マンガでやさしくわかるレジリエンス

人付き合い、なかでも会社など役割や責任が問われ、プライベートの温かみのある関係性ばかりではない……というストレスフルな環境にいる人にはすごい福音かも。



Kindle版もあります
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バリバリ自主的に働いて自己責任で出世街道まっしぐら、というよりは、「生活のために仕方なくでも、勤めなきゃいけないじゃないですかぁ」的な人のほうが役に立つ印象。
(できてる人たちは、こういうことを知ってるからできていることが大半なので)

レジリエンスは雑にいうと、ストレスを受けても柳のようにうまく処理してさらに強く立ち直る、ゴムみたいな度合い(←雑な解説にもほどがある)を指すみたいです。

が、このまんがでは、いわゆる理不尽上司が無茶振り、丸投げをしてきた際に、(正論をいえばその上司が悪いのだけれど、事実上、どこかの会社のとある上司とされる人全員が常に世界一賢明で合理的な指示を出し続けるなんてありえないわけで)どのように受け止め、対処するのかを書いてあります。

特に、「正義犬」など、何かが起きたときその出来事に対してストレスを感じる原因となる、自分の心のなかの犬たちを挙げて解説してあるので、わかりやすい。

たとえば上司が理屈に合わない指示を出してきたり、理不尽な怒り・叱り方をしてきたときに、ストレス炸裂!となってしまう人というのは、その人の心のなかで正義犬がワンワン吠えて

「なんでそんなことが言えるの? だって本来であれば、まずあなたがこれこれをこうして、そのあとで〜〜すべきでしょう? 最初から〜〜を〜〜だと決めつけて、あたかも私が悪いみたいに言われても、それがどれだけ理にかなってないか、わからないわけ? そんなハチャメチャなくせして、管理職の役職名を背負って堂々と高い給料を貰うわけですか!? 恥を知れ、とは思わないんですか? そもそも役職というのは、威張ってもいい証ではなくて、むしろ平社員よりも仕事に責任を持って……etc」

と、あらん限りの、自分の信じる正義論をふりかざすわけです。そして、現実がそのとおりになっていないから、キィー!!っとなる。

自分は絶対に間違っていないのだから、この理不尽に耐えるいわれも従う義務も、本来であれば、ない。のに、だからこそ、従わなければならず、まるで悪いのはこちら、みたいにされてしまっている今の状況が、許せない。耐えられない。底知れぬ怒りを感じる……という自己正当化が鉄壁なので、別の視点を持つ余裕もなくなって。

それでいつしか「ひとつも理不尽なく、会社のありとあらゆる動きがすべて完全完璧な合理性と納得度のなかで回り続ける」日が来ればいいでしょうけどね。あなたの信じる正義が、理論が、世の中すべてに行き渡って、あなたから見た理想の世界が成立すれば、いいでしょうねぇ。

でも、そうなる目処って、ありますか?

どこかの会社だけ、あの上司だけがおかしいんでしょうか。そうじゃない場所・人に移れば、いいんでしょうか。
部分的には正解かもしれません(自分ではどうしようもない、手に負えない会社も人もいないわけではないでしょうし)。
ただ、それをし続けて辿り着く終着駅は、

全員が自分と同じ感性・価値観で成立している、閉鎖的な似た者同士ハーレム

です。(それはそれで魅力的ぽいけど)

アリっちゃアリですよね。
私はこう思う。他人も社会も、世界全体もそうであるべきだと思う。そうじゃないものは許さないし、耐えられない。だからそうじゃないものをひたすら避けて、自分がOKだと思う人や物事だけで成立した場をつくり、そのなかでだけ生きて行く。
できたらたいしたもんです。それは悪いことではないでしょう。ほんとに。

ただね。

そうなると、多様性を完全に否定する側になってしまうし、世の中すべてを画一的な教義で括ろうとする宗教の教祖みたいなもんなんです(それが悪いわけじゃない、というのは再三、繰り返しておきます)。
それをやりたいならべつにそれでもいいんだけれど。

