これで行こうと決めるまでの時間が驚くほど短くなった

マルチプルアバンダンス初級を受講された画家の方からの感想です。

usamimi様 先日はありがとうございました。

前回のメールでお話ししました絵が出来上がりましたので、画像をお送りします。

描き進める途中で講座を受講し、
その後実習しながら制作を進めていました。
描いていて、実習の効果を一番感じたのは「躊躇」しなくなったことです。
受け取ったエネルギーをどう表現しようかと考え始めてから、
これで行こうと決めるまでの時間が驚くほど短くなったし、
これまでの作品に比べると、ノイズが少なくなった印象があります
(これはうれしい変化です)。

R0013507.jpg
                                ©soranoki

ちなみに今回使っているキャンバスのサイズはF4、
タイトルは「コスミック ラティス」
水性アクリルを使っています。

これから実習を進めながら、次の作品に取りかかります。
こんどは曼荼羅を描く予定なので、かなり影響を受ける感じがします。
(ワークしながら点描で曼荼羅を描いてみるつもりです)
なんだかワクワクしますね!

いろいろありがとう!
いいツールが手に入りました。

本格的に寒くなってきました。
体調に留意され、ご活躍されますように。
そしてこれからもよろしくお願いします。

この方の作品は、

http://soranoki.jimdo.com/

で購入できますので興味のある方はドゾー。

いやー、「役に立った」ということを、こういう目に見える形で示してくださる方がいると、なんか提供してるほうとしても嬉しいですね。

なんていうかね、スピリチュアルなエネルギーだのヒーリングは、そのエネルギー自体は、目には見えない。

なんとでもうそぶくことができる。やろうと思えば詐欺でもやれる。

でも。

間接的にでも、超感覚的なエネルギーを片鱗としてでも、あるいはガチにサイキック霊能力完全開花でしっかりはっきりでもなんでも、感じ取ったうえで物理的に目に見えたり耳に聞こえたり香りや味として認識できたりできる「作品」をつくれるアーティスト(画家、音楽家、調香師、料理人など)は、もし詐欺で何もしてない、エネルギーなんて流してもらえてない体験からじゃあ、その作品は変わらないはず。

本人も、必ずしも狙ったとおりとは限らない、無意識的な部分も含めて、作品が「変わっていた」ら、それはエネルギーを感じ取ったからなのでは、という推察くらいはできるもの。

それでも「ただの推察でしょw」というそしりは完全には免れないけどね。(べつにいいのよ、そういうもんだってことくらい、百も承知でこの道を選んでるんだから)

俺自身はたいした芸術家ではないけれど(というかそもそも芸術家と名乗ることすらはばかられるただの才能のない素人だけど)、素晴らしい芸術家にインスピレーションを与えるとか、その方の才能や能力がさらに開花して伸びるきっかけ、サポート、そういったものになれるというなら、それはとても嬉しいことだねぃ。

自分ももう「若くない」と呼ばれる年齢に差し掛かり、いわゆる現世利益的な意味合いで出世できている知人たちからは、ほうぼうから

「結局オマエは、たいしたことなかったな」

と蔑まれも憐憫の眼差しを向けられも、する。

不思議なことに、悔しくもなんともなく

「そうだね」

で終わり。

どんなに頑張ったところで、俺程度の人間は、しょせんは、優秀な人たちの足元にも及ばないということなのかもしれない。ビジネスだったり、世渡りだったり、そういう処世面でどんだけのし上がるかという出世競争馬としては即・安楽死レベルの落ちこぼれなんだと思う。

ただそれでも、そんな人間が生きている価値が(霊的にみれば誰の魂の価値も平等、という意味じゃなく、あくまでせせこましい現世利益&社会常識メインの観点から査定した場合)あるとすれば、

優秀な人たちをさらに優秀にする役目を多少なりとも果たした

ってことくらいなのかなぁ、と最近つくづく思います。

ほんというと、こんなに社会常識的な意味合いでの「貢献」ができてない自分みたいな人間が、この世にむざむざ、こんな老いさらばえたみすぼらしい姿でまだ生きているのは、とても恥ずかしいし、今すぐ死んで差し上げるのが世のため人のためなんじゃないかと思うこともよくある。

それでも、自殺するほどの踏ん切りというかは、それはそれで今はもうないし、毎日毎晩

「神様、もし私がこの世に生きている価値が本当になくなったら、無駄に生きることなく即座に殺してくださいね」

みたいなことを思ってるほど。

そして翌朝、目が醒める。まだ生きている、と思う。

なぜ生きているんだろう、と思う。

なぜ今日を生きる資格と価値が自分なんかにあるんだろう、と思う。

せっかく生きることになるなら、今日は何ができるだろうか。

死んでもともとのこの老人が、それでも力をいくばくか振り絞って何かをするとするならば、何ができるだろう。何をしたいだろう。誰が喜んでくれるだろう。何の役に立てるだろうか。

……そういうことを、40分くらい、考えます。ベッドの中で。

なんだか毎日毎日、罰ゲームをさせられているような心地にもなる。

「ほーら!いい年して何にもできてない、生きてる価値のない人間が通りますよー!」

と、ひたすら恥をさらしているような心地で、もうそれは自分に与えられた罰だと思って、恥ずかしく思うなんて傲慢さもとうになくして、生きてる。

それでいてべつに不幸だとか生きてる状態自体が「嫌だ」という意味でもなかったりするw

何の価値もない人間、なんてそれこそたちの悪い冗談だ、と、わかってもいる。

じゃあ現世利益的な出世とやらをしたかったのか、と聞かれれば、「まっぴら御免」と本心で思う自分もいる。

どうしようもないクズなバカだ、と思う。

そんなクズなバカは、一丁前に悩む資格ないし、悩んだところでたいした知恵など編み出せないのだ、と思う。

好きなだけ自虐ごっこを繰り広げた後で、思う。

「なんて豊かなんだろう、自分」








うーわ、せっかくの芸術作品が台無しな後ろ向き独り言。さすがクズ人間w
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