まるで知らずに溜まっていた宿便が流れたように、とてもスッキリした気持ち

マルチプルアバンダンスの感想いただきました。

お世話になっております。
先月14日に、マルチプルアバンダンスを受講したものです。
その節は大変お世話になりました。
早いもので1ヶ月が経ち、まだまだ変化の過程ですが、お礼方々、感想や変化を送らせていただきたいと思います。

まず受講後、コマンドを印刷したものをトイレの壁に貼り、暗記して日常ことあるごとに使うようにしました。

最初のうちは、過去の手放すべきイシューが大浄化のごとく溢れてきて、その解消をひたすらじっくり行っていましたが、そのうちに、例えばちょっとしたことでめげそうになっても「意志力アップ!」とか、疲れて帰宅した時に「エナジーディスポージング」など、ぼちぼちと使いこなせるようになった頃、とあるスピリチュアルイベントがあり出店しました。

その出店では、なぜか周囲の方が大変親切で、初対面にも関わらず、接客の上手な隣りのブースの方が、私の作品をどんどんお客様に勧めてくださったり、また、お客様が写真をその場で一緒に取って、FBで宣伝してくれたり、他のイベント関係者にお誘いをいただいたりと、たくさんの後押しに恵まれ、おかげさまで過去最高の売り上げとなりました!

その時は忙しくていちいちコマンドを行っていたわけではないのですが、これはきっと、「自分の魅力に気づく」「人類の魅力を発揮する様式インストール」、などのコマンドを日頃から淡々と行って伸ばした結果、はじめて会った人にはきっと自分が何か魅力的な人物に映り、思わず協力したくなるような資質を持ちあわせているように感じられたのかと思います。
もしかして日常、顔を合わせている家族より、他人の方が効果はわかりやすいのかもしれません。

最近のお気に入りは「睡眠前のtarコマンド」です。
昨夜は母と祖母が夢に出てきて、まるで永遠の命を持っているかのように、
「これから海外に行って自然療法家になる」
「これから車の免許を取る」
などと明るく話しておりました。
戦争で祖父と他界し、シングルマザーで一生働きづめだった祖母、そしてそのイシューを引き継ぎ、同じくシングルマザーで苦労して子ども3人を育て上げた母が、生活や子どものためではなく、自分の人生の喜びのためにお金を使うということに、たとえ夢の中でも嬉しく思いました。

私は大変愚かで傲慢なことに、90年前、70年前の時代の中で、人生をかけて精いっぱいの適応・進化を遂げてきたであろう彼女たちを、知識や教養のなさから、実はどこか小馬鹿にしている部分がありました。
ですが、自分が毎日自分なりにできる限りのことをしてはじめて、それは現代の自分の偏った狭い価値観であることに気づきました。

そして、夢の中の母や祖母がある意味、自分の分身や象徴であり、豊かさにまつわる自分のイシューもあっけらかんとすっかり解放されていることを感じました。
まるで知らずに溜まっていた宿便が流れたように、とてもスッキリした気持ちです。
解放したイシューの代わりに、今後は母や祖母から受け継いだたくましい資質をさらに研ぎ澄ませ、さらに人生を謳歌する力にしたいと思います。

長くなりましたが、実りある講座を開発してくださった、usamimiさまに心より感謝を申し上げます。
今度上級講座がありましたら、ぜひ参加させてください。

あざっす!

先祖たちを敬うコメントらへん、「そうだなぁ~」と思わされました。
人間ってやっぱり、動物であり生き物であるという側面もあるわけで、生き延びて子孫を残してナンボ、という側面もあるわけですよね。
その時代や環境に応じた、生き延びる知恵と行動を発揮して子孫を残せたら万々歳なわけです。

学歴やそれにより身につけた知識各種にしても、ある時期、「それがあると生きていきやすい!」という風潮になったから、求めただけであって。
それ自体が生きる目的、生きるうえでの普遍的な必須要件ではないわけです。
(今後、学歴や就職した会社の知名度・規模が必ずしもその人を一生安泰にしてくれるわけではない時代が来るとなれば、単に経歴だけピカピカだけど社会でうまいことやれない人・使えない人というのは、動物的な意味ではダメなんですよね)

ああそうそう、マルチプルアバンダンスのコマンド各種の中で、tarは評判いいですねー。
それだけでなくとも、

「マルチプルアバンダンスのコマンドがないと、やっていけない!……と思うようになってきてしまって。これだと依存だからまずいわ、とは思うんだけど(笑)」

みたいな感想をいろんな方からいただきます。

そう、創始者としては、依存されるのが一番、困りものだなぁと思っていて、なかなか悩ましいところ。
(べつに依存させるようなサイキックな仕組みをわざと入れるとかは、してないんですけどね)

でもマルチプルアバンダンスかどうかは別として、そもそもこの世の人間って

霊的なエネルギーを取り入れることがアタリマエ

という前提で成立してる気がするんですよ。ここ200年たらずの近代に科学優勢になる前まではずっと、スピリチュアルなほう(それが形としては宗教の形態をとることが多かったですが)を第一に捉えていたわけですよね、人類は。

例えるなら、学校給食をもともとみんなアタリマエに食べていたのに、代替わりするなかで「給食なんてあるのか、あったとして、食べていいのか?」という点が曖昧になり、みんな給食を食べずに午後の授業に臨むようになり

「腹へった……。なんで午後まで授業があるんだ。学校ってのは、ひどいところだ」

と愚痴をこぼすほうが多数派になった……という感じ。

で、たまに?

「給食ってのがあるんだよ!それは食べていいものなんだ!」

と言う人がいると、

「嘘つき!そんなこと、あるわけない!」

と多数派から否定される、的な。

本当に給食のありかを見つけて食べる生徒がいたら、

「ズルだ!」

と罵り、弾劾する、的な。

あるいは、給食の存在を知り、たまに食べてみたりするけど、そんな自分に

「私は許されざる罪を犯しているのではないだろうか?」

と思い悩む……的な。


昨今のスピを取り囲む状況って、この給食の例えとかなり近いと個人的には感じています。

もっともっと、当然の権利として、人間は、霊的なエネルギーを活用してしかるべきなんですね。

で、これが個人的にも一番の安心ポイントなんですが

霊的なエネルギーを取り入れて活用することは、決してズルではない
(現実で何か成果をつかもうと思ったら、その現実を具現化する現実での行動が欠かせない)


ってこと。

むしろ、

霊的な栄養がたりてないから、物理現実で行動する(原動力となる意思や気力体力などの)エネルギーがなくてバテる

ほうが、ダメじゃね?という。。。

マルチプルアバンダンスをはじめ、私が霊的なエネルギーをプログラムとして提供している理由の1つに、こういう考えがあります。

ってやだー、語ってやんの。
それでは。
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