世の中、理想で思い描いた正義と悪のわかりやすい図式どおりには動かない。
し、ある人からみて信じられないような考え方を持って生きている、別の人もいる。

そういう、1人1人が違う人たちが70億人近くいる。今後はもっと増えるかもしれない。

時代とともに、あるいはそこに集う人たちで形成されるグループ内の価値観ごとに、何が正しくて何が好まれて、何が悪で間違っていて嫌われるかは、千差万別。

そういう世の中で、自分や完全に気の合う人たちばかりとだけ一緒にいるわけにはいかない、あるいはあえて自分とは違う人やもの、場に触れて自分の見聞を広め、高めていきたい……と願うならば。

レジリエンスじゃね?

……という。

そもそも、自分の思ったとおりにならなかったら怒って泣いて憎んで恨んでストレス溜めて、というのは

幼稚なガキ

でしょ。っていうか、赤ん坊でもできるわけでしょ。

一生そのままを貫くという美学も尊さも、もしかしたらあるのかもしれないけど、どうせなら、前とは違ったことをいろいろできるようになっていっても、バチは当たらないんじゃないの、と。

特に最近の人は、庶民1人1人が、「自分は世界一のVIP待遇をされて当然」みたいに思ってるトコがありますよね。
どこかの会社に入るでも、入社したその日から、社長から何から全員が自分を王様・女王様のように手厚く、誰よりも優先して、あらゆる欲求を満たしてくれるように動いて当然、と思っているようなところがある。ほんの少しでもつれなく接したり、自分の希望が叶わなかったり、やりたいと思えない仕事を割り振られたり、ものすごく親密で丁寧な態度で接してくれなかったりしただけで、それを「理不尽」といって恨む。(←そういうことをする自分自身が、他の人たちからしたら理不尽に映る、という発想はないんでしょうかね)

実際そうならない、ということは、つまりは
「今の自分のやり方では、世の中で通用しないらしいぞ」
というメッセージでもあるわけで。

自分以外の他人や社会全体が変わることを待ってても、自分が思い描く理想の世界は訪れないらしい……ということまで経験でわかってるなら。

それでも世の中で、自分が何か叶えたいことがあったり、欲しいものがあるというなら。

自分からみて気に入らない方法だろうが納得がいかなかろうが、「実際、通用する」やり方を採るしかない

という結論には、到達しないものなんでしょうかね。
(しないもんなんだよなァ〜、自分が敗北するみたいで悔しいの。現実的な成果よりも、自分をほんの少しでも曲げたくない、というプライドが優先してんの)

あくまでも自分の貫きたいスタンスがあって、そのとおりに行動しても世の中や他人はウンともスンとも動いてくれないならば、いっそ何かを叶えたり手に入れる望みのほうをしっかり諦める


という選択肢もあるでしょうに。
(それも採らないんだよね。どこまでも執着して、粘っちゃう)

で、行き着く先は、愚痴。社内の給湯室(←ほんとに給湯室で愚痴りあう人、いまどきあんまりないですが)はもちろん、社外のプライベートな友人への電話、メール、LINE。あらゆる手段で、自分を正当化して、愚痴る。
愚痴る相手がいない人でも大丈夫!某大型掲示板とか、ツイッター(しかもアニメキャライラストアイコンとかで正体がバレないようにしてるやつ)とか、どこでも鬱憤のゲロ吐き場は、ありますから。

理不尽に耐えて、ネットに愚痴って発散して。相変わらずリアルな世の中では通用せず、(頭で願う)欲しいものも手に入らない。
(そういう人の第一希望は、まさに、実際に叶っている、『理不尽に耐えて、ネットに愚痴って発散して。相変わらずリアルな世の中では通用せず、(頭で願う)欲しいものも手に入らない』ことなので、まぁ、いいんですけどね)

人生、いろいろ〜♪
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