回るなどの運動もコミで、実際に声を出して、身振りなどを交えて、なんなら板書もして、やる。……とあります。

これ、記憶をなるべく引き出す、周辺の刺激というか、感覚的に刺激から受け取るものを、増やしてるんですよね。喋る、歩き回る、など。
誰かに教える設定なら、(丸暗記でない)記憶の出し入れ訓練も自然とできます。

英会話も同じで、暗記した単語集の単語って、それだけでは会話の中ですらすら出て来ないじゃないですか。
わざとでもなんでも、暗記したその単語を、誰かと話すときに、使ってみる。そしてたとえば相手(しかも英語圏のネイティブの人)が

「うわ!そんな単語知ってるの!すごいじゃない」(←もちろん英語で)

と驚いてくれたら、その人の驚いた表情や身振り、声色、その会話がなされた場所などがトータルで記憶に残り、その単語はもう絶対に忘れないでしょう。

……といった、わざわざ言われなくても成績優秀者たちは古今東西みんな知っていたことを、ご丁寧に科学的論文的にまとめてくれてる本です。

私がこの記事で書いたことを「あぁ、知ってる。てか、昔からできてたw」と思って読んだ人は、もう読む必要ありません。たぶんw

でも

「えっ!嘘っ!?そうなの?知らなかった!!」

と感じたら、読んでみてもいい鴨ね。(←なんか偉そう)
P.S

あー、でもなんていうか、自分が子供の頃、スピリチュアルな分野だけでなく自然科学的な分野でも、あまりにも真実とかけ離れたことを正しいと信じてる人たちがたくさんいすぎて、本当のことを言うと嘘つき呼ばわりされるみたいな感じがしてた。
(スポーツ理論とかもひどかったでしょ?学校の部活とか。水飲み禁止で真夏に何時間も野外で休憩もなく練習してうさぎ跳びで校庭◯周とか。それやってどんなすごい選手が育ったっていうのか。今の科学的に効率よく人体にダメージを与えず、むしろコンディションを重視した短時間の練習のほうが、スポーツ競技の成績は伸びてるでしょうに)

いつになったらこんな誤謬が社会全体に蔓延してる「バカのほうが正しいとみなされる」風潮が改善されるんだろう、と。

それがね、部分的にでも改善してきてるのを見られるのは、せめての喜び。

スポーツ、学習、お金(にまつわるノウハウ、心得、捉え方)など、10〜20〜30年前とそれぞれの段階で比較しても、だいぶマシになってきたでしょ?

コミュニケーション術や情報伝達の効率いいやり方なども、だいぶマシになってきてる。一般人誰もがメールやらで連絡をとるようになって、どういうふうに書いたり言ったりすれば伝わるのか、どうしてしまうと混乱や誤解を招くのかを多少でもみんなが意識し、向上してる。

あとはね、

会社

だなー。

会社というか、チームワークというか。

一蓮托生の一枚岩で個人それぞれが全体のために尽くして犠牲に!

上司は部下の生殺与奪権を持つ絶対君主。部下は上司に絶対服従

経営者は、従業員を管理するもの。管理できる経営者が優秀

みたいなの、まだあるよね。

違う!っちゅうねん!!

山田昭男さんなんかが、チームワークの本来の在り方、人が集まった時「1+1=3以上」にする方法や心得みたいなものをさんざん提示してるけど、結局みんな、怠慢とエゴゆえに、そこを目指そうとしない。誰かが苦しんでいても、それを改善するなんて面倒なことをするよりは、無難にラクに現状維持の日和見主義で既得権益だけは死守、的な。

あー、だっさ。

どこかの誰かが改善してくれないかねえ、というヒーロー期待願望を盲信するほどおめでたくもないし、地球人類のみんなが全力でやれば、なんて理想論を信じるほど子供でもないし。

少しでも、自分ができることはないだろうか

なんて、無力無能ぽいのに思っちゃう自分みたいな人間が、一番、かえってタチが悪いのかもなぁ。。。

「usamimiさんはお金儲けにも商売にも興味がないっぽいのに、なんでいつも経営のこととか組織論みたいなことを気にしてるんですか?」

と聞かれるけど、このP.Sに書いたのが答えです。

でもねー、こんな動機だけじゃ、実際に会社をつくって大きくするなんてルートにも結びつかないぽいし、もし仮にできたとしても、それって俺の自己満足だったりして、という要らぬツッコミを皮算用的に、まだ実現する前から気にしたりして。

ほんと使えない。

こういうときは自分の無力さが惜しまれますなぁ。

バカの考え、休むに似たり。

じゃあバカの行動は?

ほらもう、休むに似たり。ぽてちん。
関連記事
スポンサーサイト